僕らの将来①

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「よっし、と」


 夜もゆっくりと更け、場所は僕らの泊まっている宿の一階。


 食堂と酒場も兼ねた場所で、父様がどっしりと椅子に腰を下ろした。


 一番大きな円卓の上座に父様、その両隣に母様とトモエ様が座っている。


「明日帰るんだ。忘れ物はねーか?」


「はい。さっき大飛竜ラーシャに全部載せました」


 その後すぐに里にひとっ飛びで、荷物を降ろして一晩寝たらまたここに戻ってくる。


 それから今度は一日に二往復。

 ラーシャは飛ぶのが好きだけれど、さすがに働かせてすぎだと思う。


「チビ達は?」


「ヤチカと一緒にお風呂です」


 父様の問いに母様が答えた。


「森のすぐ側に天然の温泉が湧き出てるところがあるんですって。ウスケに付き添いを頼んでおみんなで行ったみたい」


 今度はトモエ様が私物の急須から人数分の湯のみにお茶を注ぎながら答える。


 あれ、トモエ様のお気に入りの奴だ。

 旅先にまで持って来ていたとは。


「––––––まぁ、都合が良いか。チビ達にはまだ早いからなぁ」


「何がです?」


 ラーシャへの荷積みを終えて休んでいた僕とナナカさんは、父様と母様方に呼び出されてここに来ていた。


 何でも大事なお話だそうで、隣で姿勢を正して座っているナナカさんも心なしか緊張している。


 一体なんの話なのか、僕にはさっぱり予想できない。


 父様だけならまだしも、母様やトモエ様まで一緒な理由は?


「ううん。まぁ、なんだ」


 ん?

 なんだ?


 普段はちゃらんぽらんですぐに人を小馬鹿にして遊んでいる父様が、今日に限ってどこか歯切れが悪い。


「––––––なぁ、シズカ。息子に向かってこんな話すんの、なんだか気恥ずかしくねぇか?」


 父様は照れ臭そうに首の後ろをボリボリ掻きながら母様へと顔を背けた。


「何を言ってるんですか。私達だってお義父とう様やお義母かあ様にこうして教わったではありませんか」


「そりゃあ、そうだけどよ。俺らの時はもっと歳が上の時だったじゃねえか」


 何の話をしているんだろう。

 じじ様と、亡くなったお祖母ばあ様が関係してるの?


「アタシの時は全部姉様が教えてくれたからなぁ。はい、熱いから気をつけてね」


「あ、ありがとうございます。お義母様」


 トモエ様から湯のみを受け取って、軽く会釈をするナナカさん。


 熱いお茶を一口啜り、ほっと緊張を解きほぐす。

 どうやらそんなに畏まった話じゃないと悟ったようだ。


「ほらアスラオ様。家長として、父親として為すべきことを為してくださいまし」


「わかったわかった。あー、もうすこし先の話だと思ってたんだけどなぁ」


 口をへの字に曲げて、父様が机に頬杖をついた。

 鋭い目つきで僕を見て、今度はため息を漏らす。


「あー、タオ坊」


「はい」


 呼ばれたから返事を返す。

 結婚しても坊主呼ばわり。一体いつになったらこの人は僕を男として認めてくれるんだろうか。





「お前ら、初夜は済ませたんだよな?」





 その言葉に一番反応したのは、僕じゃなく隣に座るナナカさんだ。


 大袈裟に身体を揺らして、熱いはずの湯のみをぎゅっと両手で握る。


「––––––初夜」


「ああ」


 僕の返事に相槌を打って、父様は居住まいを正した。


「––––––初夜とは、一体なんでしょうか」


 聞き返したのは僕だ。

 初めて聞いた言葉だから、どうにも理解できない。


「あれ? おいおい、聞いた話と違ぇじゃねえか」


「いえ、合ってますよ」


「タオ坊は言葉の意味を知らないだけだね」


 キョロキョロと顔を向ける父様に、ゆっくり湯のみからお茶を飲みながら母様達が答えた。


「たっ、たおさまっ! え、えっと。あの初夜とは––––––きっ、昨日の夜のことです」


 ナナカさんが僕の耳元に近寄り、こそっと教えてくれた。


「昨日の……夜……」


 ––––––あっ!


 あれかぁ!


「男女が結婚して初めて致した夜のことを––––––初夜と呼ぶのです」


 またも小声で補足してくれるナナカさんの顔は、羞恥の赤で真っ赤に染まっている。


 僕だってそうだ。


 実の父親に『そうなんですよー。昨夜なんてもうすっかり興奮してしまって、もう何が何やらって感じでした。でもでもとても気持ちよくてですね! あんな気持ちの良い物がこの世に存在していたなんて驚き桃の木山椒さんしょの木! 聞き栗栗の松ぼっくり! なーんちゃって! だははははは!!』などと陽気に冗談を織り交ぜてなんて語れるわけがない!!


「ばっ、ばばばば、馬鹿じゃないですか父様は!!」


 思わず椅子から身を乗り出して立ち上がり、円卓を力一杯叩いてしまった。


「落ち着きなさいタオジロウ。何も恥ずることなどございません」


「まぁ、気持ちはわからないでもないけれどねー。仲の良い夫婦なら当然のことよ?」


 母様とトモエ様に優しく諭される。


 でも一瞬で茹だった頭はそう簡単に冷めるはずもない。


「だ、だけど!!」


 そ、そうは言ってもですね!

 親の目の前で暴露されるようなことでも無いと思うんですよ僕は!


 色々無知なこの僕でも、アレは秘めて黙して語るべからずな行為だってことぐらい理解してますから!!


「必要な事なんだって。ほれ、茶ぁでも飲めや」


「っん!」


 そっと押し差し出された湯のみを持って、中身を一気に飲み干す。


「おいおい、そんな煽ったら大変なことに」


「––––––あっづぁ!!」


「ほれ見たことか」


 熱い熱い!

 喉が! 喉が!


「だ、大丈夫ですかタオ様!!」


「げほっ! げほっ!」


 咳き込む僕の背中を、ナナカさんが優しく摩ってくれた。

 くっ、くそう。

 なんか一瞬で喉がカラッカラになっちゃったから、一気飲みしてしまったじゃないか!


 父様め! 父様め!


「まあたったの四日でもうこうまで仲良くやってんだ。恥ずかしいなら答えなくても良いから、済ましたって事で話を進めるぞ」


「がっは! げほっ!」


 相槌の代わりに咳き込むこで返事とした。

 舌も火傷したみたいで、上手く喋れそうにない。


「タオジロウ。心して聞きなさい。これは貴方とナナカさんの––––––稚児ややこに関わるお話です」


 母様がまっすぐ僕の目を見る。

 その顔は至って真剣だ。


 有無を言わせぬ迫力に、慌てて咳きを飲み込んだ。

 母様がこんな顔をすると言うことは、本当に大事な話なのだろう。


 僕は父様については全く信用していないけれど、母様とトモエ様の言うことはちゃんと聞くのだ。


 稚児とはつまり、僕らの子供。


 将来僕とナナカさんの間にできるであろう、赤ちゃんの話。


 なるほど、それはとても––––––とても大事なお話だ。


「––––––ふー」


 椅子に座りなおして深呼吸を一回。

 ナナカさんが心配そうに僕の手を取り、膝の上で包み込む。


 その手を優しく握り返し、僕は父様を強めの視線で見返した。


「すいません。落ち着きました。続きをお願いします」


 僕の返答を聞いた父様は両腕を胸の前で大袈裟に組んで、背もたれに深く背を預けた。


「ナナカには言ってなかったが、俺らは普通の人間ではない。まぁ、昨日の件でうっすら勘付いてはいただろうがな」


 ああ、そういえば。


 ナナカさんには僕ら亜王院一座の者が何なのかを、全く説明していなかったな。


「は、はい。なんとなく、ですが。あんなに強くて––––––不思議な術を使う人を見たことはありません。それに、お母様もアスラオ様の事を『アオオニ様』、シズカお義母様の事を『鬼姫様』と」


「然り」


 父様は左腰にあるアメノハバキリの鞘を少し傾けて、楽しそうに笑った。


「我ら亜王院は古来より連綿と続く由緒正しき青鬼の一族。今世下界こんぜげかいに跋扈する邪鬼供を屠る、戦の鬼だ」


 そう。

 僕の祖先様の更に祖先様––––––七代前に一度途絶え掛けたから定かでは無いけれど、数えきれないぐらい代替わりを経て今代六代目。


 古より影より日向より邪鬼の魔の手から世界を守り抜いた、誇り高き青鬼の末裔。


 それが僕ら亜王院本家である。


「故にその身体の成り立ちは、お前ら人とはすこーしばかり造りが違う」


「と、申されますと……」


 ナナカさんの問いかけに、父様が不敵な笑みを浮かべる。


「まず、俺らは人種族より長命だ。平均して四百年は生きる」


「よ、よんひゃくねん……」


 ナナカさんが目を見開いて驚いている。


 無理もない。


 父様が現在二百歳ほど。

 爺様に至っては六百から歳を数え忘れているらしい。

 まあ、爺様は色々おかしい人だから……。


「それに単純な力を比べてみても、俺らは人のソレとは比べものにならん。『禁』を解いたタオ坊にもし抱かれていたら、お前今酷いことになってるぞ?」


「いっ! 異議あり! いくら僕でもそこまで不器用じゃありません!」


「異議申し立てを却下する。未熟者がほざきよるわ」


 父様が馬鹿にするような目で僕を見て笑う。

 何がそんな楽しいんだあんたは!

 僕だって力の使い方ぐらいちゃんとできるように修行してたんだぞ!?

 大事な人を傷つけるような真似はしません!


 まぁ確かに、『禁』を解いた状態では試したことがないからなんとも言えないけれど。


「––––––それはまた、おいおい説教を交えて分からせてやるとして。今重要なのは、鬼であるタオ坊と、人であるお前との間に子を成すことが出来るか否か、だ」


「––––––で、できないんですか!?」


 ナナカさんが大声を出して、テーブルに身を乗り出して立ち上がった。


 その勢いは隣に居た僕がちょっとびっくりするぐらいで、顔を見ると何だか青ざめている。


「結論から言えば––––––出来る」


 父様のその言葉の後に、母様がにっこりと笑って首を傾げた。


「安心してくださいナナカ。私やトモエも元は『人』でした。でもこうしてタオジロウやトウジロウ、トモエはサエやテンジロウやキララを産み育てています。まぁ、かなり時間はかかりましたが」


 そう言えばそうだ。


 父様と母様の出会いは、聞いた話によると僕より少し年上の頃だった気がする。


 出会ってすぐに結婚して里に入り、トモエ様を迎え入れた後もずっと一緒に居たらしいけれど、僕らが産まれたのはそれからずっと後だ。


「時間……ですか?」


 安心したのか力が一気に抜けた身体を椅子に預けて、ナナカさんが母様に問う。


「はい。変な事を聞きますが、大事な事なのでしっかりと答えてください。ナナカ、貴女昨日初めてでしたのでしょう?」


「は、はい! もちろんです! タオ様が私の初めてのお人です!」


 そ、そう言えばそんな事言ってたような。

 なんだろう。その言葉、とっても嬉しいような。


「全然––––––痛くなかったでしょう?」


「––––––あ、そういえば」


 何か腑に落ちない部分が解決したらしいナナカさんが、僕の顔を見る。


 え?

 女の人って、アレ痛い物なの?


 僕はひたすら気持ちよかっただけだったんだけれども。


「は、初めてはとても痛い物だと書物で学びましたけれど、昨日は全然––––––」


「それは、タオジロウの鬼気のおかげです」


 僕の、鬼気?


「タオ坊は鬼気の扱いに関しちゃ俺のお墨付きだ。鬼ってのはその生命力と回復力に関しちゃ折り紙付きよ。傷なんて己の鬼気でたちどころに塞いじまう」


「で、でもそれは自分の身体に限定される話では?」


 生来、鬼の一族は癒術や癒しの法術が体質的な問題で扱えない。


 トモエ様は特別だから例外だけれど、里に居る人達でも術による他者の治療なんて––––––タツノ先生とモミジさんぐらいしかできない。


 あの二人もまた規格外だから、まあ言っちゃえば誰もできないに等しい。


「ナナカの身体が全く傷んでないってこたぁ、まあたっぷり流し込んだんだろうな」


「へ?」


「おーおー、お盛んなこって。流石は俺の子よ」


「な、流し込んだって……鬼気を?」


 そ、そりゃあ昨日は我を忘れるほどに興奮していたから、少しばかり鬼気の制御が出来てなかったかもしれないけれど、ナナカさんの身体に大量に流し込むほど自制できない僕じゃない。


「まぁ、なんというか。あはは」


 トモエ様が頬をぽりぽりと掻いて苦笑いをした。


「タオジロウ。タツノさんのところで少しは学んでいるはずです。鬼の出す血や体液は、他者にどんな影響を及ぼしますか?」


「血や、体液」


 ちょっとだけ怒っている母様の視線に顔を背けて、少し考える。


 確かタツノ先生曰く––––––。


『いいかいみんな。私達鬼の血や体液にはね。他の生き物にとっては毒にも薬にもなるほど強い生命力が満ち溢れているんだ。だからもし君達が将来里を出て外で暮らす時が来たら、充分に注意を払いなさい。少量ならどんな傷でも癒してしまうから良いが、多すぎると他者に色んな影響を与えかねないからね。最悪––––––ぽっくり死にます』


 ––––––はっ!


「なっ、ナナカさん! 身体は大丈夫ですか!?」


 慌ててナナカさんの身体の色んな所を触って確かめる。


 馬鹿か僕は!

 タツノ先生にしっかりと教えて貰っていたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた!!


 確か昨日、僕はナナカさんの中にいっぱい––––––!!


「えっ、えっ!? たっ、タオ様!? ダメです! お義母様方が見ております故っ!!」


 僕の手を押し返すでもなくされるがままのナナカさんが、口調だけは強く僕を制止する。


「タオ坊タオ坊、大丈夫よ大丈夫。話は最後まで聞きなさい。あと始めるなら後で二人っきりで部屋でやんなさい」


「痛っ!!」


 トモエ様に頭をグーで殴られた。

 しかも思いっきり。


「アンタってば、最近少しぐらい強く殴った程度じゃ効かないのよねー。大きくなったもんだわ。うん」


 殴った手を摩りながらトモエ様が席に座りなおす。


「賢くて優しいのがアンタの良いところだけれど、時々人の話を聞かずに暴走しちゃうのは直さなきゃ」


「す、すみません」


 痛む頭を撫でながら謝る。

 ナナカさんは顔を真っ赤にして、乱れた着物を直していた。


「そういうとこ、アスラオ様そっくりですよ。流石は親子です」


「そうよね。テンジロウも最近似てきたなーって思うわ姉様」


 母様とトモエ様が顔を見合わせてなんだか二人だけで感慨に耽っている。


「理解したみてえだから言うが、夜のまぐわいはどんどんやれ。アレはナナカの身体に子を宿すためのもんだが、鬼の嫁にするためのもんでもある」


 湯のみを持って茶を啜りながら、父様は話を続けた。


「アスラオ様ったら、そんなざっくり。まあ、間違っていないけれど」


「そうですね。夫婦の仲が良いのはとても良いことです。そして一石二鳥どころか三鳥。人の身を無理なくゆっくり『鬼』にする方法はいっぱいありますが、夜の営みは二人の絆を更に強くしてくれます。ナナカの身体に負担がかからない範囲で、存分に愛し合いなさい」


 な、なんだか父様方が勝手に締めに入ってるみたいな空気だけど、僕はまだ半分も理解してないですよ?


「まあ、焦んなくてもこの先長いんだ。子はやがて出来る。今は二人の時間を目一杯楽しめって話だよ」


 二人の、時間ねぇ……。


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