亜王院の角②
森の入り口に一際大きな一本の木が目立つ。
「ナナカさん、上に跳びます」
「––––––え? きゃっ!!」
急制動からの急上昇に、胸の中でナナカさんが短い悲鳴を上げた。
ほぼ垂直に跳び上がり、木の突端付近の枝に着地する。
短くも太い生命力に溢れたその枝はたくましく、僕ら二名分の体重を載せても多少揺れただけで、ビクともしない。
目を凝らし、周囲を注意深く観察する。
妖蛇の巣はどこだ。
複数ある内のいくつかに絞れれば、僕の『鬼術』で内部を探査できるはず。
キョロキョロと忙しなく、だが何一つ見落とさないように注意深く見ていると、森の奥の渓谷の岩肌にボロボロの馬車を発見した。
あれだ。
さっきすれ違ったボロボロの幌馬車。
あの馬車がヤチカちゃんをここに運んだ、伯爵家の馬車に違いない。
「見つけました」
「ど、どこですか!?」
もう一度その華奢な身体を強く抱きしめ、僕は両足を折り曲げで力を溜め、木の枝から跳び出した。
突然の跳躍に驚いたナナカさんが、また身体を強張らせる。
森の上空を枝から枝へ、二度三度と跳び移る。
渓谷付近の上空では鳥型の魔物が何匹か居るが、殺気を込めて睨むと四散していった。
鳥は警戒心が強い。
無駄な争いなどしてる暇なんか無いんだ。
更に更に前へ前へと進み、やがて渓谷の入り口へと辿り着いた。
「あの馬車、見覚えありますか?」
「あ、あれです! 伯爵家の一番古い馬車で、もう廃棄するはずだったのに私たちへの当てつけで使い続けている馬車です!」
なんだ伯爵家の奴らは。
コスいにも程がある。
「少し隠れていてください」
抱えていたナナカさんを下ろして、馬車の御者台へと近づく。
そこにいたのは、いかにもガラの悪そうな中年の使用人だ。
決して良くない誂えのシワシワの服に、ボロボロの頭巾を被っている。
馬車を引くどう見ても老いた馬の手綱を持ちながら、巻きタバコを燻らせて暇そうに欠伸をしていた。
僕は先程
「おい」
「うおっ!?」
声を掛けたら驚いて飛び上がった。
キョロキョロと辺りを見渡して、突然放たれた声の出所を探している。
「な、なんだなんだ!?」
「こっちだ」
ようやく僕を見つけた御者は、顔を見るなり胸を撫で下ろした。
「な、なんだよ坊主。驚かせんなって」
「こんなとこで何してるんだ?」
冷や汗をかきながらタバコを吸う中年御者に少しづつ歩み寄る。
目的はヤチカちゃんの居場所。
今の僕の鋭敏な感覚で感知した結果、すでに馬車にヤチカちゃんは乗っていない。
この御者は、ヤチカちゃんがどこに行ったか知っている筈だ。
「お、おうよ。ちょ、ちょっと野暮用でな?」
僕が一歩近づくに連れて、御者がじりじりと後ずさる。
「そうか。その野暮用ってのは、幼い女の子をここに連れてくる事か?」
「なっ––––––ひっ!」
充分近づいて事を確認して、僕は鞘に収まったままの刀の切っ先を御者に向けた。
少し突き出せば鼻の頭を小突ける距離だ。
「答えろ。その女の子はどこに行った」
父様に比べたらまだまだだし、今の僕は『禁』が施されたままで大した力も発揮できていないが、鬼瞳術はある程度学んでいる。
今放っているのは『威圧』。
抵抗する術を知らないこの御者には、僕の姿がとても恐ろしく見えている筈だ。
ある程度の鍛錬をしている者には殆ど効果は無いが、目の前の御者にとっては心臓を鷲掴みにされているように感じるだろう。
そしてこの瞳術は、かけられた者の本心を暴き出す。
「さっ、さっき! 一刻ほど前に渓谷の中に入っていった!!」
ちっ、遅かったか!
「ここがどんな場所か、お前は知っているんだろう? 止めなかったのか?」
「しっ、仕事なんだ! あのガキをここに送り込むのがっ! 俺の仕事! 」
「そうか。それで? その仕事はどんぐらい儲かるんだ?」
「へ、へへっ。金貨二枚だ! あのガキ一人を妖蛇の巣に放り投げて少し待機するだけで、俺の日当一年分だぜ!? まあ、アイツは俺が睨みつけたら勝手に渓谷に入ってったけどな!」
金貨二枚。
だったのそれだけで、ヤチカちゃんはこんな危険な場所に。
「三途の川の渡し賃にしちゃあ、安上がりだったな」
「へ?」
薙ぐ。
この下卑た笑いが良く似合う男に、貰ったばかりの刀を振るうのすら勿体無い。
鞘に刀を納めたまま、首の付け根を横一文字に薙いだ。
「閻魔の前でも同じ事を言えるんなら、お前大した奴だよ」
「あ––––––くぁああ?」
喉元から漏れ出す空気音。
口から吐き出された奇妙な声と同時に、御者の顔が地面に落ちた。
遅れて吹き出てきた血を浴びる前に、僕は振り返ってナナカさんの元へ戻る。
「た、タオジロウ様?」
「すいません。怖い場面を見せてしまいました。あの男は真性のクズ野郎です。ここで野ざらしにしておきましょう。失礼します」
彼女の返事も待たずに、もう一度その身体を横抱きに抱える。
「ヤチカちゃんはこの先です。急ぎましょう」
「は、はい」
こくんと頷いたナナカさんの顔を確認して、僕らは渓谷の中へと踏み込んだ。
「––––––こ、これは」
ナナカさんが息を呑む。
両側を切り立った崖に挟まれたその渓谷には、無数の穴が空いていた。
崖肌いっぱいに気持ち悪いほど穿たれたその穴は、一つ一つが妖蛇の巣だ。
中で繋がっているかも知れないし、独立してるのかも知れない。
厄介な。
「や、ヤチカ……? ヤチカー! 返事をしてヤチカー!」
張り裂けんばかりに妹の名前を叫ぶナナカさん。
何度も何度も繰り返しその名を呼ぶが、一向に返事は帰ってこない。
僕はその残響を聴きながら、鼻に意識を集中させる。
数百と並ぶ巣穴を端から端まで嗅ぎ分ける。
見つけた。
獣と木々と岩の中で、一筋だけ流れる花の様な香り。
ナナカさんと同じ匂いだ。
「こっちです!」
「––––––きゃっ!」
匂いの筋を辿ると、周りに比べて一際大きな巣穴に辿り着く。
「入ります」
「は、はいっ!」
一度だけ確認を取って、勢いよく巣穴へと跳びこんだ。
「暗くなります。怖がらなくても大丈夫ですから」
「わ、私!
そう言って彼女は両手を組み、目を閉じる。
やがて僕らに付き従う様に、大きな明るい球体が浮かび上がった。
「法術が使えたんですか?」
「ゆ、癒術も……少しだけ。前の屋敷では本しか娯楽が無かったので」
凄い。
一人で、しかも本を読んだだけで法術や癒術を使えるなんて。
然るべき場所で然るべき人に学び、それでも一握りの人しか開花できないはずの才能を、この
「––––––トモエ様が法術について里で一番詳しく、そして一番の使い手です。今度教えてくれる様、頼んでみましょう」
「は、はい」
その時は、ヤチカちゃんも一緒だ。
暗く冷たい巣穴の中を、ナナカさんの作り出した光球を頼りに進んでいく。
牙と鱗で削られた岩肌は鋭利で、下手に擦り付ければ酷い傷になるだろう。
小さな女の子が、こんな暗い場所を一人で進んで行ったのか。
途中、何度か分岐点に突き当たった。
その度に僕は鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ分ける。
奥に行けば行くほど、ヤチカちゃんの匂いは濃くなっていく。
迷う事なく真っ直ぐに、僕達は巣穴を突き進んだ。
巣穴は緩やかな下りの斜面になっている。
この深度だと、おそらくもう地下と呼べるほどの場所だ。
おかしい。
幾ら何でも子供の足でこんな場所まで来れるほど、時間は経ってないはずだ。
やがて大きく広まった空間に出た。
ヤチカちゃんの匂いはここで途切れている。
––––––感じる。
数え切れないほどの妖気が、僕らの周りを取り囲んでいる。
壁に幾つも空いた小さい穴。
この一つ一つに、大小様々な無数の蛇供が潜んでいる。
大広間とでも呼べば良いのか。
その中心で足を止め、ナナカさんを下ろした。
「ナナカさん、離れないでください」
「はっ、はい」
僕の背中に匿うようにナナカさんを隠す。
刀を鞘から抜いて、片手で構える。
「これ、持っててください」
鞘をナナカさんに預けて、周りを見渡す。
どこだ。
どこに居る。
匂いは確かにここにある。
しかもまだ新しい。
右、違う。
左もだ。
後ろ……いや、前か?
どちらでも無い。
っ!
「上かっ!」
天井を見上げる。
ナナカさんの操る光球が、僕の首の動きに合わせて天井を照らした。
「––––––っヤチカぁ!」
見上げた先には、大きくとぐろを巻いた巨大な蛇の顔。
真っ赤に染まった瞳で僕達を睨んでいる。
その口元––––––牙に引っかかっているのは。
泥まみれになった、小さな女の子––––––ヤチカちゃんだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます