第7話 わからないんだ

 タッタッタッタッ


 空に表示された半透明の画面が、11:15分を刻み。試験から15分経ったことが伝えられている。その横には合格者の人数も表記してあるが、未だ0のままだ。

 そんななか。住宅街の脇道からリズムのいい足音が一人分。……いや、少し遅れてもう一人分聞こえてきた。


 涼しい顔で前を走るのは、如月きさらぎ きょう

 境は、ちらりと頭上の画面を確認する。


(もう15分も経ったっていうのに誰も合格者がいねぇのか。たしか、三キロ地点のとこにゴールの教会があるんだよな? 誰もたどりつかねぇって……。あー……。もしかしたら、地下とか、鍵がかかってるとか、簡単に入れないようになってんのかもなー)


 そのほうがこちら見つけられてない人としてはいいんだけどさ。と、どこかのんびり考えながら。「あ」と、思い出したかのように走りながら首を後ろにひねる。


 そこで見たのは、ずいぶん後ろでゼーゼーと息を荒れながらフラフラと走る人影。境について来た しゅんは、体育着はよれよれになり。視線はうつろで死んだ魚のよう。おまけに走ってんのか酔っぱらってんのかわからない足運び。今にも倒れるんじゃないかと思うほど酷い有り様だ。


 それを見かねた境は、後ろに声をかける。もちろん応援ではなく、催促するために。


「おぉい。シュン。速くしろよ~。置いてくぞぉ~」


 それでも一向にスピードを上げない――限界すぎて上げられない瞬に、境は「はぁ……」と、小さくため息をこぼす。


「……あいつ、持久力じきゅうりょく無さすぎだろ。足が速くても意味ねーよ。……しょうがねぇ。置いてく――――おっ、おい!? シュンがぶっ倒れた!!」


 顔面から倒れた瞬に、境は慌てて駆け寄る。

 近づいた境は、瞬の前にしゃがみこみ、仰向けに倒れている瞬に声をかけてみる。


「大丈夫か? ――って、どう考えてもなんかヤバそうだな……」


 瞬の顔は真っ青で、目は虚ろで遠いどこかを見ている。もう汗すら出てない。いや、もう、なんだかこのままポックリ逝きそうな感じだ。


「……ぅ……あれぇ? 如月きさらぎ君……?」

「お。気がついたか。大丈夫か?」

「うん。全然大丈夫だよぉ……? あ。如月きさらぎ君、見て見てぇ。ほらぁ。あそこにきれいな川があるよぉ……。あ、僕が子供の時に死んじゃったひいおじいちゃんが手ぇ振ってるぅ…………」

「やめろ。いくな! それは三途の川だッ!?」


 虚ろな目で天を指差す瞬の肩を、境がガクガクと強く揺する。しばらくにへらのへらとヤバそうな薬を使ったように笑っていた瞬だったが。徐々じょじょに瞳に生気が戻っていく。


「……あ。あれ? 何を僕は……?」


 ハッと我に戻ったらしい。瞬はそれにほんの少しだけ『良かった』と思った。

 おもわず頬が緩みそうになる。しかし、安堵から緩みそうになったことに気づいた境は顔を思わずしかめた。


 思ってしまった。

 白い部屋で初めて会ったとき、あんなに嫌な奴だなと思った相手に。

 自分とは、まったく反対で、なにもかも反対で、絶対に合わないと思っていた相手に。


 なぜなのだろう。


 なぜそう思ったのだろう。


 なんか気にくわない。


「……ち。足引っ張んな」


 そう言われた瞬は、少し悲しそうに。困ったように眉を下げる。


「でも……その、僕たち、さっき如月君が言っていた【地図展開】のマフちゃんもどこに居るかわかんないじゃん。せめて場所さえわかれば……」


 境は「フム……」と、頷く。


 確かに瞬の言い分はもっともだ。この広すぎるフィールドでは、人探しはなかなか骨の折れるものだろう。


 ならば、諦めるか?

   

(――)


 否。


「――んなわけねぇだろうが。諦めきれねぇよ」


 境は、目に宿る炎を一層強く光らせる。

 前で見ていた瞬が、少し驚いたように境の顔を見て。「わぁ……!」と、憧れるヒーローを前にした子供のように目を輝かせた。


「諦められるはず、ねぇだろ。何もしねぇのは絶対後悔する。出来る限りの事やって、もうやることのないってとこまでやって。そしたら……。そしたら、もし、シュンが思っているようにダメだったとしても、後悔なんかしねぇよ。だからまずは――」


 すこし間を開けて、瞬に顔を向ける。瞬は、境の次の言葉を待つかのように、見つめたまま黙りこくる。


「行こうぜ。行動だ」

「……! うん!」


 嬉しそうに大きく頷く瞬。そんな瞬は、境の顔を見たままポツリと「やっぱすごいなぁ。如月君は。いつかは僕も……あ……でも無理かな……」と呟く。

 境はよく聞き取れなかったので、何気なく、


「あ? なんか言った――」


 か? と、続ける前に。遮られる。その言葉が。


 爆発音によって。



 ――――ドオオォォォォオンンッッ



「「!?」」

 大きな爆発音と共に爆風が境たちを叩きつける。


「ひゃああっ!?」

「――っ!?」


 爆風がまもなく止み、境がゆっくりと腕から顔をあげる。そこには―――


「な――――」


 それは、遠くで。しかし、遠くでもわかる大きな黒煙こくえんがもうもうと空に広がっていた。


 (何があったんだ!? もう、【職業ジョブ】を使った戦いが始まったのか……!)


 そう戦慄する境。境は空を強引に塗っていく黒煙を睨みながら、ごちゃごちゃと爆風により崩れた思考をまとまていく。


(とにかく、あそこが爆発元だろう。それは、一目瞭然いちもくりょうぜんだ)


 行ってみるか? と、興味がささやいている。


 しかし、それよりもはるかに大きく。莫大な音量で――あそこには行ってはいけない。そう直感が警報のように脳内で鳴り響いている。

 わざわざ自分から火に飛び込んでいくこともないだろう。

 今の目的は、ただ一つ。なんだぞ?

 そう叫んでいる。


 だから――――


「き、如月君……?」

「よし。決めた。

「…………え?」


 境はビシッと、方向を指差し言い放つ。


 瞬は、ゆっくりと示す方に視線を移す。そこには、昼時にふさわしい太陽が上で輝いている青空。そしてその奥には、間違いもなく黒煙があがってって。


「ええええええええええええええッッ!?」


 瞬は絶叫をあげた。


「な、なんでさ!? なんでいきなりそうなんのさ! 流れ的におかしいよ⁉」


「はぁ? いや、だって俺、。あーゆー厄介ごとのあるところに


「え⁉ なにそれ!? い、嫌だ! 嫌だよ!? 行かないよ!? 死にたくないもんっ!!」

「あ? そりゃあ、俺だっていきたかねぇよ。でも、そーしなきゃごうかくできないし。……それに誰か怪我してるかもしれねぇ。助けなきゃだろ」


 一生懸命反対を訴える瞬に、境はさも同然と言うように答える。

 そんな境に、瞬は一瞬、冗談ジョークかと思ったが。覗いた彼の目には、あの強い意志が宿っているのが見えた。

 それを見て。

 彼の意志が本物だとわかって。

 完全に行く気だ。とめられないとわかって。

 瞬は、泣き出しそうになる。



「な、何でそう言えるの? 何でそう他人のためにそうやって……。痛いの嫌だよ。如月君は、嫌じゃないの? ……わ、わからないよ。わからない」



 そんな様子の瞬を見て、境はなんだか嫌な予感がした。これ以上、言わないで欲しいと思った。


 何か、小さい何かが。

 せっかく生まれた温かい何かが。

 確実に、壊れてしまうような。


 そして。それは、悲しくも的中することになる。


 瞬は、ポツリポツリとこぼして。最後だけ。


 大きな声でハッキリと前を見ていった。



「僕は、行かないよ」



 瞬は、いった。苦しそうに。


 しかし、ハッキリと。


 いくら境が「行く」と言っても。瞬は絶対に動かないつもりだ。


 それが言葉から感じた。

 瞬が初めて同級生に自分の気持ちを言った。それは少なくとも境に心を開けていることだろうが。しかし、それは境には伝わらない。


「………………!」


 境は目を見開く。しかし、それも一瞬だけ。

 すぐに眉をひそめる。


 ―――境の何かが静かに壊れた。出来たばかりの小さな何かはその言葉により壊れてしまった。


 裏切られたような。なんだか信頼していたものが。


 別に、強制などするつもりはない。けれども。

 こいつなら、瞬なら来てくれる。人が助けを求めるときの気持ちを痛いほどわかってるから。

 そう知らぬうちに思ってしまっていたらしい。

 だから、とてもこんなにも、境の中で裏切られた感が強くなってしまった。

 もちろん、瞬には非はない。

 でも。それでも――


 境自身でもわかる、瞬への視線が冷たいものに変わる。氷のように。これ以上なく。


 それに射ぬかれ瞬の顔が青ざめる。

 そんな瞬に境は低い声で落とした。



「……そうか。ならもういい。来るな」



 そう言うと共に境は瞬に背を向ける。

 頭が、冷たい。冴えていた。

 体が、熱い。燃えていた。


「……ぅ。……ぐぅっ、―――っふぁ」


 遠くの後ろから泣き声を必死にこらえる音がする。


 前は、あんなに戸惑ったのに。

 もう今は、自分でも驚くほど何も感じない。


 何なのだろうか。

 これは、何なのだろうか。

 この気持ちは、何なのだろうか。

 このポッカリと空いた気持ちは。


 境は、二度と後ろに振り向くことはなかった。



 現在、合格者0人。

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