第24話 A.驚くなよ?絶対に驚くなよ?


「私の家の使用人を、そう傷つけないでくれないか」


 そこには。

 白を基調きちょうにしたスーツを着こなした、シワの深い男が立っていた。

 年は50歳くらいだろうか。それでも筋の通った顔は、若い頃がさぞ整った顔だと想像させる。


「お前たち……、随分ずいぶん派手にやられたな」


「だ、旦那様ッ!」

「申し訳ありません! 不届き者の侵入を許してしまいました!」


「…………」


 その男は、まるで何かに怯えるように床に転がってわめく執事たちを一瞥いちべつした。

 そして。

 にこりと柔らかく微笑みかける。


「ああ、気にかけるな。お前たち。失敗は誰にでもある」


 そう優しげな声でなだめられ、執事たちは顔をパッとあげた。その瞳には、尊敬の涙が浮かんでいる。


 その様子を見て、男は小さく頷き―――彼らの左腕に


「「「!? ギ――」」」


 赤く燃え上がる炎は、たちまち彼らの左腕を飲み込んだ。


「「「ギャァアァアアァァアアアッ!?」」」


 いきなり起こったその光景に、瞬たちも言葉を失う。

 絶句している瞬たちの前で。

 訳もわからず叫び、のたうち回る執事たちは、階段の冷静に最上で見下ろす男を睨みあげた。


「グウゥウ……ッ。どういう事ですかァ! 旦那様ァーーッ!?」

「ふ……。何を言っているんだ、お前たちは。失敗は誰にでもある、とは言ったが、だろう?」


 その言葉が放たれた時。

 その執事たちの瞳にあった尊敬の欠片かけらが、くだけ散り。代わりに荒れ狂う怒りが宿やどる。


 みるみるうちに、執事たちの胴に広がっていく炎を冷酷に見下ろしながら。


 男は、平然と。


 哀れむように薄く笑った。


 そして、吊り上げた口はそのままに。言葉を続けていく。


「ああ、なんと嘆き悲しい事かな。こんな子供にすら力がおとるなど。……要らないのだよ」


 男は暴力的にそのドス黒い笑みを更に深めて。



「そんな役立たずの恥さらしは、我が家――『サンライズ家』には、要らないのだ」



 狂っている。

 その場にいる、誰もがそう思った事だろう。


 執事たちは、全身に燃え上がる炎のように憤怒の表情で睨みあげるも。もはやそれしかできない。

 力が抜けるように、膝から崩れ落ちる。


「ぐ、ゥう。クソォ。クソォオオ……ッ!」


 両手を付いた絨毯に、ポタポタと水が落ちていく。体から、力と言う力が。生きようとする生命力が。全て炎に燃やされ散ってしまうようだ。


「結局……。結局、私は、私たちはァ。貴方の道具でしか、なかったのかァアアア! だからあのお嬢様も……! 信じていたのに。クソォ。クソォオオッ!」


 涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃになった顔をみっともなく怒りと憎悪と。何しろ悲しみに染めながら。

 そんな顔を上げながら膝を付き泣きじゃくる執事たちを、男は冷たく見下ろした後。


 男は、ふ……、と。

 鼻を鳴らした。


「ほらほら、お客様が待っていらっしゃる。ゴミはさっさと、塵芥ちりあくたになったらどうだ」


 その言葉に。



「「――いい加減にしろ」」



 その声と共に。

 執事たちの体を焼き付くそうとした炎が、消える。


「「「!?」」」


 まるで相殺し合ったように、嘘のように消えた炎に。見ていた男はおろか、目の前で起こった執事たちは、目をパチクリさせた。

 すぐに我に返った男は、視線をスライドさせて瞬と真歩を見る。


「―――」


 居た。

 確かにそこに居た。

 ―――大きな赤いリボンの女が。


「!? ど、どこに―――」


 もう一人は。

 さっきまで視野に居たのに。

 そう焦る声を出すと同時に。

 ゾワリ、と。背後に冷たい物が駆け上がる。


「チィッ!!」


 腕を振り上げて、その手の平から赤い光が集結し――後方に炎の丸弾を撃ち込む。

 同時に、大気が割れんばかりの爆破音が溢れかえり、辺りが水蒸気に包まれる。


 入った――。


 男は、水蒸気の先を見据えつつ、ニヤリと笑う。


 確実に入った。手ごたえがある。いくら防御の強いやからでも、この戦車を溶かす高温には耐えられないであろう。

 体の原型はもちろん。骨の髄まで残すことはない。


 手でパッと、水蒸気に一閃を造り、消滅させる。

 真っ白い視界が開かれたそこには。


「……」


 思い通り、何も残っては居なかった。

 ――自分にかぶさる影以外。


「うぉおおおおおッ!」

「な、なんだとぉッ!?」


 頭上に、流星群のごとし飛び落ちてくる瞬に、たまらず男は目を剥いた。

 そして、すすべも無く、その驚愕に固まるその顔に。瞬の強烈な膝蹴りが。


 通り抜ける。


「…………え?」


 そう、通り抜けたのだ。

 男の顔を、何も手応えの無く、スカッと。実体を持たない煙のように。炎の熱から発生した蜃気楼しんきろうのように。


 蹴りが空振りしてしまった瞬は、赤い絨毯の上に膝を折って静かに着地。

 そのまま視線を流し、後方に向けると。そこには首から上のない男の姿が。

 男は……いや、男の姿は、ゆらりとくうに存在を溶かしていき。そして、姿を霧散させた。


 それに目を見張り、一瞬、動きが止まる。


 その一瞬を、敵は見逃さない。


「――どこを見ているんだね」


「ッ!?」


 ――バアァンッ


 その瞬間、瞬の真後ろで何かが爆発を起こした。圧倒的な熱量が背中を焼き付くす。

 瞬は、反射神経的に、地を蹴り上がるが――


「ぐぅぁああああッ!?」


 瞬はその大気を震わせるような爆風に逆らえず、吹き飛ばされ、艶のかかった木製の手すりを破壊し。二階から一階の玄関ホールへ転がり落ちていった。

 あまりにも唐突なことで着地にも失敗し、絨毯に何重もの波を押し作りながら、勢いに任せ身で地を削る。

 そのまま、真歩の足元へ転がっていった。


「えっ!? キョ――」

「ぐ……ッ。クソ、油断したよ……」


 心配げに瞳を揺らしながら近づいてくる真歩を、瞬が手で制し、重い膝を地から引き離した。


「それのしても、さすが火の【職業ジョブ】の『サンライズ家』って事だね」


 瞬は、皮肉ひにく気に上を見上げながら。

 じわりと浮かぶ汗に口の端から混じる朱色を、袖でグイッとぬぐう。


「……」


 ビリビリと。

 張りつめた空気が痺れるくらいに肌に感じる。

 どうやら、先程までいた執事たちは、ここから無事に逃げ出せたらしい。

 もうこのフロアに存在するのは、シャンデリアに照らされた三人の姿だけだった。


「……そう言えば、まだ聞いてなかったな」


 不意に重苦しい沈黙を破ったのは、男の言葉だった。


「お前たちは、なんの用件があってここに来たんだ。この私と一手交えるためではなかろう?」


 ちらりと真歩の方を一瞥いちべつし、立ち上がった瞬を見下ろす。


「話があるんだよ。……この子とのね」


 そう言って、ドン、と。真歩の背中を押し出す。勢いよく押された真歩は、 グラリと傾き、そのまま前へ一歩、二歩出た。


「わッ!? わ、わッ!!」


「……なんだ、その女は。見覚えが無いぞ?」


 男は改めて、真歩を見下ろすが記憶に引っ掛からないようで、顔をしかめた。


「どこぞのやつかは知らんが、私は今、忙しいのだ。だから遊びには付き合ってら――」


「――ルナの事なら?」


「!?」


 瞬間に、男が身動みじろぎをした。見開かれたその目には、『なぜお前が知っている』と言わんばかりだ。


 瞬は、そのようすを見て。

 フッ、と。

 短く息を吐く。


 まぁ、ここまでもったんだから、上出来と言える範囲だろう。作戦は、成功。


 そんな事を思いながら瞬は、隣で同じように立っていた真歩に、ちらりと目配せをする。

 真歩は、その合図にコクンと、頷き返し。

 その細い指を重ね合わせ、鳴らす。


 ――パチン


 その瞬間。


 瞬の姿が、真歩の姿が。

 揺れる。

 線と線が、混じり合い、鈍り合い、打ち返し、焦点という概念がいねんを消す。


「何なのだ。な、何が起こっているッ!?」


 その奇妙な異常事態を前に、男は石のように固まり、それをただ見つめることしか出来ない。


 そして。



「……うぅーん。やっぱり、元の体が落ち着くよなぁ!」


 寝癖で跳ねた黒髪に、意思の強そうな瞳。

 そこには、あの少年が――境が現れた。



「言っとくけど、体は変わってないわよ? 見かけを変わらせただけだからね?」


 燃えるような赤い髪をなびかせて、美しいながらも可憐な花のような少女――ルナが、境に水差しを入れる。



 その言葉に。ああ、わかってるって、と。少し唇を尖らせながら応える境であった。


 そんな二人を見て、階段の最上に居た男がまた少し肩を揺らす。その目は、二人を見ていたが。すぐに、ルナだけをしっかり捕らえる。見開かれた目が、みるみる殺気を帯びていって。


「やはり、貴様だったのか……ルナァ!」


 ちっ……と、舌打ちをしながら、いかにも忌々しそうに吐き捨てる。


「なぜだ。どうして、お前がここにいるッ!? カラスはどうしたッ!? なぜ、なぜ……!?」


「それは私の力よ、お父様」


 ルナが、静かに言った。淡々と、でも余裕のない緊張した声がホールに響く。



「簡単な事なの。私が以前、氷の粒を調整することで、光の屈折を利用し、あたかも炎があるように見せていた。それと同じように、自分の体の回りに氷を浮かし、色を変えていたのよ」



「小賢しい真似を……! 偽の炎が生んだみにくい技術と言うわけか」


 そのゴミを見るような視線に刺さりながらも、ルナはしっかりと男を見据え返した。

 緊張と恐怖の混じった汗が、頬を伝っていく。


「お、お父様。どうか私を見逃してくれないでしょうか。殺されたくないんです。まだ、やりたいことがあるんです」


 ちらりと、真歩は境を盗み見しながら続ける。


「大切な人に、会えたんです。……だから、『サンライズ家』という家名は捨てますから。どうか、どうかお願いしま――」


 と。

 ルナが頭を下げようとした瞬間。


「――」


 境は、ピクリと指先を震わせた。

 目線を上にあげると、相変わらず男が憎悪に染まった表情でルナをにらんでいる。睨む以外行動は起こしてないし、起こす素振りもない。


 ――しかし。


 では、何なのだろうか。この違和感は。この途方もない寒気は。

 頭に銃を突き付けられているような、もうすぐで致命的な何かが打たれるような嫌な感触。


「ルナ!」


 境は、意識もせずその名を呼んでいた。

 驚いたルナが応えるよりも早く。


 ――ドン!


「キャァッ!?」


 境の伸ばした手が、ルナを思いっきり突き飛ばす。ルナは、よろけて転がった。

 それから刹那もせず。


「――――ぅぁ」


 右肩に、凄まじい衝撃がほとばしった。

 あまりの衝撃に、よろける。

 踏みとどまろうとして、力が入らなくて、そのまま崩れ落ちる。


「な、何をするのよッ!?」


 どうやら、ルナは無事らしい。

 右肩に当てた左手が、紅く濡れていくのを見ながら、ルナの無傷に少し安堵する。


「――――キョウ?」


 ルナが、境の右肩に視線を滑らせ。そして、顔を青くした。

 それも、そうだろう。



 なにせ、相手の肩に穴が空いているのだから。



 階段から見下ろしていた男は、ニヤリと楽しそうに。新しい玩具おもちゃを貰った子供のように顔を歪めた。


「おやおや、まさか時間差起動も見破られるなんて……。ルナの心臓を穿うがつつもりだったが……まぁ良い」


 そして、芝居のかかった声音で、腕を大袈裟おおげさに振り上げながら。

 言うのだ。



「さぁて、ショータァイムといこうとするかね?」

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