刀狩り組手の行②
「ヤチカ、これはねこれはね? こうするんだよ!」
「こ、こうですか?」
朝稽古も終わり、火照った身体を冷やそうと屋敷の中庭の川にやってきた僕が見たのは、大きな洗濯板と大きなタライに悪戦苦闘していたキララとヤチカちゃんだ。
「そうそう! ヤチカはうまいねぇ!」
「え、えへへ……うれしいです」
どうやら洗濯の手伝いをしているようだ。
キララはニコニコと満面の笑みでヤチカちゃんの頭を撫でている。
「わからないことがあったら、なんでもなんでもきいてね!?」
「は、はい。キララおねえさま」
「かわいいかわいい!」
猫可愛がりもいいとこだけれど、見てて微笑ましい。
ヤチカちゃんがこの里に来てからずっと、キララは四六時中くっつき回っては嬉しそうに世話を焼いている。
ヤチカちゃんが来るまでは里で一番歳下だったから、お姉さんぶりたかったのだろう。
亜王院の末の姫と言うだけでもチヤホヤされているのに、生来の人懐こさもあってキララは里中の大人から実の子以上に蝶よ花よと可愛がられてきた。
テンジロウの隣をてててと走り回ってはイタズラに加担するのは困り者だが、そんなものは些細なご愛嬌程度。
年寄会の人達は数少ない女の子だと孫扱いだし、男連中はあれよあれよと手玉に取られて骨抜きにされ、キララはかなり奔放に育ってしまった。
我らが父様もキララにはだらしなくデレデレになるし、里中があの爆弾みたいなちびっ子に手玉に取られている現状だ。
僕やトウジロウ、それにサエだってキララには甘いと自覚している始末である。
唯一の救いは、実の母であるトモエ様と育ての母である
そんな環境で育ったからかどうかは定かではないけれど、我が妹は『お姉さん』と言うものにとても強い憧れを抱いていたらしい。
初めてできた妹分であるヤチカちゃんの前ではこまっしゃくれて世話を焼きたがり、何につけても手本となるように振舞っている。
僕らには分からない鬱憤が溜まってたのかなぁ。
なんだか責任を感じてしまう。
もっといっぱい、構ってやれば良かったか。
「キララ、ヤチカちゃん。おはよう」
背後からそおっと忍び寄り、二人の小さなつむじに手を当ててぐしゃぐしゃと掻き回した。
「きゃあきゃあ!」
猫のように身体をぐねぐねと動かして、キララは嬉しそうな声を上げた。
ぐるんと後ろに振り向いて僕の顔を見上げる。
「タオにいさまだ!」
ガバッと僕の腰に腕を巻きつけて、キララは頭をぐりんぐりんと擦りよせた。
うーん。
もしかして誰かも分からずにあんなに喜んでたのお前。
ちょっと危機感足りなくないか?
「こんな朝早くからお手伝いしてるのか? 僕の妹達は偉いなぁ」
多分まだ起きてないであろうテンジロウに見習わせたいもんだ。
あいつ、誰かが叩き起こさないといつまで経っても寝てばかりだもんなぁ。
「お、おはようございます。タオにいさま」
ヤチカちゃんは座ったまま振り向いて、朝日が眩しいのか
目を細めて挨拶を返す。
「うん、おはようヤチカちゃん」
手触りの良い、タンポポのような金色の髪をもう一度撫でるとヤチカちゃんは嬉しそうに微笑む。
トモエ様が仕立てたばかりの、ヤチカちゃん用の
濡れた手をももの上でぐしぐしと拭き取ってヤチカちゃんは立ち上がり、未だに僕の腰にへばりついているキララをちらりと横目で見て、少し俯いた。
あ、はーん?
なるほどね?
「おいで」
「わぁ……っ」
右手を差し伸べると、顔を上げて僕の顔を見る。
そのままおずおずと僕の手を取って、ヤチカちゃんはキララと同じ様に抱きついて来た。
「んふふ……」
僕の稽古着は朝稽古で流した汗で濡れているけれど、二人の女の子はそんなことは気にしないらしい。
左腰にキララ、右腰にヤチカちゃん。
何が楽しいのかさっぱりだけれど、二人は時々顔を見合わせてはにっこりと笑い、そして僕の腰あたりに顔を埋めては頬を擦り寄せる。
ヤチカちゃんは生まれてこの方、実の姉であるナナカさん以外に甘えた事がない。
そのナナカさんにですら遠慮がちなんだから、他の人への甘え方なんか知るはずもなく、さっきは奔放に僕に甘えるキララが羨ましかったのだろう。
でもまぁ、実を言うとそんなキララだって僕に甘えるのがとても下手だ。
キララが生まれた時、僕は既に刀衆の稽古に参加していて滅多に里に居なかった。
一年の半分程を
だからキララはトウジロウやサエやテンジロウなんかとは違って、あまり僕と遊んだことがない。
長男なのにそれはどうなんだとは僕も思うけれど、刀衆の見習いとしての稽古は当時の僕からしたらそれはそれはもう苛烈なもので、自分のこと以外にかまける余裕なんか無かったし、時期頭領と言う立場も理解していた物だから、仕方ないと言えば仕方ない。
だからなのか、キララは他の兄弟達とは違って僕の姿を見つけると、こうやって言葉少なめに甘えてくるようになった。
歳の離れた兄故か、それとも滅多に会えないからなのか。
時間が惜しいとばかりにべったりとくっついて、酷い時だと一日中離れない時もある。
「タオにいさまタオにいさま! きょうのおひるはおひま?」
頭の上で括った二つのぼんぼりを揺らしながら、キララは僕の顔を見上げる。
「ん? 特に用事はないけれど、どうした?」
「あそんでください!」
んー、どうしようかな。
来月に執り行われる祝言に向けて、多少やる事はあるんだけれど、急いでいると言う訳でもない。
それにお昼と言えば、食堂で母様に指導を受けているナナカさんが一番大変な時間だ。
里中の人の昼飯の用意からその片付け。
作業量はとてつもなく多いはず。
そんなナナカさんを置いて、旦那である僕が遊び呆けるのも何か違う気がする。
「ごめんなキララ、兄様は––––––」
断ろうとキララの頭を一撫でしたら、反対側のヤチカちゃんと目が合ってしまった。
爛々と輝く翠色の瞳。
姉のナナカさんと同じその綺麗で円らな目で、『タオにいさま、ほんとにあそんでくれるの?』と期待の篭る視線を送られてしまったら––––––。
「––––––キララとヤチカちゃんと遊びたくてしょうがなかったんだ!」
––––––こうなるしか道は残されていないに決まってんだろ!!
「やったやったぁ! ねえねえ、ヤチカ! なにしよっか!? あ、ワイバーンのところいく!?」
僕の腰に抱きつきながら、キララがぴょんぴょんと飛び跳ねた。
痛い痛い。僕のお腹のお肉まで一緒に引っ張ってるぞキララ。
「ワイバーンのヒナがみれるよ!!」
「わいばーんの、ひな?」
「そう! このあいだタマゴからかえったばかりなんだって!! キララもまだみたことないの! タオにいさまといっしょならみにいけるよね!?」
神山と霊峰の間の谷には、
キララには程々に険しい道のりだから、絶対に一人で行っちゃいけないと言い付けられているが、僕と一緒なら平気だろう。
トモエ様がトウジロウやサエではなく、僕にだけ同行を許したのは、僕が飛竜達に誰よりも懐かれているからだ。
「ああ良いぞ。ラーシャの顔も見とかないといけないしな」
ナナカさんごめんなさい。
どうやら僕は、妹達の頼みが断れないダメ兄貴のようです。
「わいばーんって、このあいだのおっきなりゅうですか?」
ヤチカちゃんが小首を傾げて僕を見上げる。
「他の飛竜達は、ラーシャより全然小さいよ。でも大人の人を乗せて空を飛べるんだ」
「おそら、びゅーんって?」
「そうそう。とっても速いんだよ?」
「ヤチカも、びゅーんってできますか?」
「うん、僕と一緒ならね?」
こう見えて僕、飛竜の扱いなら誰にも負けない自信があるんだ。
ラーシャがまだ僕と同じぐらいの大きさだった頃からずっと飛び回ってたからね。
父様や母様からは怒られまくったけど。
「…………ふわぁ、えへへ。たのしみです」
ふにゃりとした笑顔でヤチカちゃんは僕の腰に顔を埋めた。
可愛いなぁ。ナナカさんも小さい頃はこうだったんだろうか。
見てみたかったな。
「キララもキララも!」
「よーし、じゃあ久し振りにムラクモの外を––––––んべっ!!」
痛ぁ!!
頭になにやらデカくて硬くてゴツゴツした物が!!
この痛みはよぉく知ってる痛み!
具体的に言うと良い加減でダラしなくて無駄に態度のデカい偉そうな筋肉オバケのゲンコツの痛み!
と言うことは––––––。
「––––––その前に、俺とお話しようぜぇ。タオジロウくぅん」
「ととさまととさま! おはようございます!」
「お、おはようございますアスラオさま」
「おお、キララにヤチカ。おはようさん」
––––––やっぱりアンタか!
「父様!! なんで殴った!?」
そうこの拳は!
恥ずかしながらも僕の実の父親である、亜王院アスラオの拳!
「いやぁ、お前との朝稽古をやめてからと言うものなぁーんかしっくり来なくてなぁ。やっぱお前の頭は叩きやすいわ」
「そんな理由で人の頭ボカスカ殴らないでくださいよ!!」
「いつまで経っても帰って来ねえからわざわざ迎えに来てやった父上様になんて口聞きやがる」
あれ?
「父様となんか約束してましたっけ?」
した覚えは全然ないぞ?
ていうか、年寄会との話し合いだかなんだかでここ三日ほど留守だったじゃないですか。
「してないぞ」
「もう意味わかんない!!」
ほんっとこの馬鹿親父はもう! もう!
「キララ、ヤチカ。ちょっと兄様借りるぞ。昼には解放してやっからな」
「うん! ぜったいかえしてね!」
「は、はい」
うおっ!
な、なんで肩に担ぐ必要が!?
っていうか酒臭っ!!
もしかしてアンタ朝帰りか!?
母様とトモエ様に禁酒半年って言い渡されてたはずなんだけどっ!!
「はっ、離してくださいよ! 一人で歩けます! 子供じゃないんだから!」
「ああ? ちょっくら嫁が出来たからって大人ぶってんじゃねーよチビっ子が」
「チビって言ったな!! この手を離せ!! ぶっ飛ばしてやる!!」
僕はそう言われるのが一番嫌いなんだ!
たとえ父様だろうが許さないぞ!!
「暴れんなよチビ」
「がああああああっ!!」
この野郎!
たとえ勝ち目が無くったってせめて一発!
その無精髭のへらへらとしただらしない顔に一発めり込ませてやる!!
「おうおう、軽い軽い。ほらどうしたチービ」
も、もう絶対にゆるさねーからなぁ!!
ジタバタと暴れる僕を悠々と担ぎながら、父様は中庭を屋敷へと歩き出した。
キララとヤチカちゃんが、そんな僕らにひらひらと手を振る。
「離せクソおやじいいぃい!!」
「悔しかったら降りてみろクソ坊主ぅううううう」
ああああもう!!
ほんっとこのおっさんムカつくぅ!!
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