第22話 Q.わかりますか?

 バサリ、と。


 黒いローブをはためかせながら、境とルナの目の前に人影が舞い下りて来た。


 闇よりも更に深い黒髪に。深淵しんえんのような深夜のローブ。

 顔はうつむいていてわからないが、身に纏うそれは、まるで『カラス』のようだった。


「……ええ、ああ。はい。わかっていますよ。……そう心配しないで下さい」


 どうやら彼は、誰かと連絡しているらしい。黒のスマートフォンを耳元に押し当てていた。


 唐突に現れた事と、服装が少し目立つ事以外は、いかにもただの一般人にしか見えない。

 見えないのに。


「「……!」」


 境とルナは、なぜか動かない。

 ……いや、体が動けない。

 じわりと汗が浮かび、その手の指が微かに震える。

 まるで、冷たく硬い鉄の鎖に縛り付けられるような息苦しさが支配する。


「……いや、はい。接触しましたよ。……あー、その通りです」


 その間にもカラスはのんびりと会話を続ける。心なしか、楽しそうな雰囲気で。


 その様子を、じっと固まって見ていると。

 不意に彼の顔が上がった。

 彼の顔は、目にベルトのような物を巻き付けていた。そして、楽しげな柔らかい笑みを口に浮かべている。


 その口が動き。

 やはり、優しそうな声音で。



「それでは、そろそろ殺しましょうかね」



「「……っ!?」」


 さも当たり前かのように、その言葉を放った。

 一瞬で戦慄せんりつした境とルナが、じりっと、左足を後ろに引き身構える。


 そんな境たちの前で、静かにスマートフォンを懐にしまい込むカラス。

 狼狽ろうばいと敵視をにじませる境たちを流し見ながら。

 そのカラスは、爽やかな笑顔で笑う。


「こんにちは。僕は執行No. 89。なかなかおおやけの場に出ないから知らないと思うけどね。初めまして、学生さん」


 にこりと愛想の良い顔で。



「――そして。さようなら、学生さん」



 その刹那せつな――カラスが動いた。

 静から動への急の転。

 目に追うことを一時にも許さない、圧倒的な瞬動。

 黒い線が瞬間的に間合いを詰め、唖然あぜんとするルナに旋風のように一撃を振るう。

 境の目の前で、ルナが。ルナが、ルナが。


「やめろぉおおおおおおッ!?」

「わあっ!?」


 境が咄嗟とっさに、ルナをかばって前に飛び出る。

 その庇った瞬間、激しい衝撃に境の体が真横へ吹き飛ばされた。


「ぐっ、は……」


 ドオンと、派手な音を出して、境は家の外壁に叩き込まれた。

 何で攻撃を受けたのかすらわからないほどの威力に、肺の空気がすべて吐き出される。


 痛い。

 痛い。痛い。痛い!


 意識を千切らんばかりの激痛が、叩き込まれた背中から全身へと広がる。

 パラパラと、崩れかけた外壁の破片が地面に降るなか、境はぐったりと寄り掛かるしかなかった。


「え……。あ、そん、な……ッ!?」


 やっと事態を飲み込んだルナも、ただそれに――境が一瞬にしてダウンしたことに呆然とするしかなかった。


「……この速度に付いて来れたなんて。手加減していたけど、凄いね。いやぁ、さすが【測定不能】の執行No. 114が殺られた訳だ」


 けれども、と。ニコニコと穏やかに微笑み続けるカラス。その微笑みは、どこまでも暗い暗いものだった。

 でもね、と。カラスが付け加えた。



「そのナイト君は、もう戦闘出来ないようだけど」



 倒れ伏した境に、興味を失ったように言い捨てて。棒立ちのルナにクルリと振り返る。


「さてさて、本題ですね。ルナ・サンライズさん。……いや、ですかね。まぁこんな時間も惜しいので……」


 そこで間を開けて、心からの満面の笑みで。


「さっさと、首をお土産に持ち帰ることにします」


「ッ!!」


 ルナは、キッと、前を睨み返す。

 自分は、例え、もしも相手の方が強いと感じても、諦めずに全力で立ち向かっていける。


 ――と、思っていたのに。


 なんなのだ、この差は。


 目の前の敵は、ただただ笑っているだけ。


 それなのに、それだけなのに。


 笑う敵の全身から威圧が立ち上ぼり。


 ――圧倒的な悪意と殺意が、今もルナを殴り付けていた。


 その黒い感情に。ルナはビクッと肩を大きく揺らし、怖じける。


「……ッ、ぁ、ぁあ……。あああ……ッ!?」


「そのまま動かないでね? 綺麗に斬れないからさ。見映えは大切でしょ?」


 ガクガクと震えるルナに、カラスが優々ゆうゆうと歩いて近付く。

 そして、ルナの命を刈り取ろうと手を振りかざす。その時。


「まだ……。まだ、勝負はついていない!」


「「!?」」


 驚く二人がその発声された方を振り返る。


 そこには。

 境が、立っていた。

 しっかりとした足で大地を踏みしめ、鋭くカラスを睨んでいた。


「……これは驚きだよ、ナイト君。その執念深さはどこから来るのかな?」

「…………なら、きっとこうすると思ったから」

「ん? よく聴こえなかったな。……まぁ良い。でも、君はもう死にそうじゃないか。そんなに早く死にたいなら、ナイト君から先に逝かせてあげよう」


 そう言って、口元を歪ませながら方向を変えて境へ向かって歩き出す。


 もう、勝負はついていた。


 誰がどう見ても、カラスは格上だった。境がいくら強くても、そのくらいじゃ子供同然に見えてしまう。

 そんな無傷でも勝てない相手に、けして小さくないダメージを負った境が勝てるはずもない。

 そんなの境が、自分自身がよくわかっていることだろう。なのに。


「……ん?」


 カラスが眉をひそめる。

 なんと、以外にも境は口の端を吊り上げて笑っていたのだ。


「どうしたのかな、ナイト君。あまりの絶望に気が触れてしまったのかな? 元々君は標的じゃなかったし……、泣いて許しを願うなら見逃しても良いんだよ?」


 その提案に、境は鼻で笑って突っぱねる。


「ふん。そうさ、は標的なんかじゃない。――泣くのは、貴方だ」


「―――ッ!?」


「おっ! やっとあの二人が【転送】出来たみたいだよ!」


 驚きに目を見開くカラスに、後ろにいたルナが声を弾ませながら境に伝える。

 その顔は輝いていて先程の怯えの欠片もない。


 この二人は、何を言っているんだ。

 転送?

 何の事だ。

 なぜ、そんなことが言える。

 この顔は、演技か。

 じぶんを油断させる演技なのか。


 いな


「――今までのが、全て演技だったのかッ!」


 そう気づいた瞬間。


「なぁ……ッ!?」


 またあることにも気がついた。

 カラスの視線に映る境とルナが……ぐにゃぐにゃとゆがみ始めたのだ。

 着ている服が。髪が。輪郭りんかくが、全ての焦点が歪む、歪む。


 まるで、炎の湯気のように。


 まるで、極寒の地に降り注ぐ霧のように。


 そして、再びその焦点が合わさった時。

 カラスは目を剥いて、大きな声で叫んだ。


「何なんだ、お前らわぁああああッ!?」












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