亜王院の角③

 

 僕はすぐに刀を両手に構え、真上に跳躍した。


「ふっ!」


 跳んだ勢いのまま、下から掬い上げるように刀を振るう。

 今まで使っていた竹光とは比較にならないほど、新しい刀は使いやすい。


『シャアアアアアアッ!』


 大妖蛇の頭を縦に切り裂いた。


「捕まえたっ!」


 下顎の牙にぶら下がっているヤチカちゃんを出来るだけ優しく掴み、引き抜く。


 良かった。


 息はある。

 見た目には身体が牙に貫かれているように見えたけど、ブラウスの端っこが引っかかっていただけのようだ。


 大妖蛇の切り口から漏れ出たどす黒い血液が、周囲の岩肌に巻き散らかる。


 饐えた匂いと耳障りな水音、そしておどろおどろしい煙を立ち上らせながら、岩肌が削り溶けていく。


 ––––––毒か?


 すぐに地面に着地して、わき目もふらずにナナカさんを小脇に抱えて後ろに跳んだ。


 少しの時間を置いてゆっくりと、天井から溶解性のある血液と共に大妖蛇が落ちてくる。


 下顎が眉間までをぱっくりと割られた状態では、流石の大妖蛇も生きてはいられなかったようだ。


 後から落ちてきた胴体が、しゅるしゅると大妖蛇の頭の上でとぐろを巻いていく。


「ヤチカっ! ヤチカぁ!!」


 抱えられた状態のまま、ナナカさんは脇目も振らずにヤチカちゃんへと縋り付く。


 僕は二人を地面にそっと下ろした。


「あぁ––––––ヤチカぁ……ごめんねぇ。ひっ……怖かったよね。いっ。痛かったよね? ふっ……ねっ、姉様がそばに居なかったからだよね。あぁ、あああぁ」


 ポロポロと大粒の涙を零しながら、ナナカさんはヤチカちゃんの身体を持ち上げて、穏やかに目を閉じるその顔に強く頬ずりをした。


 小さい。

 本当に、小さな女の子だ。


 姉と同じ金髪の長さは肩口まで。ふわふわとカールしていて、まるでタンポポの綿毛のようだ。

 ぷっくりとした頬は、今は泥と擦り傷から流れた血で汚れている。


 ワンピースに付着した泥やその身体の傷を見る限り、彼女はここまで、蛇に引きずられてきたのでは無いだろうか。


 巣穴の入り口からこの大広間まで、こんな小さな子が辿り着くのは容易ではない。


 手に固く握られている白い花は、渓谷の至る所に咲いていたもの。


 推理すると、ヤチカちゃんは外で花を摘んでいた途中で蛇に咥えられ、ここまで引きずり降ろされてきた––––––のではないだろうか。


 酷い。


 酷すぎる。


「今、今治してあげるから。姉様が絶対に治してあげるからね」


 ナナカさんはヤチカちゃんを強く抱きしめて、涙で濡れた目を閉じた。


 その身体が、淡く発光する。


 癒術ゆじゅつだ。

 教会の秘匿する【回復の奇跡】や、法術使い達が数人がかりで行う【大回復】の術式とは違う、とても珍しい術––––––だったと思う。


 僕自身が法術なんて使えないからあんまり詳しくはないけれど、今ナナカさんがヤチカちゃんに施している癒術は、確か何年も何年も修行して、そしてようやくおさめる事の出来る高度な技法だったはず。


「だ、大丈夫ですか?」


 恐る恐る、二人の顔を覗き込む。


「はっ、はぁ。はい。大丈夫……です」


 とてもそうは見えない。

 癒術はどうか分からないけれど、法術はとても体力と気力の消耗が激しい術だ。

 トモエ様みたいに元気で、しかもちゃんと毎日の修行を怠ってないならまだしも、ナナカさんはなんていうか––––––体力とかそういうのは心許ないイメージ。


 しかもヤチカちゃんの怪我は全身に広範囲に渡っている。


 その全てを癒すなんて、体力が保つのだろうか。

 何か、僕に出来ることは無いだろうか。

 だが。


「––––––その前に」


 僕は刀をもう一度構え直し、ヤチカちゃんを抱えるナナカさんに背を向けて立つ。


 未だ止める事のなかった探知の鬼術に、無数の蛇が引っかかった。


 先程斬り殺した大妖蛇の、子供達であろう。


 壁一面にポコポコと空いた穴。

 その中におびただしい数の子蛇達が蠢いている。


 母の仇––––––か。


 なるほど、一理も二理もある。


 仇討ち、するもされるも僕の咎。


 お前らの母を斬り殺した僕に、恨みと殺気を込めた視線を送るのは筋と道理がかなっている。


 ならば来い。

 だが忘れるな。


 死ぬ気も無ければ死なせる気も無い僕は、たとえ母の仇討ちだろうが容赦なく反撃する。


 お前らには悪いが、これも巡り合わせ。


 合縁奇縁の果てに殺しあうが定めなら、せめて苦しまないよう殺してやろう。


「ナナカさん、絶対にそこから動かないで下さい」


「––––––は? え? タオジロウ……様?」


 僕とナナカさんの間に、視界の中だけで一本の線を引く。

 これが僕の最終防衛線。


 この線を蛇供が、たとえ少しでも超えるような事があれば––––––僕の負けである。


 奴らの強さなど、正直大した事は無い。


 今までとと様に連れられて何度か妖蛇退治をしてきている。


 本当なら『禁』が施された状態の僕でも、たやすく殲滅できるが、今回はもしもすら許されない。


 だから僕は、生まれて初めて––––––本気で刀を振ることにした。






「六代目当主、亜王院・阿修羅王アスラオの名において––––––戒めを解く」


 解呪の一行目を唱えると、僕の両腕に彫られた禁呪が白く輝いた。


「我らは鬼一族、亜王院アオオニが戦鬼」


 僕の両ふくらはぎに彫られた禁呪が、白く輝く。


「次期当主が七代目、亜王院・倒士郎タオジロウ


 僕の背中に彫られた、禁呪が白く輝く。


「––––––参る!」






 そして僕の身体は––––––おそらく十一年ぶりに––––––全ての戒めから解鬼とき放たれた。



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