第4話 黒髪の少年

「――キャアッ」


 僕―――『神風かみかぜ  しゅん』は、いきなり背中を強い力で押されて前に倒れた。


「~~ッ。痛ぁ……」


 どうやら鼻をぶつけたらしい。

 鼻血は出ていないもののジンジンとした熱い痛みが残っていた。

 そんな鼻を軽く手で押さえながら。すぐに、押し出された方を這いつくばったまま首だけを動かして見上げる。


 またいつものように無防備な状態で蹴られたらたまったもんじゃない。

 蹴られたくない。

 あんなに蹴られたら、痛いよ。恐い。


「お、おい。大丈夫か?」


 何か声が聞こえたような気がしたが、他の事を考えていた僕にはうまく伝わらない。

 すると。


「なぁにが、だよ。あんな声出して、女子かっての」


 ああ。

 予想道理の、鼻ピアスの男子生徒の登場に少しだけ眉を下げる。

 その後ろには彼といつも一緒にいる友達もついていた。


 彼らを見たとたん、生徒たちは関わりたくないとでも言うかのようにすぐに離れていく。

 あっという間にドーナッツ状の即席観客場が出来上がった。そのポッカリと空いた真ん中に僕とその三人組がいる状態。


 それを気にした様子はなく鼻ピアスの男子生徒は、僕をゴミをみるかのように見下しながら僕に言い落とす。


「ったく……。倒れたのは俺らのせいじゃねぇぞぉ? お前が試験の時に、俺らのいけにえにならないッつーからしょうがなく押したんだゼ?」


 すると、彼の後ろに居た二人が下品な声をあげて笑い出す。ゲラゲラゲラ、と。何がそんなに楽しいのだろう。僕には……無能な僕にはわからないよ。

 目の奥でツンとするものを感じながら、先程の事を思い出す。


『なぁなぁ、お前』

『ぇ? あ、え、ぁうん! ど、どうしたの?』

コレしけんのときよぉ。お前、俺らと来いよ』

『……! い、いいの!?』

『そー言ってんだろうが』

『やぁったぁ! 嬉しいなぁ……! やっと僕も君の友達にな――』

『――そこでよぉ。お前の役目決めてんだよ』

『……え?』

『もし俺らが敵と戦うことになったとき、かわりに敵の攻撃受けてくれよ』

『…………ぇ。そ……それってどういうこ、と?』



『決まってんだろ、俺らの生贄になれっつてんだ』



『え――――。そん、なの……嫌――』

『死ねよ』


 確かに。確かに、僕は盾には……痛い役は嫌だと言った。

 誰だって痛い役は嫌なはず。

 だから、僕はおかしいことは言ってないはずだ。……ちゃんと断ろう。断るんだ。


 僕は、ギュッと拳を握りしめ、なけなしの勇気を振り絞るような声で口を震わせる。


「で、でもっ! 僕はぁ――!」

「……ああっ!?」

「ひィ!?」


 しかし呆気なくその勇気は容赦なく潰されてしまった。ただの一言も言えない。そんなことも言えない。そんな自分が、惨めで。寂しくて、嫌いで。

 心の奥から、攻め上がって来る叫びに似た何かを必死に抑えながら、目を強く瞑った。


「――――ッ」


 怖くて、恐くて。視線を床に落としてしまう。押し黙った僕の頭上から満足そうな彼らの声が落とされてきた。


「……そーそ。ゴミはゴミのように俺たちにしたがってりゃあいーの」


 見なくてもわかる、笑いながら見下す三人組の姿が目にうかんだ。

 周りから「ちょっと止めさせてよ」「俺は嫌だよ? おまえいけよ……」「無理に歯向かって死にたくない」などと声がコソコソとささやかれる。


 これは、多分、あの三人組に僕は嫌われているのだろう。

 そんなこと、こんな僕でもすぐにわかるよ。

 こんなのは、仲のいい人に出来る事じゃない。彼らと、僕の温度差が全然違う事だって。長い間、ずっとそばから。影から見ていた僕には、わかるんだ。

 全部、全部、全部。

 わかってるんだ!


 でも。

 それでも。

 僕は、彼らの事を、信じたい。


 信じていたい。


 彼らは、初めて僕に話しかけてくれたんだ。

 一人ぼっちでおどおどしていた僕に。こんなにつまらない僕に。僕の欠点を知ったうえで。


 それでも『なろう』と言ってくれたんだ。



 僕の――友達だって。



 今は、まだなれないかもしれないけど明日なら、明後日なら、本当の友達と認めてくれるかもしれない。

 一緒に笑ってくれるかもしれない。

 汚い言葉を浴びせてこないかもしれない。

 蹴ってこいかもしれない。


 だから。だからさ―――


「そんじゃぁ、俺らの盾になるよなぁ?」



 だから、今は耐えるしかないんだよ……。



「……ッ。……ぅ……ぁぅ」


 そう決めたのに。

 決めたはずなのに。


 口が震える。


 勝手に止めようとしていた涙が溢れてきて。

 頬を伝い、真っ白な床に落ちていく。嗚咽おえつが漏れてきてうまく話せない。


 何故だろう。どうしてだろう。


 嗚呼ああ、そうか――



「ぼ、ぼく……はッ、よわ……い……。だか……らっ、なにもでき……なぁっ――」



 そう心が折れてしまう、その寸前。



「――勝手に決めつけてんじゃねーよ」



 リンッと、通った声が響いた。


 その声と共に颯爽さっそうと現れた黒髪の少年は。僕に背を向け、守るように僕と三人組の間にわり入った。

 少年に、教室中の視線が集まる。

 一方、少年の出現にあっけにとられていた鼻ピアスの男子生徒だったが、すぐに我に返り身構えた。


「な、なんだテメェ!」


 男子生徒が少年を睨み付けながら吠える。

 しかし、黒髪の少年の目には曇りが一切なく、強い意思を感じる光を宿していた。

 そしてはっきりと。


「嫌がってんだろ。やめろよ」


 男子生徒らは、一瞬その少年の目に怖じいた。が。

 そのうち男子生徒は人数で有利だと思ったのかひきつった笑いを浮かべ始めた。


 自分より背の低く細身の少年をじっくりと見回し、自分達より弱そうだと思ったらしい。


 そう思った男子生徒らは、調子に乗り、目の前の少年を囲み始める。


「あ、ああ? 俺らはぁ、ただぁ友達と遊んでただけなんですけどお?」


「はッ。あれが友達? ―――ざけんな」


 そのとたん、少年の雰囲気が氷点下に達した。雰囲気だけではなくその場までもを凍らせる。

 只者ただものではない存在感がそこにあった。


 しかし。立場なのかプライドなのか、顔が血の気を引いた真っ青な男子生徒らは震えながら。最後の切り札を出してきた。


 僕に指を指してそれを、言う。


 ……言ってしまった。



「だ、大体あいつは、……【無職ノージョブ】なんだぜ?」



 その言葉に、僕の周りに居た生徒たちが反応してしまう。


無職ノージョブ】。―――それは、この世界にたった二,三人しか起こらないという、とてもまれなケース。その名の通り【職業ちから】が無いのだ。


 そのせいだろうか、周りの人の目が集中してくる。

 それは、どれも気持ちの良いものではない。

 まるで、動物園の檻の中に閉じ込められている珍しい動物を見るような視線だ。


「あっ。ぁあ………ぁ……ッ」


 クスクスと笑う声が聴こえる。

「可哀想」と、哀れむ声と。そこに確かに混じる侮蔑ぶべつをはっきりと感じる。


 嫌だ。やめて。辛い。恥ずかしい。



 ―――もう嫌だよ。



 情けなく嗚咽を吐きながら泣く。


 同時に、僕の目の前の黒髪の少年がゆっくりと振り向く。ゆっくりと。


 どうせ彼も僕を笑っている。


 そうに決まってい―――――


「…………ぇ」


 少年は、黒髪の少年は。


 ――笑っていなかった。


 大丈夫だから。安心しろよ。そう言っているかのように、彼の黒い瞳は綺麗な光を反射させていた。

 僕は、目を驚愕に見開く。その時。


「ギャハハハハハッ」と、下品に笑う声が辺りにばらまかれる。

 男子生徒たちが、調子に乗り、僕に指差して無遠慮に爆笑しているのだ。


「ハハハハハっ!! そーんなかっわいそーな、ボッチ君を近くに置いといてやるだけで感謝してほしいぜぇ!!」


 僕がその言葉のせいでまた溢れて流れる滴が、床に落ちるよりも。速く少年が反応する。

 キュッと、足を垂直に回転させて、その足に力を込める。さらに、鋭い目付きが男子生徒えものを捕らえ。振り絞られた腕が真っ直ぐに獲物へ弾かれ―――


「んなことっ、言うんじゃぁ――」

「――やめてッ」


 男子生徒らに触れる寸でのところで少年の拳がとまる。拳圧けんあつで、男子生徒の髪が後ろへとたなびいた。


 とめたのは―――この僕だった。


「な―――」

「もう、やめてくだ……さい……」


 僕は少年の背中にしがみつきながら弱々しく続ける。


 何で、僕が彼をとめたのか。自分でもわからない。


 ああ。でも、もしかしたら。


 もしかしたら、僕は、まだ、未だに『友達になれる』と言う希望を持ってしまっているのかもしれない。その遠くかなわない希望が。この行動を起こしたのだろう。


 男子生徒らは、寸どめの拳を受けてしばらく口をパクパクさせて放心していたようだったが、やっと状況をわかって来たようだ。

 パシンッと、前に居た鼻ピアスの男子生徒は僕にとめられた彼の拳を荒々しく払い落とす。


「…………」


 それでも、睨み付ける事しかしない少年をみて。

 男子生徒はニヤリと口の端をつり上げた。


「……は、ははッ。ほぉーら。本人もそう言ってる事ださぁ。そんじゃぁなあぁ~~」

「……ッ」


 ニヤニヤととても満足そうに男子生徒はその場から去っていく。

 それを見てその後ろにいたその男子生徒の友達が、ゲラゲラ笑う。

 そして雰囲気の悪い男子生徒らは笑いながら人だかりに消えていってくれた。まるで嵐が過ぎ去ったあとのようだ。

 声を押し殺して見ていた周りの生徒から、ホッと安堵の息が漏れたのが聴こえた。


 しかし、去ったあとも黒髪の少年は動かない。

 お礼を言いたかったのだけれど。

 もしかして、さっきのが怖すぎて動けないのだろうか。それならば大変だ。


 僕は、彼の背中から手を離しておどおどしく声をかける。


「あ、あの大丈―――」

「お前ッ」


 声をかけた、その瞬間。バッと少年は僕の方へ振り向いた。


 彼の手が僕の肩を痛いぐらいに強く掴む。

 彼の目に浮かんでいるのは、恐怖でも怯えでもなく、ただただ純粋じゅんすいな僕への怒りだった。

 彼はその鋭い目付きで僕に怒鳴るように問う。


「なんで言い返さないんだよ! ムカつかないのかッ!?」


「え⁉ あ、いや。で、でも、しょうがないんだよ。…………僕なんかだから」


 やはり、おどおどと弱々しく言ってしまう。

 そんな僕に彼は、一瞬、目を見開き、そしてすぐに顔をしかめた。

 彼の手が、僕の肩からスッと離れていく。


 そして。言われた。

 帰りぎわに、吐き捨てられるように。

 でも、しっかりと、確かに。


 いや、―――はっきりと聞こえただけなのかもしれない。



「―――ッ。お前みたいなやつは嫌いだ……ッ」



 色が。僕の視界から色が抜け落ちた。


 言い残した少年はそのままきびすを返して離れていってしまう。


 僕は、色を忘れてしまったモノクロの世界で、動けない。息が苦しい。

 どうやって、こんなときどうしたらいいか、わからない。

 すべてが聞こえないその世界で、なにも考えられなくなってしまった。


 なぜか、とても辛い。


 いつも言われ慣れてきた言葉なのに。


 あの黒髪の彼が言った、そのトゲは。


    深く、とても深く、もっと深く心に落ちていった――。





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