十一、熊猫



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 薬師、熊猫ションマオとしての生きた証をここに記す。筆を取るに至った経緯は明白である。我が命の限りが見えてしまったからだ。ただ、私は人よりも何かを書くということが苦手なため、これを読む者が居るならば読みづらいと思わせるかもしれない。

 薬師ともなれば、自身の終わりも分かる。何人もの命を診てきた身であれば。

 我が薬も効かぬこの病に対して、私が出来る事は僅かばかりの死への準備のみ。

 項の始まりから最終重要点クライマックスを迎えては興が冷める、ということで薬師熊猫として名乗る事になった、歴史から追っていこう。


 私は、王宮に勤める医官であった。知へ貪欲であり、医療の研鑽に盲目な、そんな医官であった。私の治療行為とは施しではなく、あくまで我が欲求を満たすための延長線上に在るもの。

 王宮に永く眠らされていた、古代の秘術や生薬を用いて、私は人体によるそれらの有用性を証明しようとしていた。初めは名前も無い女官に、そして名の通った武官に、寵愛を受けるビンに。

 そのように、私は人道などまるで気にせず、ただただ己の自己満足のために、ありとあらゆる生薬を用いて医療を行っていた。さらには、その効用が如実に現れたせいで、私は王宮内で珍しい薬師としてそこそこ名が知れるようになってしまった。

 彼らの私に向ける信頼と、私の彼らに向ける想いは乖離し続け、その歪み、否、報復が訪れるのに時間は要さなかった。


 私は、治せという王命に背いた。


 王命など私以上に自分勝手なものだ。治せないものは治せない。しかしそれでも、王命として治せと言われたのならば、治さなければならなかった。

 で、あるからして。治せなかった私は王命に背いた

 その罪は、私の世界から光を奪った。形容や比喩などではない。文字通り、私は光を失った。何も視えなくなった。

 こうして王宮を追放されて以来、私は私の目元を隠すために、大きな色つき眼鏡をかけることにした。勿論、私はそのような状況になって尚、自身の飽くなき知識への欲望を止めることが出来ず、次は人民へ私の生薬による研究が始まった。

 人民へ高い知識に基づいた医療行為の提供をすれば、いずれ王宮に嗅ぎつけられると考えた私は、大きな黒い目元を揶揄するように、便宜上薬師『熊猫』と名乗るようになったのだ。



────────薬師、熊猫の手記より。




「儂は、お主ら西の恵民署を許さぬ。故に、正しい医療は生薬に在ると、宣戦布告をするのじゃ。」


 状況が飲み込めないままでいる蝴蝶フーティエ秤娘チォンニャンは、熊猫と名乗った謎の薬師からぶつけられる殺気にも似た嫌悪を、受け止めることしか出来ないでいた。

 何故、人を救おうとしている心は同じであるはずなのに、そのように言われなければならないのか。蝴蝶はそのような想いでいっぱいだったが、秤娘は、熊猫の言い分を理解した。

 間王国では、長く生薬や軟膏による内科治療が医療の根幹にあった。外科治療は鍼のみで、腹や喉を切る治療など、今まで例が無い。秤娘も、初めは花精ファジンの施す治療に違和感を感じていた。否、違和感程度で済んでいたのが幸いか。その違和感が強く拒絶として現れた薬師が、目の前にいる熊猫という人物なのだろうと、秤娘は納得していた。


 さて、彼からの宣戦布告を受け取るか否か、冷静に考えあぐねていると。


「あっ、蝴蝶にそばかす女。」


 剣呑な雰囲気に割って入る、無礼でいて陽気な声。その声の主は、豪奢な駕籠を背に歩く园司ヤンスーだった。

 立ち止まり、声を上げた园司に反応するように、駕籠の小窓がゆっくりと開く。駕籠の中に御座す人物は、もちろん。


紗莉シャリー様。」


 蝴蝶がその名を呼ぶ。珊瑚の簪を重そうに小窓から顔を覗かせた紗莉は、蝴蝶の顔を見て少し笑みを綻ばせたが、秤娘の顔を見ると今度は表情に緊張を走らせた後、はっとしたように慌てて首を引っ込めた。

 秤娘は、やはり先日は脅しすぎたかと想いを巡らせる。北の都思わぬ場所での出会いに、何か言葉を交わすのかと待っていた园司は、紗莉の掴めない行動に驚く。


「おいおい、挨拶もしないのか、紗莉様。」


 园司が駕籠をドンドンと叩くが、中から返事は無い。


「──ふむ、急用が出来たようじゃ。それじゃあの、恵民署の悖徳者達よ。」


 何を思ったのか、熊猫は蝴蝶と秤娘への嫌悪感もそこそこに、踵を返して都の雑踏に姿を消してしまった。


「なんだあの変な禿び。」


 珍妙な風貌に、変わった特徴の小さな薬師を不思議がる园司は、彼の背中にそんな言葉をかけるが、騒がしさが全てかき消してしまう。

 秤娘は园司も差程背に違いは無いと思うが、何も言わなかった。それよりも、胸の痛みを訴えた男に、熊猫が去り際手渡した何かが気になって仕方なかった。

 医療施設に従事する医官では無い身でありながら、生薬と疾病への深い知識を持ち、過剰な処方を当然のように行う。秤娘は、数年前に追っていたあの薬師ではないかと推測する。漸く、新たな手がかりが手に入れられそうだと。


「悪ぃな、紗莉様は今話す気分じゃないんだと。また今度診察に来た時はよろしくな。」


 园司は眉を下げてへらりと笑うと、そのまま駕籠を引き連れてどこかへ行ってしまった。そうこうしている内に、男の姿もとうに消えている。

 下手に話しかけても、熊猫のせいで恐怖の先入観を植えられた状態では会話にならないだろうと、機会を伺いすぎていた。


「蝴蝶、そろそろ帰ろう。」


 あなたの家、恵民署に。







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