第2話 ごくごく普通な朝……な訳がない

 ……。

 …………。

 その日の朝。

 境はいつも通りに学園についた。


 早々そうそうと自分の机にカバンを置いて、なんとなく廊下に出てみる。

 少し早い時間帯な事もあって、廊下に見える生徒の数もまばらだった。


 特別なこともなく、な朝。


 、その時の境は警戒していた。

 なぜなら。


「――だって俺は【凶運】だからなぁ……」


【凶運】。


 そう。境はとにかく【凶運】なのだ。


 例えば。

 ペンキ塗り立てのポストに鞄を置いたり、からの缶が降ってきたり、警察に追われたり。そんなのは日常茶飯事だ。

 もっとひどいのは、試験中にテロに巻き込まれたり。貴族の争いに突っ込んでいったりと……。


「なんで、【凶運】こんなのが俺の【職業ジョブ】なんだろ……。これを持つこと自体がついてねぇよなぁ?」


 一週間たったというのに、未だにハッキリと覚えている出来事を脳裏に浮かべながら、境は辺りをキョロキョロ、世話しなく見回す。


 なぜだか。今日は、不幸なことが一度もないのだ。


 それは、とても嬉しく喜ばしい事なのだが……。日常的に起こっていたものが急になくなると、とても違和感がある。


 例えるなら。いつも歩いている道で、自転車が一台も走っていない事とか。


 本当に。本当に小さな違和感なのだが、気になってしまう。


「……」


 しかし、本当に何も見当たらない。

 境の瞳に映るのは、ただの学園の日常で。

 境はその平和な日常を嬉しく思いつつも、髪を掻きながら、「はぁ……」と、釈然としないため息を一つ。


 そんなとき。


「おっはよー! キョウ君!」


 後ろからいきなり声をかけられた。

 少し驚いて後ろを素早く振り向くと。


 そこには、同じ制服姿の女子が。


 明るい茶髪を、赤いリボンで高めに結び、そのポニーテールが彼女が動くたびにさらりと揺れる。その大きな瞳には、透き通る常夏の海をギュッと詰め込んだかのような綺麗な色をしていた。


 そんな彼女――探見さがみ 真歩まふは、そこでニコニコ笑っていた。


「ん、マフか。……と言うか、朝もあったよな? もう、おはようって言っただろ」


「ええー? それは登校中のおはようだよ。学校内のおはようはまた別腹なのさ! ふっ! キョウ君もまだまだだね!」


 謎の勝利を決めた真歩が、謎のどや顔を決めてくる。それに境は、「挨拶おはように別腹とかあんのかよ」と突っ込みながら。

 境は、いきなり現れた真歩に聞いてみる。


「そーいやぁ、マフは俺になんか用があんのか? あるから声をかけたんだろ?」

「え。あ。うーんと、そこにキョウ君が居たから、つい嬉し……って……」

「え? なんて?」

「…………いやいや、なんでもないよ! そう言うキョウ君は?」


 手をバタバタさせて、話を転換させようとする真歩を不思議に思いながら、境はこれまでの事を話した。


 ………………聞き終えた真歩は、神妙な顔でうなずく。


「へぇ。珍しい日もあんだねぇ。確かに朝は【凶運】じゃなかったしね。そのうち、貯まってた大きいものが、ドーンと来るかもよ?」


 その結構笑えない冗談に、境は頬をひきつらせる。しばらく固まった後、気を取り直すように少し咳払いをした。


「……ん。あ、まぁ。なんかすげぇ変な感じなんだよな」


 境は、「あと……」と付け足す。


「…………ニャン吉も、まだ帰って来ねぇし」


 そう言いながら、境は自分の制服の胸ポケットの中を見下ろした。


 そこには、何もいない。


 そこには、いつも毒舌で、黒くて、毒舌で、人形で、毒舌で、ムカついて、でも頼りになる毒舌の小さな猫の姿はなかった。


 そこに、なんとも言えない気持ちが、じわりと攻めあげてくる。

 喪失感のような寂しさというか。


 その感情がにじんでいる境の表情を見て、真歩も困ったように眉を下げた。


「キョウ君……」

「……ニャン吉は、毒舌だけど、ムカつくけど。飯を横取りしてくるけど。燃やしたいけど――」

「ちょっ、ストップ、ストォープッ! 悪いことしか言ってないじゃん! あと、人形のことを言ってんだよねッ!? 人形って喋らないよねぇッ!?」

「――でもな」

「無視かーい」


 少し間を置いて、境は何かをこらえるように。この感情に戸惑うように。ゆっくり、でもしっかりと伝える。


「ニャン吉は、俺の大切なパートナーなんだよ」

「……キョウ、君」


 真歩も、小さな唇をピタリと閉じる。

 境にとってのニャン吉の存在の大きさを知り、同じように悲しんでいるようだ。


 そして、冷たく乾いた北風が。五月の暖かな廊下を塗り替えようとする。


「「……」」


 そんなとき。


「……?」


 たったったったっ、と。

 境たちの少し前を小さな影が横切った。そのまま、少し開いていた扉の奥へと消えてしまう。


 境は、その出来事に固まった。


 こんな事、すぐに起きるとは。再会できるなんて思ってはいない。

 けれども。

 その影が、まるで……。


「すまねぇ、マフッ! 用事が出来た!」


 考えたときには、もうからだが動き出していた。

 口速くちばやに真歩に別れを告げて、黒い影が消えていった部屋へと走り、身を滑り込ませる。


 滑り込んださいに、真歩が何かを言ったようだが、集中している境にはよく聞き取れなかった。


「えッ!? キョウ君、どうしたのッ!? と、いうかその部屋は職員し――」




 その部屋は、朝だというのに真っ暗だった。

 カーテンで、柔らかな日差しがことごとく遮られているようだ。お陰で、周囲すらあまり見えやしない。


 境は慎重しんちょうに歩を進めて、手当たり次第に証明のスイッチを探す。

 壁についた片手を、横へ横へとスライドさせていく。


 その時。唐突に。


「くくく……っ」


 前方から、笑い声が聴こえた。

 暗くてよく見えないが。目をこらすと、小さな輪郭りんかくが、ぼんやりとあるのがわかった。


「!! 居るのか、ニャン吉ッ!?」


 その問いに、笑い声は答えない。


「オレは、大切なパートナーだってな? よくあんな恥ずかしい台詞セリフを。 キョウ、毒キノコでも食ったのか? キモいぞ」


「………………」


 この毒舌は、間違いない。

 なんか、とにかく人の言ったことを繰り返すこれは、間違いない。


 そうジト目で考えていると、壁にえていた指に、何か固いものがぶつかった。

 スイッチだ。

 そのスイッチを迷わず押して、パチリと電気をつける。


 暗いのが突然明るくなったからか、太陽のような眩しさをこらえながら辺りをゆっくり見回す。


 目の前に現れるのは、教室にはないはずのパソコンや辞書が乗った沢山の机。コーヒーメーカーやコピー機。


 そして。前に視線を向ける。


 そこには。

 紙を持って。

 手のひらサイズの小さな猫。

 しっかりと短い二本足で大地を踏み。

 アーモンド型の金の瞳が黒い毛並みに映える。

 顔には、これでもかというほどの意地の悪そうな笑み。


「いや、まぁキモいのは元からか。んー、でもオレが居ないうちに更に拍車はくしゃが掛かってるようで」


「ニャン吉ぃいぃいいぃぃいいッ!!」


 ドドドドドーッと、境がニャン吉に向かって突進するような勢いで抱きつく。


「ムギュ」

「お前、どこいってたんだよッ!? 家出したんじゃねぇかと、こっちは……ッ」

「……心配かけたな、キョウ。ちょっくら、カラスをしばいてきたんだ」


 境が、不思議そうに「からす?」と、おうむ返しをする。

 そうしてから、境は「カーカー」と鳴く鳥のカラスを思い浮かべた。


「ああ。カラスだ。でも、結局は逃げられてしまったけどな」

「あー。カラスね。よくいるよな」

「いるのかッ!? くっ、ついに大きく出てきやがるようになったのか……ッ!?」

「……? いや、毎日見かけるし。いつも通りだろ」

「毎日!? 毎日見かけるのかッ!? キョウ、大丈夫なのかッ!? そんな奴らに毎日会って! 殺されかけたりとか……!」

「はぁ? カラスになんか殺されねぇよ。 そーゆー時は、手でシッシッて追い払うんだ」

「キョウ、ぇええええええーッ!!」


 驚いて跳びざするニャン吉に。呆れる境。

 何だか話が噛み合っていないような気がするのだが。


 その時、カサリと紙が音をたてた。

 ニャン吉の持っていた紙だ。


 ――そういえば、こいつ、入るとき、こんな紙持ってたっけ?


 境はその紙を見つめながら、ふと思った。


「なんだ、その紙」


 すると、ニャン吉はいつにも増して、真面目な面持おももちになる。

 それは、その紙がどれだけ大切なものかを表していた。


「ん? これか? これはな……この学園に関わる超重要な情報なんだ。これがなければ、次の戦いでは生きて帰ることは出来ない」


 ごくり……、と。

 ニャン吉の説明を聞いて、緊張し喉がなる。


 そうか……。

 ニャン吉は、この学園に危機などが迫っている事を突き止めて、それに関しての情報を集めてたのか。

 みんなを助けるために。

 影で動いていてくれてたんだ。


 ニャン吉から手渡されたその情報紙に、目を通す。


 そこには。

 名前記入欄や、問一といいちという文字。そのあとに文が続き、答え記入欄とかかれた四角の中には、先生の字と思える言葉が。それが、何個も続いている。

 と、いうか。この問題は見覚えがある。確か、マイちゃん先生が『ここ、次のテストに出やすいわよー』とか言ってたと


「――これ、次のテストの答えじゃねぇかぁあああああああああッ!?」


 境は、紙を地面に叩きつけて吠える。

 ニャン吉はそれを素早く回収して、境に向き直った。


「だから言っただろ。この学園に関わる超重要な情報だって」

「いや、まぁ確かになッ!? でも、こんなのってんのが、先生にばれたら死ぬから! 俺が!!」

「安心しろ。オレは、死なない。」

「だれか、人形を処する憲法をつくってください!」


 そう喚いていると。


「んん? だれか、居るのかな? あと、どうして電気ついてんの?」


 バッ、と。前の扉を見ると、教師らしき人の姿が。まだ境たちに気がついてないらしく、辺りを見回している。


 ――やべぇ! ここは、職員室ッ!? 


 ニャン吉を手に握りしめて、身をかがめ、隠れるところを探すと、近くに大きな段ボール箱が。


「……!」


 ……。

 …………。





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