第3話 段ボール箱の隙間から

 ……。

 …………。

 そこまでを思い出して。

 境は、呆れたようにため息をついた。


「はぁ……ったく、マフの言った通りになっちまったじゃねぇか」


 頭に浮かべた、してやったり顔の幼馴染みに、小さく悪態をつきながら。

 境は、段ボール箱の隙間から辺りを覗く。


「……」


 薄暗い段ボール箱の中とは打って変わって。覗いた先の風景は、お祭り騒ぎのとてもにぎやかなものだった。

 相変わらず教師たちは踊ったり。跳ねたり。跳ねすぎて飛んだり。そのまま帰ってこなかったりと、なかなかシュールな事になっていた。

 とにかく。あの教師パーティーピーポーたちが境たちに気づく様子はなさそうだ。


「まずは、こっから出ること優先だな」


 境は、そう小さく呟いて。しゃがんでいた片足を前にソロリと移動させる。

 ソロリと移動させてから、辺りをちらりとうかがう。


「……よし」


 大丈夫そうだ。

 境は、誰へとでもなく頷き。またソロリソロリと歩を進めていく。

 ゆっくりゆっくり。

 そっとそっと。

 気づかれずに。

 影のように。

 知らずのうちに拳に力が入っていたのか、手の中のニャン吉が苦しそうにうめく。


「……う、ぐ。ちょ、とキツいぞ。オレを絞め殺しにするつもりか」


「ぇ。あ。すまねぇな」


 急いで、拳を緩める。

 ニャン吉は、「すー、はー」と深く呼吸をした。


「はー。息が吸えるー。こんな可愛い猫を絞め殺そうなんて、男じゃねぇな」

「……いや、男関係ないだろ」


「じゃあ、人間じゃねぇな」


「なお酷いッ!?」


 そう勢いで少し大きめな声で言ってから、境はハッと我に帰り口に手をあてる。



 ――ものの、もう遅い。



「「ッ!」」


 辺りは、凍りついたように静まり返っていた。キィン、とした刃のような鋭さがそこにある。

 視線だけを動かして、段ボール箱の隙間の先をおそおそる覗く。


 その先にいた教師たちは、一斉に見つめていた。

 その視線が、氷のやりのように冷たく射ぬく。

 境は、思わず肩をビクリっと、大きく跳ねさせた。


「――ッ!」


 先程と同じ空間とは、考えられないような空気が、場があった。明るい祭りが、今にも即発しそうな戦場になったようだ。

 しかし――


「…………あれ?」


 ――その多数の槍は、境たちに向けられているものではないようだ。


 その場にいる教師たちの視線の先には。



 ――マイちゃん先生のあらわな水着姿が。



「なぜにッ!?」


 思わず突っ込んでしまうが、生命の危機を感じてそうな教師たちの耳には届かったようだ。


 みんなの視線を自分の物にしているマイちゃん先生は、満足そうに恍惚こうこつとした顔で頷いた。


「わかってる……。わかってるわ。みんな、私のあまりにもの美しさに言葉を失っているんでしょう?」

「「「違います」」」

「あらあら、かくしのツンデレさんねぇ。ほら、こんなに美しい私が水着姿なんて、そそるものもあるでしょうね」

「「「殺気なら」」」

「でも、残念だったわねぇ。もう私には先約があるのよ。私が持っているクラスの如月きさらぎ きょうという格好いい男子が――」

「「「え」」」「嘘つくな妄想野郎」

「あれっ!? なんか今、私、ことごとくフラれたような気がするわ! なぜッ!?」


 段ボール箱の隙間からジト目で妄想野郎マイちゃん先生を流し見ていた境は、目線を前に移し。


 教師たちがパニックになっている今のうちなら、逃げ出せるだろ、と思った境は、またソロソロと移動をしだす。


 あとは、半分開いてあった扉の間に、音もなく段ボール箱ごとすべり込ませるだけだ。


(最初はどうなることかと思ったが、案外簡単に突破できるもん何だな)


 と、境は前を見ながらそう思う。

 それから、後方の教師たちの方に首を向けて。


(でも、さすがにあの間抜け騒ぎはねぇだろ。いつもココ職員室はこんななのか?) 


 少し固まって。


(……。き、きっと何かがあったんだよな。こんなバカ騒ぎ毎日やってる訳じゃないよな。まさか名門高校の教師がそんなわけあるはずない。……ない、よな?)


 段々青ざめてくる境であった。


 そのときだ。教師たちから、こんな言葉が聴こえた。



「いやぁ、そんにしてもやっと来たんだなぁ。『』ッ!」



 ジョブ戦祭。


 その言葉に、境は首を小さくかしげた。


 聴いたことがない。


 祭り、というくらいだから、きっと何かしらの行事だとは思うが……。

 聞き覚えも、馴染みすらもない言葉だった。


 そんな疑問に思っている境に、賑わいを取り戻しつつある教師たちは、口々に捕捉を言い合う。


「そぉだなぁ。何しろ、5年に一回の祭りだからなぁ! 俺は、このために咲宮学園ココの教師になったと言っても過言じゃないッ!!」

「だよなぁ! これがなきゃ、なんのために残業、徹夜当たり前のブラック職業についたかわかんねぇもん」

「いや、それはちょっと言い過ぎだろ。少なくとも、子供が好きだからが理由には入るだろうが」

「そうだそうだ。生徒の成長や、笑顔を見るためだ。その他の理由なんて要らねぇよ」

「「「ウンウン」」」


 謎のキメ顔で言われたその言葉に、ほとんどの教師が頷く。


 境は、振り返ったまま『おお……』と感嘆した。

 境の目に映った教師たちは、みんな真剣な顔で。目にけして濁ることのない決意の光をともしていた。

 先程バカ騒ぎしていた人たちには思えない。


 そこには。


 そこには、子供を愛する立派な教師たちの姿が――


「あ……ああ、わかったって。もうこんなことは言わない。……ハァ。今年は賞金が出るって言うのになあ」

「「「その話を詳しく」」」


 ――いなかった。

 いつも通りの平常運転。


(……、いや、まぁ、わかってたんだけどな? わかってたんだけど……)


 境は失望した視線を金に群がる教師たちに投げながら。前を再び向いてコソコソと進み出す。

 最後にもう一度後ろを振り返り、ばれていないことを確認して扉の出口から行った。


 気づかなかった。


 境は、気づけなかった。


「……」


 その様子を、マイちゃん先生が見ていたことに。


 しかし、その顔には怒りは浮かんでいない。


 むしろ、暖かい笑みで。

 まるで、面倒のかかる子供を見守るような笑顔を浮かべていた。


「まったく……。不器用なんだから。ばれたらただ事じゃなかったわよ?」


 そう誰かに向かって呟く。


 困ったように、でも嬉しそうに、ホッと安堵したように。


 そんなマイちゃん先生を見た教師は一言。


「……うわぁ。なんかニマニマして、扉の方見てるぅ……。ちょっと引く」

「…………ウ、ウフフフフ。ちょっと夢の国に一生永遠に行って来やがれよこのアホバカヤロォオォォォオオオオーッ!?」



 今日も、職員室は忙しい。
















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