第9話 紅
「ァッ……!!」
横腹に靴の先をめり込み、境は苦しそうに声を漏らす。息をつく暇もなく、更に、背中に強い衝撃が来てガクリと地面に膝がつく。
「アグ……ッ。グ……アッ……ッ」
そのまま、追い込みを受けるように鋭い衝撃を、腹に。額に。背に。腕に。受け続ける。そのたびに、白い体操着のキャンパスを塗りつぶすように、砂の茶色と。紅い液体が滲む。だんだん白い隙間がなくなってきて。それとともに、境が地に沈んでいく。
「おいおい。さっきの勢いはどうしたぁ? もう、終わりかぁ? あ。でも動くんじゃねえぞ? この女が死にたくなかったらなぁ!」
「……ッ」
倒れ付した境の頭上から声が降ってくる。
グッと、歯を食いしばりながら上を睨むとそこには、弱そうな取り巻きどもが自分を囲んでいるのが見えた。
しかし、問題はそこじゃない。その取り巻きの一歩後ろに鼻ピアスの男のそばに、真歩がいる。真歩は、首を絞められるように男の腕の中に捕まっていた。
そして、柄にもなく目に溢れんばかりの涙を溜めて……いや、もう、ぽろぽろ流して。
「キョウ君……ッ。もう、いいよッ。ゴメンよ……ッ。逃げてよキョウ君ッ!」
そんなことを言う。境が傷つくたびに真歩は、涙を流して必死にそう言うのだ。
「……泣くな。バカが。俺は、マフにそんな顔をしてもらいたくて……来たんじゃねぇ……」
そんな言葉にも、いつものような力強さはなく、途切れ途切れの弱々しいものだった。
現に、今、境には余裕がない。
取り巻きどもの攻撃力、
さぞ、いいサンドバック状態だろう。
「……ぐッ」
少しずつ、少しずつ、また少しずつ体力が削れていくのがわかる。全身はボロボロなはずなのに、もう痛みすら感じられなくなってくる。打撃を受ける度に、視界が白く点滅する。
肩から腕へと、腕から手首、そして指の先へ流れ出した細い血液に、境は顔をしかめた。しかしそれすらも段々薄くなっていく。
意識に
「ダメだ……ッ」
と、手を砂ごと握りしめる。
(ダメだ。ダメだ。ダメだ。このままじゃダメだ。そのうち異変に気付いた先生たちが止めに来るはず……! だからそこまでは……! しっかりしろ! ダメだ
! ダメなんだ)
ダ………………あれ?
(何が、ダメなんだっけ?)
境は、うつろな目で自分の影が覆いかぶさっている地面を見る。
(何で、何のために戦って……傷ついて……何のために……? まもるもの。たすけるもの。……わかんないな。ああ。眠い。意識が……まぶたが……。いっそ、このまま倒れちまおうか。そうだ、それがいい。もう、もう……なんも、わかん……な……)
何かを忘れてしまうと急速に意識が落ちていく。
まるで、唯一の柱をなくしたような感覚。もちろん柱をなくした天井は落ちるしかない。
視界が揺らいで焦点が合わなくなってくる。
誰かが、必死に自分を呼んでいる。……ような気がした。
よく…、わからな……い…………
視界が反転して、膝をついた状態から前へどさりと倒れる。誰かが、何かを叫んで。それで、周りにいた人が腕を大きく振りかざし……。
その時。
「やめろおおぉぉおぉぉおぉぉおおッ!」
その聴いたことのある声と共に何かがすごいスピードで急接近してくるのを感じた。
そして、誰かに突進してぶつかる音がする。
意識が急上昇し、ハッと顔をあげると。そこには。
驚く取り巻きどもの後ろに、勢いよく倒れる鼻ピアスの男が。その男からいきなり解放されてキョトンとする真歩が。
そして―――
「――――シュン!?」
瞬が。鼻ピアスの男を押し倒していた。
取り巻きもいきなり現れた瞬に絶句している。
たった、その小さな間。
だが、その小さな間。
――――それが、境と外道、両者の
「き、如月君! あとは……!」
「ああ! 任せろっ!」
何があったのか、まだ理解が追い付いていない。だが、瞬が助けてくれたことだけは。これを無駄にしてはいけないことだけはしっかり感じた。
ギンッと、境の目に強い力が戻り、鞭をうつように四肢を跳ねらせる。
手をついていた地面を削るように、前へ殴り上げ。蹴って。
そして、境は目にも止まらない速さで鼻ピアスの男へ飛び出す!
男も反応するが。時、既に遅し。
「おおおおおおおおおおお―――ッ!」
その速さに置いてけぼりにされたまま恐怖に歪む男に、上段回し蹴りを放ち、全力で容赦なく叩き込んだ。
「―――ぐはぁああぁあぁぁッ!?」
鼻ピアスの男は地面に倒れ付し、ぴくぴくと痙攣していたが。あっという間に沈黙をする。思ったよりも、あっけない。
そんな鼻ピアスの男をぶっ倒した境の後ろでは、取り巻きが。
「お、おいどうする!?」「た、倒れちゃった……」「ク、クソ! こうなりゃ俺たちで……!」「いってやらあ!」
なんてほざくので、境は小さく振り向き、悪魔のような黒い笑顔を浮かべて爽やかに言ってみる。
「そうだなぁ。俺も、お前らに、いろいろな言いたいことがあるからなぁ? あんなに殴ってくれたお礼を、何百倍かにして返してやるよ」
「「マジで、すみませんでしたっ!」」
取り巻きどもは、鼻ピアスの男をおいて一目散に逃げ出していった。
それを追うこともなくつまらなさそうに尻目にみてから、境は真歩に向き合った。腰が抜けてへたりこんでいた真歩をグイッと引っ張り起こす。
「………………」
真歩は、俯いたまま、ズンムリ黙っている。
「……マフ?」
不思議に思い、真歩の顔を覗きこむ。すると、境はハッと息をのんだ。
なぜなら、真歩が大粒の涙を落とし続けていたからだ。
「……! ……⁉ ……ぐ。あ、え、おい? な、何で……」
こういうときに何て声をかければ良いのかよくわかなくて境は柄にもなく慌ててしまう。
すると、黙りこくっていた真歩が、パッと顔をあげた。
「キョウ君……! なんてムチャをしたんだい君は!」
「え? あ、ああ。で、でも、マフが助かったからよかったんじゃ――」
「違うんだ! そんなことじゃないんだ! 僕が……僕が心配しているのは……っ。」
真歩は、朝に聞いたような
真歩の顔がぐっと近くに。目が潤み、吐息を感じられるほど近くに寄る。
そして――――
「僕が、心配してるのは……君だ。キョウ君だよ。もう、ムチャなんてしないでくれよ……。……たぶん。僕は、僕はずっと、キョウ君の、事が―――」
「ハイハイ。もうムチャはしねーよ」
なんだか朝のような
すると、説教を出来なかったからか、ムクーッと、真歩は『フキゲンデス』と言わんばかりに頬を膨らませる。その顔は、ほんのり朱が入っていた。
それに苦笑しながら「それに―――」と、言葉を続ける。
「それに、あいつのおかげなんだ」
そう言って、境は少し後ろで気まずそう体を揺らしていた瞬に話題をふる。
「ありがとな。シュン。お前が来てくれなきゃ、切り抜けられんかった。……でも、何で……」
あんなに怖がっていた瞬がなぜ来てくれたのだろうか? そう、境は疑問に思った。
それを、察してか瞬は照れくさそうに。
でも、今度は目をそらさずに言った。
「友達を、助けたいって思ったらね。こう……体が自然に走り出してたんだ」
「友達……」
瞬の言った単語に境は、
その様子を見て、瞬は今言った、自分の言葉に気づきなんとか訂正しようとする。
「あっ、いや、と、友達っていうのは、そ、その―――」
そう顔を赤くし、慌てて、手をブンブン回す瞬の様子を、境はポカンと見て、その後。
「ハハ……」と小さく笑った。そして、右手を瞬へ突きだす。
「……え?」
「これからもよろしくな。シュン」
瞬は、差し出された手をキョトンとした目で見つめる。そして、やっとその意味をわかったのか目を真ん丸にして。でも嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。
はにかんだ顔が、しっかり境を見つめる。
そして、瞬からも、細い手が差し出され――
――その手は、途中でピタリと停止した。
「シュン?」
境は、瞬の顔を見つめる。
その瞬の顔は、白を通り越して嘘のように青白く。
遠くを見ているような目の焦点は、合っていない。
その顔から。口から。一滴の『赤』が流れた。
「お、おい!」
「キョウ君!? そ、その子……!」
差し出していた手に生温かい液体が、ポタタタ……と滴る。
瞬の顔から、
ゆっくり、
胴体へ、
視線を、
落とす。
「――――!?」
そこには、瞬の腹を、一本の細い矢が――
―――貫いていた。
「シュン!?」
「わあぁぁぁあぁぁあ!?」
思い出したかのように崩れていく瞬の体。
地面に広がり続ける紅。
瞬の薄く開いた目には、雲り始める空も。
自分の感情も。
慌てて駆け寄る真歩も。
必死に呼びかける境すらも。
――――もう、何も映してはいなかった。
現在、合格者0人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます