十一、前代未聞


「何故だッ、術式は完璧に終えたはずだ!」


 自身以外に蝴蝶フーティエしか居ない執務室にて、感情を露わにして頭を抱えながら机に突っ伏す花精ファジン

 あれからすぐに、以前やったように筆の先と先をくっつける、距離感を掴む事に障害がないか簡易的に調べる検査をさせた。それでは柳のような女は簡単にくっつけてみせた。つまり、内出血摘出術式は、距離感覚の障害因子を取り除く事に成功している。


 しているが、だ。


「未だ内出血が海馬を圧迫しているというのか…?いや、私はしっかりと確認したはずだ」


 頭を掻きむしって立ち上がっては、うろうろと執務室内を歩いたかと思うと、椅子にどかり、と座って指をとんとんと机で鳴らし、思考を整理しようとしている花精の様を、蝴蝶は見ている事しかできなかった。

 蝴蝶たちの住む王国には人体を切る医療はおろか、人体を切り構造を学ぶという『考え』すら浮かばないため、解剖生理という学問が存在しない。故に、頭の中に収容された脳という臓器が、具体的にどういった働きをしているかは、花精の話した限りの知識しか持っていないため、花精が分からない事は蝴蝶にも分からない。


¥☆$+×>〆々%#€$**×△反対側からアプローチしていくか…?


 とうとうおかしくなってしまったのか、蝴蝶には耳慣れない言葉を早口で発し始めてしまった。とにかく落ち着いてもらおうと、平和の続くこの国、間王国で近年、流行ブームになっている『健康』。それに良いとされる西の異国から輸入された茶を淹れようと、蝴蝶は用意をする。

 もとは間王国で親しまれていたお茶を、西の異国に住まう官僚が飲んだところ大層気に入り、類似品として作られた茶だと、花精がいつか蝴蝶に語った事があった。

 そのため、間王国に入ってきて間もないお茶ではあるものの、蝴蝶や花精など国民が親しみやすい香りをしており、さらに健康にも良いとのことで、今、爆発的に人気が出ているお茶となっている。


「花精様、素が出てますよ」


 蝴蝶と园丁ヤンディン以外の前では見せないであろうその姿を、园丁のように諌めるようにして言いながら、机を爪でがりがりと削る花精の前に紅い茶を置く。


「…あぁ、私としたことが」


 蝴蝶の差し出した紅い茶に揺らぐ自身の貌と、漂う香りに一瞬冷静さを取り戻すものの、一口飲んでは器を置くなり、頭を抱えて黙りこくってしまった。


「原因不明ですか」


 項垂れたままの花精に、ぽつりと蝴蝶が呟くようにして尋ねる。


「私はその言葉が一番嫌いなんだッ!」


 顔を上げないまま花精の声が返ってくる。声に乗った感情は怒りというよりも焦り、悔しさの色が強い。


「その言葉で片付けてしまえる病は山ほどある。あるが、だ!だが、そうしたら無くなった生命は浮かばれないし、遺された生命も納得がいかないだろう…?」


 今度は消え入るような、弱気な声で返ってくる。


「今はあの病人も目を覚ましてくれたが、原因を突きつめずに放置すれば、いつ眠ったまま目を覚まさなくなるか分からない…無くなった生命のためだけじゃない、生命が無くなってしまわないためにも、原因は絶対に見つけなければならない」


 段々と語気が強まる。花精は蝴蝶に語るというよりも、話すことで自分に言い聞かせているようだ。


「そこでだ、蝴蝶」


 ここでやっと花精が顔を上げると、蝴蝶の大きな瞳を真っ直ぐに見つめる。


「次は反対側から開頭術式をしようと思う」


 花精の言葉に、蝴蝶は背筋を正した。


「お言葉ですが、花精様」


 蝴蝶が漂わせる雰囲気に、花精は覚えがあった。花精が恵民署ヘミンソへ来た日のこと、台所へ無断で入ったあの時と同じものだ。


「いくら花精様が仙才鬼才の医官であっても、人の身体を物のように、切った貼ったをして良いものとは思いません」


 しかし、あの時とは違い花精もただでは引き下がらない。


「いや、血液が頭の中に残っている場合は一刻でも早く、治療をしなければ手遅れになる」


 以前は蝴蝶の土俵であったため、大人しく引き下がり指示に従ったが、今回は同じ土俵だ。自分が信じるより良い結果のため、反論をする。


「今すぐ行ったとしても、あの病人が術式に耐えられるとは到底思えません」


 蝴蝶と花精は当たり前のように対等な討論をしているが、本来ならば有り得ない光景である。身分差の意識が強いこの国では、恵民署の提調チェジョである花精の言葉に恵民署の人間は誰も逆らってはいけない。逆らえない。

 病人を真に思い、病に侵された病人の生命を一つでも多く救える答えを見つけられるのならば、と自身の立場など顧みない花精。病人を真に思い、病に侵された病人の生命を、一つでも多く救える答えを導き出せるのならば、と自身への罰など甘んじて受け入れる覚悟のある蝴蝶だからこそ、実現している光景だ。

 もし、花精の話している相手が园丁や秤娘チォンニャンだったら、成り立たなかった。蝴蝶の話している相手が魚運ユーユンでも、成り立たないだろう。


「…ならば最短でどれほどだ」


 なので、相対する意見を持った相手だろうと、正しい事を述べられ納得すれば、花精もこうして折れる。


「最低でもふた月は要します」


 蝴蝶の申し上げに、花精は目を向いて「ふた月もか!?」と声をあげると眉を下げて言葉を続ける。


「いくらなんでも長すぎる…その間にもしもの事があれば…ひと月では駄目か?」


 なんとか早く術式を行おうと蝴蝶の提案した期間の半分を提案するが、蝴蝶は相変わらず凛とした態度で答える。


「術前のあの病人は栄養状態が悪いものでした。なんとか二週間で術式に耐えられるよう体力をつけましたが、その栄養状態は健常人と比べるとやはり、劣ります。それでも術式を行い、多くの体力と血を失い、さらに術後一日まともな食事を出来ておらず、これからが重要な時期になります。また術式を行えるような体力をつけるためには、始めの二週間で徐々に体力の素エネルギーを増やした食事をしていき、それから二週間で普通以上に体力の素を増やした食事、残りひと月で良い塩梅バランスの食事を続ける事で、健常人の栄養状態に近づけるために、最低でもふた月は必要だと私は考えました。」


 蝴蝶は事実を述べた後、自身の経験で培った勘定を提案する。しかし、これは経験則での提案であるため、科学的根拠など全く無い。


「けれど、術式についての知識が深いのは花精様です。私はあくまで栄養学的な側面でのみ述べたに過ぎません、術式学からの側面との兼ね合いが理想的だと思います」


 非常に遠回しではあるが、蝴蝶も自分の意見を絶対に譲らないわけでは無い、という姿勢を示している。その言葉に花精は考え込み、言葉にならない言葉を唸るようにあげる。

 非常に慎重な扱いを要する開頭術式は、花精の故郷でもほいほいとされた事例ではない。そのため、連続して行ったといった記述のある医学書は見かけた事が無かった。

 手探りで取り掛かるには、あまりにも責任が重すぎる。


「では、ひと月半だ。そこで術式を行うことを前提に計画を進め、改めて栄養状態を評価する。その結果次第では期間を伸ばそう」


 それは花精の提案と、蝴蝶の提案を折半したようなものだった。誰もこれが明確な答えだと言えない状況に、花精は喉の奥が重たくなる。

 花精の結論に蝴蝶は頭を下げて「承知しました」と承諾する。そこで花精は、はっと何かを思い出したように、退出しようとした蝴蝶を呼び止めた。


「そうだ、今朝なんだが、お前が喜ぶであろうものを故郷から取寄せたんだ」


 先程頭を抱えて唸っていたとは思えない、陽の光よりも暖かな笑顔を浮かべている花精に、蝴蝶は首を傾げた。





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