劔の峰、緋緋色シュウラ①


 拝啓、新居で僕を待っていてくれているお嫁さんへ。

 お変わりはありませんか?

 時候は冬から春へと移ろいでおりますが、なにせこのムラクモは雲と共に流れゆくさと

 突然寒くなったかと思えば、途端に汗ばむ暑さになる特殊な土地です。


 急激な寒暖の変化に、お身体の弱い貴女が体調を崩してやいないかと、僕は心配でなりません。

 どうかご自愛頂いて、僕の帰りを我が家でお待ち頂ければ幸いです。


 新婚早々長く家を留守にしてしまった甲斐性の無い旦那で大変申し訳ない。


 でも、僕は必ず帰ります。

 この身の毛もよだつ地獄を絶対に生き延びて、また貴女の暖かい体をこの両腕で抱きしめる日が来ると、天地神明に誓ってお約束いたします。


 どうかそれまで、お達者で。




 追伸、早くお家帰りたいです。






 などと!

 夢現ゆめうつつに想いを馳せている場合じゃ無い!


「ほうれタオ。 『こんど』【はこっちじゃ】ほうれ〈ほうれ〉」


「あっ! だっ! ぐえっ!」


 痛い! お腹と頭と背中が同時に痛い!

 嘘でしょおい!

 声がブレて聞こえて来たんだけど!?


「なっさけないのぉ~。ちょっと視覚を閉ざした程度で、こうまで鈍るとは」


 さっきまで右から聞こえてきた筈の声が、今度は頭上から飛んできて、かと思えば背後から囁く


 僕は真っ暗な視界の中を手探り足探りと動き、

よろけ倒れそうな体になんとか活を入れて刀を構えた。


「むっ、無理ですよじじ様! だって何も見えません!」


「見るんじゃない、感じるんじゃと何度も言っておろうが」


 鋭利な棒状の何かが空気を裂く。

 同時に四つ。四方向から、僕の首・眉間・後頭部・そして心の臓めがけて、それらは物凄い速度で迫る。


「ーーーーーーくっ!」


 構えた刀は、とと様より与えられた無銘の刀。

 既に十何年を共にしたってぐらい、この手に馴染む僕の愛刀。

 亜王院にとって刀は刀であって武器でなし。

 それは遙か昔に一族が失った『角』。僕らの体の一部だ。


 だから聞くまま、感じ取るままに腕と体を動かして、僕はじきに届くであろう爺様の剣戟を受け止めようともがく。

 

「ひとつ、ふたつ。ほひょっ、みっつめまでは無理かの?」


「がっ! ぐっ!」


 爺様の言うとおり、受け切れたのは貰っちゃいけない眉間と喉への打撃。

 後頭部と心の臓はモロに一撃づつを律儀に受け、息は詰まるわ目は回るわ。

 喉の奥に貯まった空気が口から出ようと盛り上がるも、上から押さえ込まれるように肺へと押し戻され、脇腹に激しい痛みが走る。


「かぁ~、まーだまだじゃのぉタオ坊。去年から少しは成長したかと期待したんじゃが、この程度とは情けない」


「はっ! がはっ!」


 耐えきれずに、僕の体は地に伏した。

 倒れ込んだ衝撃で目隠しに使っていた封の札が剥がれ落ちる。

 瞼を突き通る太陽の光がチカチカと視界を明滅させるも、もう体のどこが痛いのかすら把握できなくなった僕には些細な事。


「あの馬鹿アスラオも、口ではああ言いつつも自分の息子には甘いのぉ。儂ってばがっかりじゃよタオ」


 たっぷり蓄えた真っ白な顎髭をさすりながら、爺様は呆れたようにため息を吐く。


 この修行が始まって、三日。

 この剱の峰の三合目、刀衆の見習いの稽古場に泊まり込む様になってまだ三日なのに、僕の体の中で折れていない骨など一つも無い。


 それほどまでに、爺様ーーーーーー先代ムラクモの里の頭領である亜王院・シュウラは容赦が無いのだ。


 初日はひたすら打ち込みだった。

 腕が上がらなくなってからが本番だと言わんばかりに、消えては現れる爺様の木刀めがけて剣を振り下ろした。

 二日目はとにかく打たれた。

 打たれて打たれて皮膚が裂け肉が千切れ血を流しても、また打たれて打たれて意識を失って、失った意識が殴打によって呼び起こされてそれでも打たれて打たれて。


 時々休憩がてらに治癒を施され、一息ついたと思いきや勢いよく顎をカチ上げられ、ほんとこのクソじじいいい加減にしろ! って思わず殺意を抱くぐらい打たれまくった。

 まぁそんな気を起こしたところで手も足もでないんだけど、この三日で僕は爺様が大っ嫌いになったね。とと様の次ぐらいに!


「おっと、昼飯時かの? よし、しばし休憩じゃな」


「あ……あいがとう……ごじゃいましひゃ……」


 力が抜けてろれつの廻らない口と舌をなんとか動かして、礼を言う。

 地面をびしゃびしゃに濡らしているのは、僕の汗とか血とか、あと色々な汚い液。

 土がぬかるむほどのその水気が、心身共に疲弊しきった体にとって今はとても有り難い。

 

「ぐっ、あああああ……」


 力の入らない四肢を無理矢理動かして、うつ伏せだった体勢からどうにかこうにか仰向けになる。

 辛い。

 覚悟していたけれど、想像以上に爺様の稽古が辛すぎる。


 四日前にこの世迷い言を提案した僕の顔を力の限りぶん殴ってやりたい。


 でも、こうでもしないと僕は強くなれない。

 

 父様に言い渡された、刀狩り組み手の行。

 里最強の戦闘集団であるムラクモ刀衆、その百八名を打ち負かすと言うこの無茶苦茶な修行を完遂させる為には、これほどまでに苛烈な修行を自分に課さなければいけない。


 なにせまずは小手調べと、刀衆で一番の若手であるカンラ兄に正面から挑んでみたものの、手も足もでなかったーーーーーーむしろ一本ほど腕を持って行かれてしまった僕だ。


 僕が集めるべきは、刀衆の皆が負けを認めた証である白鞘の小刀。

 これを手に入れる手段は問わないと父様は仰っていたけれど、最初は真っ向から立ち向かってみようとか思っていた僕はなんて思い上がっていたのか。


 僕みたいな見習いと、正式な刀衆とではその力量に天と地ほどの差があるなんて分かりきっていた事だ。

 期限である三年後。

 それまでに百八人。

 一番若手で一番僕らに近い筈のカンラ兄にすら良いようにあしらわれた僕が、それ以上の力を持つ戦鬼相手に勝とうなんて夢のまた夢。


 今までの様な自分にお優しい、温い鍛錬をしていたら絶対に間に合わない。


 だからこその爺様だ。


 普段は気の良い好々爺だが、こと一度剣を持てば可愛い孫ですら容赦なく地に叩き伏せるあの鬼爺ぐらい常軌を逸していないと、これ以上の僕は見込めないだろう。

 

 緋緋色シュウラ。

 爺様の現役時代のあざな

 亜王院の象徴である真っ赤な髪を更に血で濡らしたその恐ろしい姿から、対峙した者に『緋色を更に緋に染めた、血よりも赤い恐ろしい色』とまで揶揄された爺様は、あの父様をもって『化け物』と呼ぶ真の強者だ。


 その力は一線を退いて久しい今ですら、全く衰えていないーーーーーーように見える。


 爺様本人は『あの馬鹿アスラオは既に全盛期の儂を遙かに凌駕しておる』とうそぶくけれど、本当は爺様の方が強いんじゃなかろうか。

 少なくとも、爺様の方が『怖い』のは確か。

 

 我が身内ながらなんて理不尽な存在なんだ。


 深く大きな呼吸から、短く浅い息へとゆっくり整える。


 この身に流れる鬼の血が、僕の体を徐々に徐々に癒やしていくのが分かる。


 ナナカさんの癒術と違うのは、疲労感は消えてくれない事。

 むしろ肉体の回復に多少の鬼力を使用している分、僕らの自然治癒は体力を著しく消耗する。

 いくら僕ら青鬼が人族とは一線を画す肉体を持っているとて、そうそう都合の良い体をしているわけでは無い。

 それは法術での治癒補助術式ヒールや、一柱聖神ピラー教会や他の信仰における『大回復』の奇跡でも共通している事だ。

 ナナカさんが独学で身につけた癒術という力は、それほど希少で強力で規格外な術なのだ。


 ああ、ナナカさんの事を思い出したら余計帰りたくなってきたなぁ。

 せっかくの新居。せっかくの新生活だって言うのに、僕はなんでこんな寂れた山奥で血なまぐさい修行なんかしているんだろうか。


 ナナカさん、大丈夫かなぁ。

 あの女性ひと、ああ見えてとても寂しがり屋で甘えたがりだから、僕が居なくて泣いてないと良いけど。


 実際、爺様と一月の山篭もりをするって告げた時のナナカさんの顔、まるで死を宣告された人みたいに絶望してたし。


 心配だ。


 心配だし、正直逢いたくて逢いたくて震える程に堪らない。


 剱の峰は鋭い岩肌がとげとげとしている、ペンペン草一本すら生えない不毛の山。

 僕ら鬼の肉体すらたやすく傷つけるこの山の岩は、里の鍛冶仕事にも使われる強靱な鉄を含んだ鉄鉱石だ。


 不自然に隆起し鋭い刃の柱となったその一本一本の間を巡る風はとても冷たい。


 そんな過酷な環境で寝泊まりしていると、無性に我が家のお布団が恋しくなってしまう。


 嫁入り道具の一つとしてナナカさんが慣れない手つきで丹念に縫い上げたあの羊毛布団は、いまでは僕の宝物の一つとなっている。


 ふかふかで暖かく、ナナカさんと同じ匂いで安らかな眠りに着けるあの布団は、睡眠の効果が付与された魔導具と言われても信じてしまうほど僕を魅了して止まない。


 更に追加でナナカさんのほわほわな身体を抱き枕なんかにした日には、僕は秒と持たずに意識を手放すだろう。


 それとお風呂だ。

 新居にある僕ら夫婦のお風呂は、大工衆のこだわりがこれでもかと詰め込まれた職人の業物。

 手触りの良い檜であしらわれた風呂釜に、純度が高く高品質な熱晶石を惜しげも無く使い、任意の温度に調整までできる優れ物。


 ナナカさんと二人してお風呂に入った時なんか、二人してのぼせるまで長湯をしてしまった。


 あぁ帰りたいなぁ!

 たったの三日だけど、もう爺様の顔見飽きちゃったなぁ僕!


「ほれタオ坊! ぼさっとしとらんと、さっさと昼餉の用意をせんか!」

 

 修行に来る刀衆の為に建てられたぼろぼろの掘っ立て小屋の前で、爺様が大声でがなる。


 小屋なんて名ばかりの、一本の木の衝立で屋根もどを支え、その下に茣蓙ござを敷いた只の日除けで、雨さえ凌げれば問題ないとずっとそのまま放置されている僕らの仮宿。


 いくらなんでもあんまりなその小屋の側で、爺様を愛用の鉄製の仕込み杖を地面に擦って火花を出し、枯れ枝に着火させている。


「僕動けないんですけどぉ!」


 動けない様に痛めつけたの爺様あなたなんですけど! 

 

「まったく、なまっちょろいのぉ。アスラオーーーーーーお前の親父など、お前と同じ頃は儂の稽古が終わった後は嬉々として下界に遊びに行っとたぞ?」


「……ぐぅ」


 父様と比較されるのは、正直好きでは無い。

 あの人の武勇伝はいちいち凄すぎて、聞いてるだけで自信を無くすからだ。


 僕の容姿が父様そっくりじゃなければ血縁関係すら疑うほど、僕とあの人じゃ出来が違う。


「ぐぎぎぎぎ……」


 腹筋に力を込めて上体を起こす。

 ぶちぶちと何かが切れるような音が聞こえてくるが、我慢我慢。


「ふっ!」


 再び倒れ込む反動を利用し、地面から飛び起きて二足を地につける。

 ぐむむむっ。

 もう訳分かんないぐらい色々痛むし、その痛みで全身が引きつるし涙目だけど、父様の名を出された以上僕にだって意地がある。

 痛くない! 痛くないし、僕は元気だ!


「さっ、沢まで降りて小魚の罠を見てきます!」


「おひょひょ、無理せんでも辛いなら寝とってもいいんじゃよ?」


「大丈夫です! それじゃあ行ってきます!」


 潤んだ瞳を見せぬように爺様から顔を逸らしながら、僕は剱の峰を麓めがけて駆け下りる。


『ひょひょひょ。ーーーーーー封鬼の縛りをされた状態でなければ、お前の力はかつてのアスラオなどとうに越しているんじゃがの。しかしまぁ、黙っておくのもまた修行……かの?』


 なんだ?

 吹きすさぶ塵旋風の音がうるさくて、爺様の声が良く聞こえなかった。


「なにか言いましたぁ!?」


 振り返って聞き返す。


「なんでもないぞい。ほれはよ行かんかバカタレぃ」


 爺様は焚き火を杖で掻き回しながら、こちらも見ずに答えた。


 なんなんだよもう。


 甘弛みする身体にもう一度活を入れて、僕は剱の峰特有の急斜面を駆け下りる。

 ついでに遠くに見える森の奥へと視線を移した。

 ここからならムラクモの里の表層が一望できる。

 今はお昼時。

 ナナカさんはきっと、食堂で忙しく仕事をしているはずだ。


 ああ、ナナカさんのご飯……食べたいなぁ。

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