ナナカの日記①
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【一日目 冬期 ムラクモの進路は南 晴れ】
今日からお
殆どヤチカやお稽古、そしてタオ様の事になりそうだけど、私がいかにしてムラクモの里の人間になったか、また日々日々タオ様の嫁として成長したかを記録して行きたい。
遠い未来、私たちの間にできた子供達に思い出を鮮明に語りたいからだ。
日記を付けるなんて初めてでなんだか気恥ずかしいけれど、三日坊主にならないように気をつけよう。
今日はタオ様がお義父様と何かをお話されたようで、一日中上の空だった。
シズカお母様とのお料理のお稽古を終えて部屋に戻ると、タオ様は窓際に腰掛けひたすら刀の手入れをしていて私に気づいてくれなかった。
夫婦になってそんな事一度も無かったから少し寂しかったけれど、一言声をかけたらいつもの様に微笑んでくださった。
やっぱりタオ様の笑顔はお優しい。
どんなに疲れていようと、そのお顔を見ただけで身体に活力が戻ってくるのを実感する。
お義父様より頂いた無銘の刀の手入れをしながら、タオ様は私にお話をしてくれた。
なんでも三年後、タオ達はこの里を出て違う大陸を旅しなければいけないらしい。
それがムラクモの里に産まれ育った者の責務なら、私は喜んでタオ様に付いて行こうと思う。
ヤチカを一人残していくのは不安だけれど、ここはアルバウスの屋敷と違って優しい人達しか居ない。
誰もヤチカを傷つけないし、守ってくれる。
本当は一緒に連れて行ければ良いのだけれど、旅を言う物はとても過酷な物だと、私は知っている。
時々伯爵家の屋敷を訪れていた商人達の話を又聞きした程度だけれど、そんな危険な旅にまだ幼いヤチカを引っ張り出すのは可哀想だ。
だから三年後、ヤチカと私は離れて暮らす事になる。
大丈夫、ヤチカは強い子だ。
私が居なくてもきっと、あの子は大丈夫。
その日まではせめて、あの子とたくさんお話をしてたくさん遊ぼう。
永遠の別れじゃないんだ。
旅を終えれば必ず、私達はここに戻ってくるから、だから大丈夫。
そしたら今度こそ、私達姉妹はずっと一緒に暮らせるんだ。
だからきっと大丈夫。
その話をタオ様としている時に、私は我慢できずに泣いてしまった。
やっぱり辛い。
あの子と離ればなれになる事を想像するだけで、私の胸が締め付けられるように痛みだす。
そんな私を、タオ様は優しく抱きしめてくれた。
私より少しだけ小さなそのお体でしっかりと強く、でも優しく抱きしめてくれた。
見た目ではわからないけれど、タオ様のお体はとも筋肉質で、そしてとても体温が高い。
護られてるって、思わせてくれる。
この人の胸の中にさえ居れば、きっと全て大丈夫だって思わせてくれる。
三年後の事はまだ何も分からないけれど、タオ様は一緒に考えようって言ってくれた。
きっと私たちにも、そしてヤチカにも良き結果になるようにと、おっしゃってくれた。
この人の元に嫁いで来て本当に良かったなぁ。
その日はタオ様もなぜかお疲れだったから、珍しく何もせずに抱き合って眠った。
今私はすっかり熟睡してしまったタオ様を眺めながらこれを書いている。
仄かに暖かい『
今日はこのぐらいにして、お布団の中で二人身を寄り添って朝を迎えよう。
たまにはそんな穏やかな夜も良いだろう。
子供を作るためには、できるだけ多くタオ様に抱かれる事が望ましいのだろうけれど、それだけを理由にしてしまうのは何か違うと思うから。
私達は私達に適した速度で歩み続ければ良いのだ。
その先にきっと、幸せな未来が待っているはず。
私はタオ様を信じて、支えていけば良いのだ。
それがタオ様の嫁である、私のすべき事。
眠くなってきたので、筆を置く事にする。
明日もお料理や踊りの稽古で忙しいから、ちゃんと寝ておかないと駄目だ。
貴方が良き夢を見ている事を、ナナカは願っております。
お慕いしております。タオジロウ様。
読み返すと、とても恥ずかしい事を書いている気がする。
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【二日目 冬期 ムラクモの進路はやや南西 雪】
今震えながら、この日記帳を開いている。
タオ様が大怪我をされたからだ。
なんでもお義父様から課せられた修行のために、ムラクモ刀衆の方と真剣で稽古をされたとかなんとか。
ガリュウさんと言う物静かな男性が血塗れになったタオ様を背負って屋敷に来たのを見た時、生きた心地がしなかった。
夜になってもタオ様は目を覚まされず、未だ眠ったままだ。
とても心配なのだけれど、トモエお義母様は笑って大丈夫と仰られた。
お義母様は私なんて足下にも及ばないほどの力を持つ術士で、しかも医療にも通じている方。
そのお義母様が断言されたので大丈夫。
大丈夫な筈。
しかし、一体どんな稽古をしたのだろう。
タオ様の右腕は完全に断ち落とされていたし、背中の傷なんかお亡くなりになられていてもおかしくない深さだった。
私は気が動転してしまったが、トモエお義母様は冷静に癒やしの鬼術をタオ様に施し、背中に傷はおろか断ち切られていた右腕をすんなりくっつけて見せた。
タオ様自身の鬼としての再生能力があるとは言え、あんな大怪我をしたら人間ならすぐに死んでしまうだろう。
お義父様で慣れていると仰られていたけれど、それにしても凄い術だった。
教会秘匿の『奇跡』や、『大回復』の法術とは違う、『再生』の鬼術。
たちどころに繋がったタオ様の腕はとても綺麗で、まるで傷など始めから無かったかのようだ。
少しずつだけれど、私もトモエ様から術の扱いの手ほどきを受けている。
そんな素人の私から見ても、あの術は規格外の物だと瞬時に理解できた。
私も早く、あれほどの術士にならなければ。
シズカお義母様もトモエお義母様も、そして他の里の女の人達も皆、あのぐらいの大怪我には慣れているらしい。
つまり、戦鬼の方達にとっては日常茶飯事程度の怪我と言う事。
私も亜王院の嫁として、ムラクモの里の女として、シズカお義母様の様に冷静に、そして的確に処置できるようになりたい。
みっともなく取り乱した事を恥じるけれど、やっぱりタオ様のあんな姿は心臓に悪い。
慣れてきたら平気になるのだろうか。
そんな私を全然想像できない。
怖い。
タオ様を失うのが、とても怖い。
怪我なんかして欲しくない。
でもタオ様は、亜王院の戦鬼。
そして次期頭領にして、刀衆の者だ。
きっとこれからも怪我をするだろう。
強く、ならなければ。
心も身体も、すべてを強くしなければ。
そんな私の決意をよそに、横で穏やかな寝息をたてるタオ様がもにょもにょと私の名前を口にした。
寝言。
こんなに心配させといて、なんと
でも夢の中でも私の事を思ってくれていると思うと、嬉しい。
さっきから何度か眠ろうと頑張っているけれど、タオ様の様子が心配すぎて寝付けない。
もうこうなったら、一晩中タオ様の顔を眺めていよう。
貴方はきっと、私やヤチカのために頑張ってくれたんだろう。
どんな修行かは分からない。
女で、しかも戦えない非力な私には及び知る事のできない事なのかも知れない。
でもこの底抜けに優しくて、そして頼もしい私の旦那様は、私達の為に頑張ってくれている。
自惚れとか、考えすぎとかでは無いと思う。
いったいどんな修行で、なぜこれほどまでの怪我を負ったのか、タオ様は自分から教えてくれないだろう。
私が心配するのを、知っているから。
でもタオ様。
私は貴方の妻として、貴方の事をずっと想っていたいのです。
たとえそれが心配事だとしても。
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【十日目 ムラクモは今日は整備の為停止中 晴れ】
これでもう、三日連続だ。
今日もタオ様は気絶したままご帰宅された。
朝も明けぬ内に私を起こさないようこっそり部屋を出て、お昼の時間にはもうボロボロの状態で昼食を取っている。
初日の様な大怪我こそされていないけれど、お顔はパンパンに腫れ、お召し物はいたる所が破れて血に濡れ、酷い時なぞ頭から血を流したままお昼を受け取りに来るのだ。
七日後には私達二人の祝言を控えていると言うのに、タオ様と私の二人で居る時間は日毎に少なくなっている。
正直、寂しい。
だって会話が少ない。
全くしてない訳じゃ無い。
朝とお昼、短い時間だけれどタオ様は私とお話してくれる。
でもそれだけ。
夫婦の夜の営みも、最近は全く無い。
旦那様は毎晩、泥の様に眠りについているから、わざわざ起こしてお誘いするのも憚られる。
お忙しいのは理解している。
お義父様に課せられた修行が、私の想像の及ばないほど過酷なのも。
だから、微力ながらも支えていきたいと思っているはずなのに、それでももっと私に構って欲しいなんて、ただの我が儘なのもまた理解している。
日記でしか、こんな事言えない。
タオ様。
寂しいです。タオ様。
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【十六日目 ムラクモはとあるお山の上で停止中 晴れ】
今日までの日記を読み返してみると、なんだか私がとても駄目な女に見えてしまう。
ここ数日は、私を含めたムラクモの里すべてが慌ただしい。
私とタオ様の祝言を三日後に控え、大陸各地に散らばっていた里の者が集合し始め、霊峰ムラクモ山への登山道の整備や、
今日は衣装合わせだった。
シズカお義母様が仕立ててくれた、私の白無垢。
生まれて初めて袖を通したそれに、感動して泣きそうになった。
お母様にも見せてあげたかった、とか。
こんな綺麗な物を頂いて本当に良いのか、とか。
色んな想いが私の頭の中で渦を巻いて、涙が止まらなくなってしまった。
先代頭領である、亜王院・シュウラ様とも対面させて頂いた。
タオ様にとってお爺様になる方で、とても気さくな方だった。
なんでも頭領の座をお義父様に譲って以来、お一人で大陸を漫遊なされていらっしゃるとかで、この里に帰ってくるのも年に一度あるかないか。
今回は初孫であるタオ様の晴れの日という事もあり、刀衆や乱破衆の方々が血眼になって探しあてて、なんとか祝言の日取りに間に合ったそうだ。
キララ様やテンジロウ様は久しぶりに顔を合わせたお爺様に大層喜び、シュウラ様もまたお孫様方にニコニコと微笑みながら接していた。
なぜかトウジロウ様やサエ様、そしてタオ様なんかは、口元をヒクヒクと引きつらせながら、怯えていた様にも見えた。
苦手、なのだろうか。
ともあれ、これで里の人間の殆どが戻ってきたと言うことで、明日の昼から軽い宴を催す事になった。
私達の祝言当日は、霊峰や神山におわす神々への配慮と言うことで、一日を厳かに過ごすので、その分前日に大騒ぎしたいらしい。
お台所であるシズカお義母様は、食料倉庫の備蓄と明日作る料理の品目を見比べ、深いため息を吐いていた。
仕込みはついさっき、夜半も深くまで行われていて、里の女性達はみなヘトヘト。
私もお手伝いをしたかったのだけれど、自分の祝言に関する祝いの席の料理を、自分で作る必要なんて無いと台所から追い出された。
明日から大忙しなので、部屋でゆっくり休みなさいとトモエお義母様に半ば怒られながら部屋に押し込まれて、今に至る。
タオ様もさすがに今日は鍛錬を切り上げて、早い時間にお部屋に戻ってきてくださったので、日記を書き上げ次第、今まで我慢してきた分甘えてやろうと目論んでいる。
もう少ししたらヤチカもキララ様も眠くなってきて、寝室に戻るはず。
私の目論みなど何も知らないタオ様は、二人の話を穏やかな顔で聞いている。
期待と興奮で、どうにかなってしいそうな私をタオ様が知ったら、どうするだろう。
旦那様は最初は照れて逃げ腰な癖に、いざ始まるととても意地悪で、そして荒々しく渡しを求めてくる。
それを期待している私は、なんて卑しい女なのだろうか。
でも、そんな私をタオ様が好いてくださっていると考えると、それはそれで誇らしい。
久しぶりだ。
本当に、本当に久しぶり。
タオ様と出会う前の私では絶対に知り得なかった、私の『女』の面が鎌首を持ち上げ始めている。
タオ様には悪いけれど、今日の私はもう辛抱できないほどに昂ぶっている。
湯浴みも済ませてきたし、身も整えてきた。
明日・明後日の日記は書けないかも知れないので、今ここに書き記しておこう。
タオ様、私は今、とても幸せです。
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