第27話 それぞれの意志



「ルナ。私の元に、戻って来ないか?」


「はぁ?」


 唐突に放たれたその言葉に、境が眉をひそめる。


 何を言っているんだ、こいつは。

 ついに、まともな考えが出来なくなったか?


「おい、ルナ……――――ルナ?」


 ルナに声をかけるが、何も返事なし。嫌な予感が脳裏を一瞬横切って、ルナを流し見る。


「――――」


 ルナは、男を見上げたまま固まっていた。その見開いたルビーの瞳には、あの男しか写っていない。


「はッ!? な、ルナッ!?」

「ッ!」


 ようやくハッとしたルナが、男から視線を外した。でも、しきりに男の方をチラリチラリと見ている。


 まるで、何かをはかっているような。

 まるで、何かと何かを天秤にのせているような。


 そんな姿に、境は不安にあおられる。


「ルナ……? お前は――」


 ルナに手を伸ばそうとする。と。


「触るな!」


 男がいきなり大きな声を出した。素早く見上げると、男はこちらをフラフラとせずに、真っ直ぐ見下ろしている。


 もうあの危なさはない。希望が出来たことに、正気に戻ったのかもしれない。


 男はその顔に、勝ち誇った笑みを張り付けて。


「お前のような奴が、私のルナに触るんじゃない! ルナは、一生懸命に頑張ってきたのだ! 『サンライズ家』のために! そうだ、今までのは、全て……試練だったのだ!」


「し、れん……?」


「そうだ、試練だ! 突き放すようなをすることにより、ルナを鍛えようと! 今までよく頑張ったなぁ!」


 そうペラペラと捲し立てる。やけに『わざと』を強調して、どこか芝居のかかった大袈裟おおげさな身振り素振りで。


 境から見れば、それこそ演技にしか見えない。冷静な者から見てしまえば、一瞬でいつわりだとあばいてしまうだろう。


「お、お父様…………」


 しかし、ルナは男の言葉に驚くほど動揺していた。揺り動かされているように見えてしまう。

 あと、もう一押しで傾いてしまうような。グラリと傾いて、もう戻ってくることの無いような。


 男は、ニヤリと黒い笑みを深くさせた。

 勝利を目前として興奮したように、最後に声を張り上げる。



「お前は、私の自慢の娘だッ!!」



 そう言い放ったその瞬間。


「――お、父様」


 なんと、ルナが動いた。――男へ。

 一歩一歩、フラりフラりと熱に浮かされたように境のもとから去っていく。


「ルナッ!?」


 顔を青くさせた境が、反射的にルナの肩を掴み引き留める。一瞬ルナの動きが止まった。

 ――が。


 ――パンッ


 ルナが振り向きもせずに境の手を激しく払う。はたき落とされて身を膠着こうちゃくさせる境に、ルナがふわりと振り向いた。

 その振り向かれた目は。


「…………!」


 澄み通った美しい深紅のあの瞳ではなく、どす黒く血を連想させるどこまでも濁った瞳になっていた。

 その瞳は、境に振り向かれただけで。もう境を見ていない。


「なに。邪魔をするの。やめて」


 機械質に抑揚のない声で、そう告げる。


「ルナ。本当に、本当に行くのか?」

「……行くわよ。決めたの」


 そう即答し呆気なく捨てる。


「キョウといられた時間。楽しかったわ、それなりに。ありがとう。……それじゃ」


 ぼそりと呟いたルナの声が、境の耳を打つ。


 心の中に、大きな穴が空く空虚間が、境をむしばんで、視界を真っ黒に染める。


 手を伸したまま呆然ぼうぜんとする境を置いて、ルナはきびすを返してきらびやかな階段を、ゆったりゆったり登っていく。


 そうして、境が無言で見上げるなか。ルナは最上に登りつき。そして――


「ルナ……よく戻ってくれた」


 男が、これ以上なく優しい顔で、ソッとルナを抱きしめる。


「はい、お父様……」


 抱きしめられたルナも、嬉しそうに目を閉じた。

 男は、そんなルナの赤い髪を花のように撫でながら、境を見下ろす。


「と。言うことだ。ルナは、私を選んだお前じゃない。さぁ、そこでジッとしていろ」


「…………」


 境はただ黙る。

 その無抵抗な様子に、諦めたと思ったのか、小さく頷いた。

 そして、ルナを抱いた手はそのままに、もう一方の片手を境に向かせていた。


「よくここまで私を手こずらせてくれたものだ……。ゴミはゴミらしく塵になるが良い」


 そう言った男の手の平に、顔と同じくらいの大きさの炎が浮かび現れた。

 その炎の熱気が、男の服をはためかせ。

 ルナの髪をたなびかせ。

 境の肌を照らしあがらせる。

 その小さな球体だけで、この大きなホールをすみ無く、影という影を追い出していった。


 きっと、あれがかすりでもしたら、致命傷は免れない。そんな直感をさせる真の炎。それが今、境に放たれる。


 ――前に。


「お父様、待って」


 男の、その行動に制止の声がかかる。


 ルナが言ったのだ。

 その声で、男が忌々しそうにルナへ振り返った。一応、聞くことはするらしい。


「なんだ、ルナよ。まさか止めるなど言わんよな?」

「言いませんわ、お父様。そんなこと言いません。もう未練はないもの」


 その場から動こうとしない境を横目で見ながら、「ただ……」と付け足す。


「私にやらせてくれませんか? これは、私の問題なのです」


 すこし間を置いてから。



「私が、彼に――過去には別れをしなくては、いつまでたっても意味がない」



 鋭く境を視線でながら、ルナが言った。もう迷っている様子は見られない。真っ直ぐに、強い決心を胸に宣言する姿だ。


 しばしいぶかしげルナを見ていた男であったが、その瞳に宿る意志が嘘ではないことを分かり、しぶしぶ頷く。


「ああ、わかった。そこまで言うのなら……ミスはするなよ?」


 それに返事をするまでもなく、ルナは無言で境に向き直った。


「…………」

「…………」


 二人の真っ直ぐな視線がぶつかり合う。

 境は、どこまでも真っ直ぐに。

 ルナは、どこまでも冷ややかに。


 そして――。



 一斉に動き出した。













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