母娘①
「ちっ……ウスケのせいで締まんねぇ終わりになっちまった」
「どの口がそんな事言ってんすか!! 頭領の本気の鬼気なんざ受けられるわけないでしょう!?」
アメノハバキリから放り出されたウスケさんが、両腕で自身の身体を抱きしめながら涙目で
僕らの目前には、未だ蒼い煙を立ち上がらせて燻る邪鬼の亡骸がある。
無限とも思える回復力を持つ邪鬼を仕留められるのは、同じ鬼である僕ら亜王院と、『赤』の一族である
そして亜王院やムラクモの里でその鬼火を扱えるのは、父様しかいない。
「––––––あんまり、役に立てなかったな」
悔しさを隠せない僕の本音が、愚痴の形になって口から飛び出した。
父様に聞かれるとまた『弱音なんざ吐きやがって』って怒られるから、ボソッとだけど。
僕が仕留めた餓鬼は、多分千匹ちょっと。
邪鬼の絶命と共に増殖しなくなった餓鬼の死体は、霞となって消えていく。
その残滓もまた、新たな邪鬼を生み出すきっかけになりかねないから、トモエ様が興奮気味のキララとテンジロウを連れて清浄の鬼術でここら一帯を清めて回っている。
時間はもう夜だ。
天上近くに現れた月が、披露宴会場になるはずだった空き地を照らしている。
「……若様はよくやりましたよ。初陣としては上出来すぎるほどです」
「は、ははっ。リリュウさんに褒められました」
「本当ですよ」
そうは言われても、不甲斐なさで打ちのめされた気持ちはすぐに立ち直れない。
あれだけ稽古して、あれだけ修行したのにな……。
「な、なぁ。リュウよ。若様アレ本気で言ってんのか?」
「……ああ、本気だ」
「嘘だろ……? あの歳で餓鬼相手に無傷で、しかも千匹以上仕留めてんだろ? 百年前、俺らがあの歳の頃なんざ一匹相手に数人がかりで苦戦してた気がすんだけど」
「……頭領と奥様方の教育方針なのだから、仕方ないだろう。『よっぽどのことじゃない限り褒めるな。図に乗る』だとさ」
「里始まって以来の天才に、褒めるなと言うのも……なんだか酷な話だよなぁ」
「……今どれだけ褒めても、若は納得なさらないだろう。長年頭領が騙し続けた結果だからな。そのせいで里の童たちはみな、『禁』が施されていると本気で思っている。本当に『禁』されているのは、若だけなんだがな」
「……お、お可哀想に」
ウスケさんとリリュウさんが、なにやらコソコソと内緒話をしている。
も、もしかしてそんな駄目だったのだろうか僕は。
ああ、落ち込むなぁ。
「坊主」
父様に呼ばれて顔を上げる。
お、怒られるのかな……。
嫌だなぁ。
「今日は上出来だった。褒めてやる」
これだよ。
本当にこの人ったら。
僕が本当に欲しい時だけ、一番望んでいる言葉をくれる。
「あ、ありがとうございます」
ほんの少し、心が晴れた気がした。
「ほら、嫁と妹連れてこい。こんなんでもアイツらの父親だ。最後ぐらい見届けさせてやれ」
「え!? で、でも」
あの二人にとって、父親とは母であるムツミ様の不遇と死の原因だ。
果たして、本当に見せていいのだろうか。
「……良いんだよ。
「待たせてる?」
誰を?
「早よ行け」
背中を押されて、僕の体が傾いた。
慌てて姿勢を正し、父様のなんだか悲しそうな顔を見ながら駆ける。
ナナカさんとヤチカちゃんは、
ヤチカちゃんの手をギュッと握りしめて、なんとも言えない表情を浮かべている。
そりゃ、そうだ。
憎んでいたとは言え、今日亡くなったのはナナカさんの実の父と義理の母や姉達。
幼いヤチカちゃんにはまだ理解できないのかも知れないが、その心情はとても複雑な筈だ。
「ナナカさん。あ、あの……父様がお呼びです」
一言、一言だけでも気の利いた事が言えれば良かったのに、なんて声をかけていいのか分からない僕は、やっぱり情けない。
「……はい。タオ––––––様」
白く細い右腕が、僕の半纏の裾を弱々しく摘んだ。
––––––震えている。
強くて、弱いナナカさんの腕が––––––可哀想なぐらい細かく震えている。
だから僕は、思わずその手を取って両手で包んだ。
冷たい。
冷たいのに、真っ赤だ。
ずっと、指が食い込むほど強く握っていたのだろう。
見てるだけで、色んな感情に翻弄されて––––––辛かったんだろう。
「……大丈夫です。行きましょう」
「……ありがとう……ございます」
目を伏せて、ナナカさんはこくりと頷いた。
僕の両手の上にさらに左手を乗せて、胸元に抱き寄せる。
落ち込んでる場合なんかじゃなかった。
さっきも自分に喝を入れたはずなのに、僕は容易く忘れてしまう。
なんてトリ頭なんだ。
いや、
この
自分の事で精一杯な僕は、昨日まで。
今日から僕は、この
震えのやまないナナカさんを優しく先導しながら、邪鬼の亡骸の前までやってきた。
僕らの後ろから、母様に手を引かれたヤチカちゃんも浮かない顔でついてくる。
優しく微笑みかけると、安堵したように笑った。
お姉様の顔を見て、幼いながらにも不安を感じていたんだろう。
「来たか。お前らの父の弔いだ。何か伝えたい事はあるか?」
「…………っ。いえ––––––特に何も」
蒼く燻る邪鬼を見て、込み上げる何かに耐えるように口を噛み締め、そして目を逸らして告げた。
「……なんでも良いぞ。恨み言でも、罵声でも良い。ここで言わないと悔いが残るなら、言ってしまえ」
腕組みしたままの父様が、邪鬼の亡骸に触れる。
あの蒼炎は父様の炎。
自分の炎で焼かれる訳がない。
「わ、私は––––––」
「––––––お前らの母も、そこで聞いている」
未だ言い淀むナナカさんの顔を見ながら、父様は不意に笑ってそう言った。
「––––––おかあ……さま?」
顔を上げたナナカさんに促すように、父様は邪鬼の死体を指差す。
「ああ。どうれ、話をさせてやろう」
両の手のひらに込めた鬼気を、優しく擦り合わせる。
僕が知らない鬼術だ。
一体、何が始まるのだろう。
「鬼術、『
目を閉じて、父様が術を発動させた。
合わせた手を中心にして、蒼い光が円形に周囲に広がる。
その光はやがて薄く消え、しばらくして地面からぽつぽつと光の玉が湧き上がってきた。
一つ、二つとどんどん増えていき、ゆっくりぐるぐると空を回る。
月の光に照らされたその光景は、どこか幻想的だ。
光の玉は最終的に八つまで増えると、邪鬼の亡骸の前で止まった。
「やぁ、はじめまして。ウズメの巫女姫殿」
父様が優しく、その光の玉の一つに話しかけた。
光の玉は一回ぶるりと震えると、徐々にその輪郭を曲げていく。
ぐにぐに、うねうねと姿を変えていく光の玉は––––––やがて髪の長い女の人の姿になった。
『––––––はじめまして。アオオニ様』
優しい––––––女の人の声が聞こえた。
「––––––お母様ぁっ!!」
ナナカさんが一歩足を踏み出した。
目を大きく見開いて、瞬時に流れ出た大粒の涙を拭うこともせず、ただ母を呼ぶ。
「お母様っ! あかあさまっ! ああっ、おがあざまっ!」
『ナナカ……貴女には本当に、苦労ばかりかけてしまいましたね。全ては母が悪いのです。どうか許してください』
女の人の輪郭を持った光は、深く頭を下げる。
「おかあさまはっ! おかあさまは何も悪くありませんっ! だって、だって全部お父様がっ!」
『––––––いえ、私は早く気付くべきでした。あの人の異変に。あの人の心に巣食う魔なる者に』
かぶりを振って答える女の人––––––おそらくムツミ様なのだろう。
輪郭しか分からないし、僕はムツミ様の声も顔も知らない。
だけどその優しい声は、紛れもなく『母』の声だ。
『あの人は、あの人の生涯は––––––常に敗北の連続でした。法術によって台頭してくる新貴族達に領地を追いやられ、王国にとってなんの益もない辺境で燻り続けるアズバウル家を憂い、しかし功績すら挙げられず––––––やがて痩せ細るばかりの領地に苦心し……心を病み、そして恐ろしいモノに手を出してしまった』
そうか。
この国では、優れた法術を使える者を貴族に任命する比較的新しい制度がある。
確か二代前の王様ぐらいの頃からだ。
一家系秘伝の技を認められて、新たなに拝命されるその人達を『新貴族』と呼ぶ。
戦功をあげたり、王国に貢献したその貴族達は領土すら分け与えられたりもするんだ。
だけど王国の領土には限りがある。
近年、アルベニアス王国は戦で負け知らずだが、全て領土防衛戦だったと記憶している。
つまり、戦で国土を広げていないのだ。
だけど戦働きをした貴族には、それなりに褒美をやらなければならない。
割を食ったのは、古い貴族達だ。
ただ古いというだけで特に何かに優れた訳でも無い貴族達は、その領地を割譲され、支配力を奪われる。
王家の恐れもあったのだろう。
貴族が抱える兵力を分散させれば、それだけ謀反の可能性も減るから。
アズバウル家は––––––その典型だったのか。
年々立場を失いつつある家名を憂いて、憂いすぎて––––––邪鬼を取り込んでしまったのか。
『不甲斐ないばかりです。肉の身体を失って––––––初めて気づきました。あの人の心と身体が、邪なるモノに蝕まれていることを。己の身に降りかかる不幸を嘆くばかりで、あの人の苦痛に気づけなかった』
「だか、最近のスラザウルを抑えていたのも––––––貴女なのだろう?」
父様がにこやかに、ムツミ様に問う。
「おかしいと思ってはいたのだ。俺が以前に討った邪鬼はそれなりに強い個体だった。アレの右腕を食らったにしては邪鬼化の進行が遅すぎる。本来であるなら、もう数年も前にこの領は滅んでいてもおかしくはないはずだ」
邪鬼の恐ろしいところはそこにある。
極論で言えば、父様が居ないと討てないのだ。
一応、なんとかなる方法もあるらしいのだけれど––––––対価として支払わなければならないモノが、多すぎる。
『––––––はい。最初に、先妻様方やその子供達の魂を保護しました。もう殆ど残っていなかったけれど、いまこうしてここに立てる程度には魂も回復しております』
ムツミ様の差し出した手の先にある七つの光が、会釈をするように揺れた。
まともに人の形すら保てないほど、彼女達は貪り食われたのだ。
『それからは皆で、あの人の歪みを抑えていました。彼女達の身体は完全に奪われていて手出し出来なかったけれど、スラザウル様の中には一欠片の良心が残っておりましたから』
亡くなってまで、ムツミ様は苦労なされたのか。
なんて、お辛い……。
「流石は、ウズメの巫女姫殿だ。敬服するよ」
『––––––いえ、私は衰えていました。この地に移って以来、まともに修行などしませんでしたから。本来なら、私があの人の凶行を止めるべきでしたのに』
「お母様はっ! 何も悪くないっ!!!」
突然、ナナカさんが声を張り上げる。
まるで小さな子供のように、ブンブンと頭を振りながら––––––ナナカさんは泣きながら喚いた。
「悪くないもんっ!! お母様はずっと辛かったじゃない!! 全部っ、全部お父様が悪いのにっ!! なんで!?」
『ナナカ……』
「ひっく、だって……お父様が居なければ……お母様だってまだ……まだぁ……うぁ、うぇええ……うあああああああっ!」
未だ握りしめていた僕の手を、より強く掴んで––––––ナナカさんは嗚咽をあげる。
目を閉じ、天を仰ぎ、喉も鼻もなりながら––––––溜まり溜まったモノが堰を切って溢れ出る。
出しても出してもまだ全然足りなかったんだ。
ナナカさんが受けた痛みは、そんな簡単に和らいだりしない。
「おねえ、さま?」
僕とナナカさんの間に、ヤチカちゃんが駆け寄ってきた。
「お、おねえさま……な、なかないで」
ヤチカちゃんが、心配そうにナナカさんを見上げる。
「な、なかないでおねえさま……ふえっ……ないちゃ、やぁ……」
ガラス玉みたいなその両目に、涙が溜まっていく。
抱きしめる。
咄嗟に、だけどそうしたかったから––––––僕は二人の肩を持って自分の体に押し付けた。
「ああぁああっ! ふぁああああああっ!」
その場にしゃがみこみ、ヤチカちゃんを強く抱きしめてナナカさんは泣き続ける。
「ふぇええ……ひっぐ、ふぁあああああっ!」
ナナカさんの胸に顔を埋めて、ヤチカちゃんはしゃくりあげた。
『ナナカ……ヤチカ……』
ムツミ様の光の影が、そっと僕らを包み込んだ。
暖かい。
この温もりは、きっと替えの効かないモノだ。
『ごめんね? ごめんなさい。愛しているわ。母様はいつだって貴女達を愛しています。ごめんなさい……本当にっ、ごめんなさい……』
肉体の無いムツミ様の手が、ナナカさんとヤチカちゃんの頭を撫でた。
「ひっ、おかあっ、さま?」
『ええ、そうよヤチカ……大きくなったわね?』
「おかあ、さまぁ……おかあさまっ! おかあさまぁ!!」
生きる者と、死んだ者。
想う者と想う者。
触れ合える二人と、望んでももう触れられない母。
その気持ちの強さは何も違わないのに、なによりもそれだけが違う三人が抱き合う。
肉体の温もりは感じられない。
だけど心の温もりだけは確かにそこにある。
残酷で、でもとても優しい。
戻れない。取り戻せない日々だけが––––––今この場に流れているのだ。
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