第5話 現実世界の裏側へ
……土。
湿った土の匂いがした。
匂いが通り抜けていく風に運ばれて、髪を撫で。頬を撫で。そして
そのまま風は吹いて行って。周りにあるらしい葉を、さやさやと
「…………」
そっと目を開く。
すると、真の前に広がるのは。
「森……」
地面は、柔らかくなった木の
その自然の光景に、境は小さく喉を鳴らし、のみこまれる。
そんな素晴らしきかな世界にただ一人。
そして
「――じゃねぇ! 歩み始めてない! 俺はまだ一回も死んでねぇ! ここ、どこだ⁉ 教室にいたはずなのに……⁉」
境は一声吠えて、それから
しかし、視界に入るのはただただ
境は、頭に手を乗せて。力なく空を仰いだ。
「うーん……一体、何が起こってんだよ……?」
*:*:*:*
「とにかく、ここはどこか知る必要があるな。どうしたら帰ることが出来るのか考えねぇとな」
境は、まず頭の中を整理しようと、近くの木の下にあぐらをかいて座っている。もさもさとした芝生が気持ちいい。
「……まず。明らかにまずココは俺の住んでる近くではないよな、森なんてなかったし。あとは、どうやらこんなとこに来ちゃったのは俺だけらしい。誰もいねぇ」
なぁんで俺、こんなとこに来ちまったんだろうなぁ。と、呟きながら芝生にもさっと
「マイちゃん先生の【転送】か……? ん……いや、でも、マイちゃん先生の【
また振出しに戻ってしまい、無言になる。
無言からの、目を大きく開けて
境は、仰向けになった体を起こしながら「そうか……、そうだったのか……!」と何かがひらめいたように言う。
「そんな簡単なことだったのか。なるほどな。普通なら気づかないはずだな。これは……」
少し、間を開けて。キランと目を光らせながら自信満々に。
「これが、『転生』っていうやつなんだろうっ!!」
とんでもない結論を言い放った境は「うんうん」と納得したように何回か頷いた。
「なるほどなぁ。シュンに
そーゆーのは、本だけだよ、と境に突っ込んでくれる幼馴染は今は居ない。よって、境はそのありえない結論を更に深く深く考えていく。
「やっぱ、こういう転生って元の世界で死ぬんだよなぁ。俺、なにしてポックリ逝ったんだろ」
境は、顎に手をあてて少し前の事を考える。
確か、マイちゃん先生が「ご褒美あげるわー」とか言って。目の前にご褒美の入っている黒い箱を出されて。それで。
「…………え? それで死んだの?」
これ以上何も思い出せない境は、白目を剥いた。
明日のニュースや新聞などには、きっとこう載る事だろう。大きな字で。トップに。堂々と。
『男子高校生、謎の急死。死因、ご褒美の箱に手を入れた事か⁉』
「だせぇぇえええええええーーっ⁉」
境は頭を両手で抱えたまま天を仰ぎ、体をのけ反らさせた。
「マ、マジでそれはださすぎる。うう……。全然ご褒美じゃねぇじゃん。いや、でも多分俺の【凶運】も関係してんだろうけどよ……。ああ、せめて俺、死ぬときに変な顔してないよな?」
そうブツブツ独り言のように言っていた、その時だった。
ズ……、と。
それは、突然に。なんの前触れもなく。
油断しきっていた境の頭上に、何かの影が射す。
境が、ふと顔を上げると。
そこには、境の二倍をゆうに
もふもふとした綿。
頭には柔らかそうな丸いクマの耳が縫い付けられて。
そして、大きなかわいらしいボタンの――
「いや、ただのでけぇ
(……ん? そういえば、こいつ、さっきまであったか? なんだか動いているように、見え――)
その瞬間、境の「ただの人形かよ⁉」という言葉に反応したのか。目の前のクマがザッザッと土をならす。それから。
「それから?」
バッ、と。
「バッ、と?」
高く
「クゥマァァアアアアアッッ!!」
「ギャァアアアアアアアアアアアッッ⁉」
降って来て潰される、その一瞬前に。横側の地面へと、大きく跳び出す。跳び避けるときに、足をかすった人形の感触があった。
――どぉん……
そう鈍い落ちる音と共に、境は地面を転がる。二回転くらいして、勢いがなくなってきたところで、境がバッと立ち上がりすかさず身構える。
「クゥマァァ……」
目の前の
(なんで、人形が!? こんな……。と、とにかくヤバいな。森は足場が悪いし、こっちには土地の
そこまで考えていると。
立ち上がった巨大なクマが、
「………ぇぁんで」
と、口を動かした。
「え? しゃべんの?」
目を点にさせて「まぁじで?」と、もはや
「……えぁんで」
同じような声を発した。
まるで、言葉を言っているようにも聴こえる。
境はそれに素早く気づいて、耳をすます。
「選んでよ」
「――ッ!」
次は、はっきり聞こえた。まるで、舌足らずな少しソプラノのきいた子供の声で。
選んで。
こいつは。このクマの人形はそう言ったのだ。
それに、境は静かに汗を浮かばせる。
(動くこともキチガイだが……さらに、人間の言葉まで話すなんて……⁉ この世界はどうなってんだ……。ここは、どこなんだよ⁉ それに、『選ぶ』って何の事だ? 何を選ぶんだよ⁉)
高速に思考を駆け
しばらく動かないで無言で立っている境を。クマは。
「…………」
――選んでくれない、と受け取ったようだ。
「選んで、くれなぃ、んだ」
「……え?」
境が、その決して良いものではない空気を感じて。顔を剥ける。と。
「選んで。くれないんだ。どぉどうして。なん、で。選んでよ。もう、ひと一人は。独りぼっちは嫌なんだよ。決めて決めてよなんでもするから絶対なんでもするよだから連れってッて選んでよ選んで選んで選んで選んで――」
「お、おい? なんか、ヤバくないか? なんかスゲェ黒いオーラが……」
「選んで選んで選んで選んでえらんで択んで撰んでエランデ――」
「はぁ!? は、羽生えてる! 角も! どこから出したその武器! 魔王とか持ってそうな馬鹿デケェ大剣とかカッコイ……ずるいだろ!!」
「選んでエランデ選んで選んで――選んでくれないなら、千切る」
「千切る!? 普通に『始末する』とか『斬る』とかよりも怖いんだが!?」
そう吠えているうちにも。ズルリ、ズルリと何かを引き摺るような不快な足音をたてながらクマがこちらへ向かって来る。
(あああ……やっぱ、こうなんのか。んー、どうかな。人形相手に戦ったことはねぇけど……)
そこで、境は。
あの誰もが見たら忘れられそうにない、朱色に目を染めながら歩いてくる巨大な人形を見上げ。
恐怖など感じていないような。むしろ楽しそうに口の端をつり上げた。
己の拳同士をパン、と打ち鳴らして。
「そーんじゃ、いっちょ始めるとしようか!」
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