ナナカの日記②

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 【十九日目 ムラクモは位置を変えずに停滞中 晴れ】


 先日、私とタオ様の祝言は滞りなく執り行われた。

 素晴らしい一日だった。私はあの日を生涯忘れる事はないだろう。

 将来私達に子供が出来たら事細かに教えてあげよう。

 愛する人と共に、大勢の人から祝福を受けながら結ばれると言うことがいかに素晴らしいのかを。

 祝言の始まりは里の全ての民と共にアマテラス神山へと向かうところから始まる。


 テンショウムラクモ表層。里の入り口からお義父様を先頭にして皆が綺麗に並び、ゆっくりと行進は始まった。

 

 祝言を挙げる私とタオ様、そしてお義母様方やタオ様のご兄姉方は綺麗に装飾が施された馬車に乗って移動する。


 その周りを刀衆の方達が取り巻き、空には飛竜ワイバーンを操る乱破衆。

 皆一様に綺麗で厳かな衣装で着飾り、神聖な空気を纏いながら行列はゆっくりと神山へと進んでいく。


 冬期の最中、確かに空気は冷えて風は冷たかったけれど、心はとても暖かかった。

 普段はまだ幼さの残る可愛らしい顔立ちのタオ様も、その日は凜々しい表情をされていて、少し緊張されていたのかも知れない。


 総勢約六百名の行進は一時間ほどで、アマテラスの麓に建つ社へと到着した。

 朱色が多く使われたとても大きな社だ。

 祀られているのは鬼一族の始祖、鬼神スサノオウ様。


 社の本殿は遙か遠く神山の頂上にあるらしく、神山は神聖なる御山。

 足を踏み入れて良いのは亜王院家の当代当主とその奥方様方。そして十二名の年寄衆の方達だけ。 

 神山の麓にあるこの分社ですら、平時は立ち入る事も許されていない。

 神山と言う土地はムラクモの里にとって特別な場所なのだ。


 私達の祝言はそんな場所で執り行われた。これはとっても光栄な事だ。

 他の里の人達の祝言は、神山では無く霊峰ムラクモで行うらしい。

 タオ様は次期亜王院家当主であり、次期ムラクモ刀衆ーーーーーーひいては商隊キャラバン全体の頭領になるお方だ。

 だからこの祝言は、里にとっても特別な意味を持つ。


 式の最中、私がずっと考えていた。

 こんな私で本当に良いのだろうか。

 元を辿れば、借金のカタとして売られてきたような女だ。

 伯爵家の五女に産まれたとは言え、まともに貴族としての教育も受けていない女だ。

 タオ様のーーーーーームラクモの里の長の嫁として、相応しくないのではないか。


 でもそんな私の不安を見透かしていたのか、タオ様は側に居る間ずっと手を握ってくれた。

 お義父様に比べたらそれはそれは小さな手だけれど、男らしく、ずっと刀を握ってきたその頼もしい手で。


 あの優しく、そして暖かい瞳でずっと私を見据え、包んでくれた。


 頑張って覚えた祝詞を謳って居る時も、この一ヶ月ずっと稽古をしてきた奉納舞を舞っていた時も、シズカお義母様が祈祷を唱えている時も、タオ様は私から目を逸らさずずっと見つめ続けてくれた。

 緊張に震える私を宥める様に、慈しむ様に見るその瞳に、不安の陰なんてかき消されて霧消していった。


 私は、この人に許されてーーーーーー求められているんだ。

 

 式次第は順調に進んでいき、やがて社を出て里に戻ってくるまで、タオ様のお顔しか私の記憶には残っていない。


 今この日記をつけているこの家は、今日の日に合わせて大工衆の方達が建ててくれた私とタオ様の新しい住まいだ。


 亜王院本家から少し離れたこの小さな可愛いお家から、私とタオ様の本当の夫婦生活が始まる。

 こじんまりとはしているけれどお庭もあるし、お台所も、そしてお風呂もある。


 もう人目を憚る事も無い。

 物音に気をつける必要もない。

 夜中にお手洗いに出て部屋を間違えたヤチカに驚く事も無い。

 

 湯浴みを終えたタオ様が、もう少しで戻ってくるだろう。


 今日一日お疲れだろうから、まずは軽く按摩を施して差し上げたい。

 それからまた、二人でゆっくりと過ごして、そしてそして。

 おっと、少し夢心地になってしまったようだ。


 初めて会った数日後に既に初夜は済ませていると言うのに、私は何を今更興奮しているのだろうか。


 日記を書くのに夢中になってしまい、お布団を用意するのを忘れていた。

 急がなきゃ。


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 【二十三日目 ムラクモの進路は北南 雨】


 タオ様が刀衆の会合で夜遅くまで帰って来ないので、暇を持て余している。

 お夕飯の仕込みは既に終わっているし、新築のこの家のお掃除はとても楽であっという間に終わってしまった。

 

 せっかくだからヤチカとお話しようと思ったけれど、最近あの子ったらキララ様にべったりで、私と遊んでくれない。


 無理も無い。

 殆ど幽閉に近い軟禁生活の所為で歳の近い友人なんて今まで出来る筈も無く、唯一の話相手である私も義姉達の雑用で常にこき使われていたからあの子はいつも一人で過ごしていたのだ。


 この里に来て本家に寝室を頂いた時も、キララ様と一緒の部屋を希望したのはヤチカの方だ。

 まるで本当の姉妹の様にいつも一緒に楽しそうに遊んでいるのを見て、正直少し嫉妬を覚えてしまうほど。

 キララ様もヤチカの事を大層可愛がって面倒を見てくれているから、何も心配は要らないのだけれど、なんだか寂しい。


 贅沢な姉だ。

 そのおかげで私はタオ様と二人っきりで過ごせていたのに、寂しいだなんて勝手極まりない。


 あれ?


 もしかして、ヤチカは私とタオ様に気を遣っていた?


 いやいや、そんな馬鹿な。

 確かにあの子はとても賢い子だけれど、いくら何でもそんな機微に明るい訳が無い。


 いや、でも。

 うーん。考えすぎ?

 

 とりあえず、タオ様が戻るまでにいかにして暇を潰すのかを考えねばならない。

 あ、そういえば。


 トモエお義母様から渡された、あの十五冊の書物。

 このところあまり時間が取れなかったからまだ目を通していなかった。


 男子禁制の本なので、今のうちに読んでしまおう。


 それにしたって十五冊は多い気がするなぁ。


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 【三十日目 ムラクモは荷物の積み込みの為停滞中 晴れ】


 このところずっと夢中になって読んでいたあの書物を、今日読み終えた。


 これはまさに男子禁制。

 秘録の名に相応しいものだ。

 絶対タオ様には見せられない。

 

 前半七冊は歴々の亜王院の嫁、その秘伝の技の数々が記された技術書。

 後半八冊は旦那様への愚痴や惚気の日記と言う構成になっていて、最後の方にはシズカお義母様やトモエお義母様らしき方の記述が記載されていた。


 ちょっと表現し辛いけれど女性特有の感情表現が多用されていて、読んでいて共感する場面が沢山あった。


 確かに、伝統ある亜王院家には数々の問題や確執が有るとは思っていたけれど、まさかあれほどまでとは。

 私も色々と覚悟をしなければいけないだろう。


 私もいつか、この書に書き記さねばならない夫婦のあれこれが起こるかもしれない。


 読み終えて理解した。

 なるほど、確かにこの本は『陰の書』の名に相応しい。

 

 まだ純真無垢なタオ様や、キララ様やヤチカには絶対見つからない様にしなければなるまい。

 肝に銘じよう。


 さて、前半七冊をもう一度読むとしよう。

 とても興味深く、そして淫靡なあの書物。

 幾つかはすぐに実践できそうな技もあった筈。


 タオ様、喜ぶだろうか。


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 【四十日目 ムラクモはなおも北進中 晴れ】


 今日はヤチカやキララ様、それにサエ様とご一緒に初めて里の外に出た。


 ちょうどムラクモの真下に大きな交易地があったので、お義母様からお遣いを言い渡されたのだ。


 護衛として刀衆の方が付いてくれた。

 こちらも皆女性の方で、小柄ながら大刀を武器とするリンカさん。

 針のように細く長い刀を持つ長身のアマネさん。

 刀衆番付きの一人、【四の刀】コノハナ様の三名。

 コノハナ様はアスラオお義父様の妹君で、タオ様にとっての叔母上にあたる方。

 祝言の日にお会いこそしたのだけれど、翌日にはお仕事の為に里を離れてしまったのであんまりお話できなかった。

 

 お義母様方以外でお義父様に面と向かって説教のできる貴重な方らしく、かなり腕の立つ剣士と言うこともあり、里の女衆からはとても人気のある方だそうで、サエ様やキララ様もとても慕っているそうだ。


 女性のみ七名のお買い物と言うこともあってお小遣いも多めに貰い、とても楽しい一日だった。


 隣国三国の商いの中継点と言うことで交易地はとても賑わっていて、色んな出店や露天商が軒を構えていた。


 サエ様は染め布や反物、キララ様はかんざし、私はタオ様のお着物を修繕するための裁縫用具一式を購入。


 見たこともない沢山の商品をみんなで品定めしたり、屋台でつまみ食いしたり、お茶をご一緒したり。

 

 特にサエ様と一緒にどんな模様の染め布が良いかを選んでいる時はとても楽しく、時間も忘れて物色してしまった。


 ヤチカはといえば露天商で見つけた小さな翡翠が施された指輪をとても気に入り、屋台の軽食とそちらのどっちを買おうかと最後まで悩んでいた。

 キララ様が食べる軽食を羨ましそうにチラチラみたり、誰かに買われていやしないかと何度も何度も露天商の前を通ったり


 その姿がとても可愛かったので、私のお小遣いからこっそり購入して渡したら、小さな目を輝かせて指輪を右手の人差し指に嵌めてはにかんだ。

 

 ちょっと前では考える事もできなかったその表情に、ムラクモの里に嫁げて本当に良かったと改めて思う。


 お義母様から申しつけられた香辛料や食材の目利きもサエ様から教えて貰ったし、本当に有意義な一日だった。


 あんまりにも夢中になったせいでタオ様のお夕飯の事を忘れてしまった事は、反省するべき点だけど。


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 【六十日目 ムラクモは進路を北西へ 雨】


 テンショウムラクモはついにアルべニアス王国を出て、大陸の端に位置する小国キュクレへと到達した。


 生まれた国を出るなんて初めてで、タオ様にせがんで飛竜ワイバーンに乗せて貰い、地上の風景をこの目で見てきた。


 海、と言う物はあんなにも広く、そして果てしない物だとは思いもしなかった。


 このキュクレから少し南、リンブランド群島の島の一つがお母様の故郷。


 ウズメの一族と呼ばれた私の祖先がかつて生きていた場所。


 もうすぐして冬期が過ぎれば、タオ様がお連れしてくれるとお約束して頂いた。


 そのときはヤチカも連れて行こう。


 お母様のお墓は元アルバウス伯爵領にあるけれど、お顔も知らないお爺様達への慰霊もしたいから。


 タオ様は里で一番の飛竜乗りワイバーンライダー

 今日乗せて頂いたのは成竜になりたての若い飛竜ワイバーンだったけれど、とても快適な空の旅だった。流石タオ様だ。

 だけど私の体は正直だ。


 いくらタオ様の操竜が見事でも、やっぱり相応の負荷はかかっていたらしく、今頃になって体の節々が痛みだした。


 体力作りやお料理の修行、それに奉納舞のお稽古を毎日欠かさず行ってきたので昔より体力も付いてきた様に思えたけれど、そうそう簡単に私の体は強くならないらしい。


 お尻のお肉や脇腹、脇の下や内股がびきびきしている。


 お風呂でタオ様に優しく揉んで貰おう。そうしよう。


 せっかく二人のお休みが重なったのだ。

 これぐらいの我が儘は、許されるはず。


 大分前に温熱石を起動させたので、お風呂はもう十分沸き立っているはず。

 

 まだお外は寒いから、長湯をしようと思う。


 これぞ夫婦水入らず。

 なんちゃって。


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 【六十五日目 ムラクモは以前北西へ 晴れ】


 明日からタオ様が長らく家を留守にする。


 辛すぎて日記を書く気になれない。

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