刀狩り組手の行①
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「ふっ!」
短い気合いの息と共に両足に力を込め、大地を踏み抜く。
霊峰・神山・劔の峰を支えるテンショウムラクモ表層部。
その地盤はかなり頑丈だから、たとえ
太陽が顔を出すごとに白む空は、朝の清々しさと冬の寒々しさで身が引き締まる思いだ。
そんな朝の稽古の始まりは、里の外周を走る事から。
霊峰ムラクモの麓に存在するムラクモの里は、地上部分でいえばそう広くはない。
居住区の天井である観音開きの扉や、畑や作業小屋がぽつぽつと存在するだけだ。
朝に軽く走るという名目なら、そこそこの距離だと思う。
走るだけでいいなら、だ。
言うだけなら簡単そうに聞こえるけれど、僕が剣を持ち始めた時、この外周を一周するのに三日ほど掛かった。
ムラクモの森に生えている縦横無尽に伸び放題な木々が荒ぶった成長を遂げていて所々で邪魔をしたり、霊峰を巣とした人懐こい
かつては涙ながらに悲鳴を上げて走り抜けた思い出の道だが、それも今や昔の話。
長年父様やリリュウさん、それに
『禁』が掛けられた状態のこの足でも一刻かからない程度で一周できる。
これは父様に感謝すべきなのか、それとも恨み骨髄を込めた怨念を送るべきなのか。
脳裏をよぎる数々の修行風景を思うと、僕の心の奥にどろりとした暗い感情が鎌首を持ち上げることもあるような、無いような。
まあ、素直に感謝しておこう。
小さかったあの時に比べれば、僕は確実に強くなっているのだから。
慣れた荒れ道をいつもの様に走っていると、背後に複数の気配を感じた。
振り向く必要もないほどに馴染みの気配だ。
「––––––おはようガっくん」
僕はわざと速度を落として、その気配に向けて朝の挨拶を告げる。
「…………おはよう、タオ」
ムスっとした顔で、僕の幼馴染は返事を返す。
首の後ろで一括りにした長い黒髪が、身体の動きに合わせてぶらんぶらんと揺れた。
彼の名前はガリュウ。
渾名はガッくん。
刀衆の番付き、三の刀である『人斬り竜』こと、
歳は僕より二つ上だけど、小さい頃からまるで本当の兄弟の様に育った僕の兄貴分だ。
「戻って来てたんだ」
「…………昨日」
「ヤエモンやキサブロウも一緒だったんでしょ?」
「…………ああ」
「南方はどうだった?」
「…………暑い」
「ガッくん、暑いの苦手だもんね」
「…………そんなことはない」
「魔獣討伐の依頼だっけ。どんなのだった?」
「…………熊だった」
「へえ、強かった?」
「…………大したことない」
「魔獣って事は、異能持ちでしょ?」
「…………ずっとばちばちしていた」
「ばちばち?」
「…………雷の熊だった」
ガッくんとの会話はいつもこうだ。
僕が質問をしたら、ちょっと考えた後に一言だけ返してくれる。
別に不機嫌ってわけじゃない。
この女の子みたいな顔をした長身の幼馴染は、昔から口下手で感情表現も上手くないだけなのだ。
「雷の熊ねぇ。想像できないなぁ」
「…………毛が、雷だった」
雷獣の一種かな。
僕も前に雷で形作られた山羊を相手にした事があるけれど、かなり手強かった記憶がある。
単純な斬撃は一切聞かず、その素早さはまさに雷光。
刀を当てるのですら一苦労で、しかも触れた瞬間にこちらの肉が焼けてしまうとかいうトンデモだった。
この間倒した大妖蛇も分類で言えば魔獣の一種だ。
アレはヤケに呆気なく倒せたけれど、魔獣とは総じて巨躯で強大な物だ。
長く生きた魔物が多くの生き物を喰らい、更に成長した物を魔獣と呼ぶ。
タツノ先生の受け売りだけれど、普通の獣や魔物なら少しばかり武芸を嗜んだ人間達でも太刀打ちできる。
ピンキリではあるけれど、『魔物』と呼ばれている内ならまだ可愛い方なのだ。
それが『魔獣』にまで成長したら、それは一つの国を脅かす存在になってしまう。
正に歩く災害。
倒せるのは、一国の精鋭軍隊。
もしくは凄腕の冒険者、又は凄腕の冒険者パーティー。
そして––––––亜王院の戦鬼。
ガっくんは刀衆の見習いとして、僕より二年ほど早く討伐依頼に参戦している。
亜王院一座の裏稼業である戦仕事は結構幅広い。
時に悪政を敷く独裁者。
時に猛威を振るう魔獣。
時に狂信的な思想の元、悪意を振りまく邪教の集団。
時に夥しい数の人の命を奪った、快楽殺人者。
そう言った分かりやすい『悪』を多額の金銭や物品と引き換えに成敗するのが、僕ら亜王院一座の『裏』稼業である。
––––––と言っても、依頼を受けるか受けないかは全て頭領である父様の気分次第。
正も邪も関係なく、父様が『気にいらねぇ』と言わなければ僕らはぴくりとも動かないし、動けないのだ。
「…………結婚」
「へ?」
耳のすぐ側を駆け抜ける風の音が邪魔をして、ガリュウの声が良く聞こえない。
兄弟同然に育ってきた僕らだけれど、この二つ上の幼馴染の大声は、ただの一回も聞いたことがない。
どんな事があっても眉一つ動かさず、小さな反応すら返さないその姿は父上であるリリュウさんにそっくりだ。
いや、まだリリュウさんの方が愛嬌があるかも知れない。
あの人、ウスケさんとかとは結構お喋りしてるみたいだし。
ガッくんのお母さんも、無口な人だからなぁ。
無口なお父さんと無口なお母さんの間に生まれたから、物凄い無口になったのかも。
「…………結婚したと、聞いた」
「あ、ああ。うん。お嫁さんを貰いました。えへへ」
改めて口にすると恥ずかしいな。
僕は照れ隠しに頭をぽりぽりとかく。
「…………おめでとう」
「うん、ありがとう。来月ぐらいに神山の麓で祝言を挙げるんだ」
神山アマテラスの麓にある庵は、僕らムラクモの里の者に吉祥があった時に使われる特別な場所だ。
神山アマテラスは、閻魔に遣わされた僕らの始祖である初代様––––––鬼神スサノオウが眠る場所。
だから祝い事や祈願があれば、神山に向けて報告するしきたりがある。
その祝言に向けて、ムラクモの里はいつも以上に忙しない。
なにせ僕はこれでも時期頭領。
未来の里を代表する亜王院の跡取りだ。
その跡取りの結婚を神山に報告するのに、見窄らしい真似なんかできない。
母様方は立派な白無垢や紋付羽織袴を仕立てると息巻いているし、各地に散らばっている刀衆は急遽呼び寄せられ、乱破衆は先代頭領である爺様の所在を血眼になって探している。
父様ですら祝言の作法を覚えようと、普段は開こうともしなかった亜王院の古い書物と睨めっこだ。
里の外からもお客様を呼ぶらしいし、僕も亜王院の名に恥じぬよう、立派な祝言にしなければならないと今から緊張している。
「…………そうか。楽しみだ」
「う、うん。僕なんか今から緊張しちゃっててさ。ナナカさん––––––僕のお嫁さんは今それどころじゃないみたいだけど」
昨日から始まった、
これがまた、僕の想像以上に過酷な物だった。
食材の切り方を少しでも間違えようものなら、母様からキツイ檄が飛んでくる。
こんな風に。
『食材を正しく扱えない様では一人前と呼べません! 切り方一つで毒にも薬にもなると心得なさい!』
『は、はい! お義母様!』
『米粒一つが里の子を一人強くするのです! その食材の栄養を余すことなく無駄にしないのがムラクモ流です! ゆめゆめ忘れないように肝に銘じなさい!』
『か、かしこまりましたお義母様!』
『そこっ! その部分は下茹でしたら食べられる部分です! 捨てるなんてとんでもない!』
『も、申し訳ございませんお義母様!』
みたいな。
男子は厨房に入るのを禁止されてるので遠巻きに見ただけなんだけど、ナナカさん半泣きだったなぁ。
夜に部屋に帰って来た時なんか、息も絶え絶えだった。
青色吐息もさらに青く、金色の綺麗な髪をボサボサにして布団に倒れ込み、僕の身体を頑張って引き寄せてはしばらく抱きついて離れなかったぐらいだ。
後から訪ねて来たヤチカちゃんも巻き込まれて、二時間ほど僕らは身動きできなかった。
『ね、ねえさま。だいじょうぶ?』
『ああ、大丈夫よヤチカ。ああなんて優しい子なの……私の可愛い可愛いヤチカ……姉様はタオ様とヤチカさえいれば幾らでも頑張れるの。本当よ? た、ただちょっと、今はしばらくこのままで。ああ、癒される……』
『ねえさま、いきて』
うーん、今思い出しても極まってるなぁ。
まぁ、でも。修行ってのはどの分野でも始めはそんなものかも知れない。
昨日は里に来て初めて、『夜のアレ』が無かったぐらいナナカさんは疲労困憊だった。
何か僕に手伝える事があれば良いんだけれど。
「…………どうしたタオ」
「あっ、ああごめんごめんガッくん。ちょっとボウっとしてた」
「ひひっ! お盛んな新婚さんには朝稽古は辛いでやんすか!?」
うおっ!
びびっ、びっくりしたぁ!
「突然出てくるなよな! ヤエモン!」
「ちょっと前から後ろ走ってたじゃないでやすか」
「足音殺してたら分かんないだろ!?」
「乱破衆たるもの、当然の事でやんす」
「僕らと同じ見習いのくせに……」
「ひひひっ」
嫌らしい笑い方をしながら、僕のもう一人の幼馴染であるヤエモンが木と木の枝を飛び回る。
赤髪の短髪はあいも変わらずカチカチの剛毛で、トゲトゲしてて見るに触るに痛そうだ。
「いやぁ、あっしらの中でも一番ウブな若様が、誰よりも先に結婚するなんて本当驚きですよねぇ。ひひひっ!」
糸の様に細い目を更に細くさせて、ヤエモンはなおも笑い続ける。
「この間まで女子にまるで興味を示さなかったのに、本当世の中分からないもんでやすねぇ」
「それについては……まぁ僕もびっくりだけれど」
「…………タオは、女子に好かれる筈だとずっと前から言っていただろ」
「ガリュウ兄貴は若様に過保護すぎでやんすから、アテになんないと思ってたんすよ」
「…………過保護ではない。当たり前の事を言っている」
「さいで」
しししっ、と歯の間から空気を漏らすようにまた笑うとヤエモンは身体の向きを変えて後方を見た。
「キサブロウ! 遅いでやんすよ!」
「まっ、まってよヤエモン! 若様ぁ! ガリュウ兄貴ぃ!」
ドスドスと重い音が後方から鳴り響き、僕も首を捻って後方に視線を送る。
僕ら三人より遥か彼方で、またもう一人の幼馴染であるキサブロウが重そうな身体をぶらんぶらんと揺らしながらバタバタと後を走っていた。
背中には5本もの得物を背負い、ほっかむりに胴鎧と具足を身につけている。
「…………あいつ、少し見ない間にまた太ったか?」
「そうみたいだねぇ。今どんぐらい重いんだろう」
ガッくんがぼそりと零した言葉に僕も同意する。
幾ら何でも、僕が父様と里を留守にしたこの一ヶ月の間に太りすぎじゃないだろうか。
キサブロウは鍛治衆の跡取り息子であり、そして刀衆の見習いでもあり、また代々続く奉納相撲の家の子だ。
その家の家訓で風呂以外は寝る時ですら常に戦装束を身につけなければならないらしい。
「ひいっ、ひいいいっ。はやっ、速いよぅ! オイラもう疲れたよぅ!」
「馬鹿たれ! お前この間の『仕事』でみんなについて行けなくて怒られたばかりじゃないでやすか! 無駄太りしてるからでやんす!」
「そ、そんな事言われたって勝手に太っちゃうんだもん! ヤエモンも父上と同じ事で怒らないでよぅ!」
汗なのか涙なのか分からない液体がキサブロウの顔をベトベトに濡らしている。
僕、ガッくん、ヤエモン、そしてキサブロウ。
小さい頃から遊ぶのもイタズラするのも怒られるのもいつも一緒な四人は、ムラクモの里でもそこそこの悪名を誇っている。
僕ら鬼一族には子供が少ない。
成人してない里の子供で一番年上なのが僕の二つ上、十四歳のガリュウことガッくん。
その下が僕で、一つ年下にヤエモンとキサブロウ。
僕の弟妹であるサエとトウジロウもヤエモン達と同じ歳だけれど、トウジロウは身体が少し弱いから外で遊ぶより部屋の中で本を読む事を好むし、サエは活発で男勝りだがそれでも女の子なので、あんまり僕らと一緒に居ることは無い。
サエと同じ歳の女の子、ミクモとレンゲなんかとずっと一緒に遊んでいるみたいだ。
そのかしまし三人娘より下の子となると、ガクッと四つ下がって七つになるテンジロウ。その下が五つのキララと、技師衆のせがれであるアスカ。
そして先日ついに仲間入りを果たしたのが四つになるヤチカちゃんで、ナナカさんを含めるとこの里に居る子供は十一名。
大人の数六百人に対して十一人って言うのは、普通の集落と比例しても異常な数だ。
これが亜王院と鬼一族にかけられた、呪いの効果。
僕らは代々、外の世界から頭領が見極めた人を里に引き入れる事で集落を維持してきたのだ。
「でも若様が結婚したとなると––––––三年後どうするでやんすかねぇ」
頭の後ろで手を組みながら、ヤエモンは軽々と枝から枝へ飛び回る。
ここ何年も毎日走っている道だ。
身軽なヤエモンの様には行かないけれど、僕だって目を瞑って一周ぐらいはできる。
「…………出立の儀、か」
「––––––そう。またの名を、『嫁探し』でやんす」
静かに零したガッくんの言葉に、ヤエモンが相槌を打って返した。
「––––––あ、僕すっかり忘れてた。それ」
そうだそうだ。
最近ゴタゴタしすぎてて、頭の片隅にも思い出さなかったや。
「若様はもう嫁を娶ったでやんすから、意味ないでやんしょ?」
「里に残すのも……嫌だしなぁ」
ナナカさんに、ずっと側に居るって約束しちゃったしなぁ。
「…………頭領の事だ。きっと何かお考えがあってのことだろう」
「そうかなぁ……父様は行き当たりばったりな人だから、忘れてる可能性もあるよ?」
「…………大事なしきたりだ。まさかそんな事、あるはず……ない」
ほら、ガッくんだって自信ないじゃんか。
「……『嫁探し』ねぇ」
僕は走りながら、もうすっかり白んだ空を見上げる。
この里には、十五になると一度里を出なきゃいけないと言うしきたりがある。
見聞を広めるとか、武者修行と言う名目で十年ほど一人旅をするしきたりが、このムラクモの里にはあるのだ。
だが本当の目的は、純粋な同族同士では子を増やせない鬼一族のために、外の世界で『嫁』を探す事。
女の子は里を出るか出ないかを選べるし、お目付け役の人が付いてくれるけど、男の場合は一人旅になる。
そして諸国を旅して周り、自分の伴侶となる人を探し当て、説得して里に連れてくるのだ。
父様と母様、そしてトモエ様だってそうやって出会った、らしい。
「…………出立の儀は、嫁探し以外にも目的はある。タオに限って取りやめにするわけはない」
「んじゃあ、その間お嫁さんと離れ離れでやんすか?」
それは……嫌だなぁ。
ああ見えて寂しがり屋なナナカさんを置き去りにはしたくない。
一度里を出たら、最低でも十年は戻れない訳だし、新婚ホヤホヤな僕らにそれは幾ら何でも酷すぎる。
ヤチカちゃんだって、できる限り側に居てやりたい。
あの姉妹二人は今まで辛い思いしかしてこなかったんだ。
隣で守ってやりたいし、見守りたい。
「……まぁ、あと三年あるわけだし。父様から何か説明があると思うよ?」
何もすぐ里を出るわけじゃない。
考える時間も、話し合う時間もたっぷりある。
「あっしは楽しみなだけでやんすが、若様は複雑でやんすねぇ」
「…………俺は楽しみ半分、不安半分だ」
「あはは、ガッくんが女の子と話ししてるの、想像できないもんね?」
サエともまともに会話できないぐらい、ガッくん照れ屋だから。
「まっ、待ってよ若様ぁ! ヤエモーン! 兄貴ぃ!」
今にも死にそうなぐらい顔を真っ赤にして、キサブロウが僕らの名前を呼んだ。
「…………俺が一番心配なのは、実はアイツだ」
「あっしもでやんす」
「…………僕も、かなぁ」
僕らの中で一番力持ちなのに、泣き虫で弱虫。
昔から手のかかるキサブロウが、里の外でちゃんとやっていけるのだろうか。
僕ら三人は自然と足を止めてキサブロウを待つ事にした。
のそのそと亀のような歩みで、キサブロウはようやく僕らに追いついて、座り込む。
「ぶひぃ! 疲れたぁ! お腹空いたよぉ!」
…………三年と言う年月は、キサブロウには短すぎるかも知れない。
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