夫婦の契り②

 


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 な、なにがどうしてこうなったんだろうか。


 今ナナカさんは宿の裏手で一人身を清めている。

 僕が今いるこの部屋から見える位置に、衝立ついたてを設置して、宿から借りた大きな桶に僕の熱晶石で沸かしたお湯を張り、丹念に丹念にその身を磨いている。


『タオ様、今夜は私の一世一代の––––––最初で最期の一夜です。どうかお逃げにならず、このナナカを受け止めて下さい』


 初めて会った時の死んだような目ではなく、強い光の宿った有無を言わさぬ圧力を発する眼差しでそう言われたら、僕はここから一歩も動けない。


 ベッドの上でまんじりともせず––––––いや、時々窓の外を眺めては慌てて視線を逸らす。


 り、理解はしてる。


 他の誰でもないナナカさんに教えて貰った、男女の営み。


 僕らが今からするのは、正しくソレなのだろう。


 だけども!

 だけどもだよ!?


 僕には圧倒的に!

 知識と、経験が足りてない!


 一ヶ月前、この歳で粗相をしたと嘆いて母様に不思議な視線を送られたアレが!


 僕が子供を成せる身体になった証だって知ったのは昨日の事だ!


 そんな僕が、そんな僕がだよ!


 今からハイ、子供を作りましょう。なんて言われても困る!


 あ、外から衣擦れの音が聴こえて来た。


 これは布で身体を拭いている音だな?


 ああ、自分の優れすぎた聴覚を疎ましく思う時が来るなんて!


 しばらくして今度は材質の違う音に変わった。


 これは母様から借り受けた夜衣の襦袢じゅばんを、ナナカさんが身につける音だ。


 西方から仕入れた絹物シルクであしらった肌触りの良い結構高価な代物。


 宿についてナナカさんが最初に向かったのは、二つ隣の母様達の部屋。


 キララやテンジロウも泊まるからと、大きい部屋に移ったのだ。


 外で待ってて欲しいと言われて少し経つと、何やら微笑ましい物を見たかのような表情の母様から着物を受け取って出てきた。


 も、もしかして。


 母様は、僕らが今から何をするのか––––––知ってるの!?


 気不味いって話じゃ済まないんだけど!?


「へあっ!」


 ドアをノックする音に心臓が跳ねた。

 口からまろび出るんじゃないかぐらい元気に跳び跳ねた。


『––––––タオ様、入っても……よろしいでしょうか』


 心なしか艶のある声で、ナナカさんが扉越しに語りかける。


「は、はっ! ははははっ、ハイ!」


 たったの一言に何回どもればいいのか。


 あっ、ダメダメ。

 今の僕はまともな思考回路を持ち合わせていない。


 両耳の側に大太鼓が盛大な祭囃子を刻んでいる。

 鼓膜が突き破られそうなこの音は、何を隠そう僕の心臓の鼓動だ。


『失礼……します』


 ガチャリ、と宿の古めかしい扉が開く。


 そこに現れたのは、濡れた身体にぴたりと張り付いた薄手の襦袢姿のナナカさん。


 上気した頬は白い肌を綺麗な薄紅色に染めて、金色の髪が水に濡れてツヤツヤと輝いている。


 着物に着慣れていないせいか、腰帯は少しばかり歪に結われていて、そのせいで大きな––––––とても大きな胸の中心が大胆にさらけ出されている。


 弛んだ布地を指に引っ掛けて軽く下に引っ張れば、簡単に全てが露わになってしまうほど、ナナカさんは無防備だ。


 後ろで扉を閉め、羞恥に歪む顔を少し斜めに背け、彼女は胸に右手を当ててゆっくりと近づいてくる。


「あ、あの––––––この間は自暴自棄で、半ばヤケクソでしたから平気でしたが……改めてこうしてみると、とても恥ずかしいモノですね」


「––––––あ、はい」


「お、お側に……座ってもよろしいでしょうか」


「––––––あ、はい」


「ありがとう……ございます」


「––––––あ、はい」


 見惚れるとは––––––こういうことか。


 濡れて透け始めた襦袢から見える、紅潮したナナカさんの肌はまるでそういう色の宝石のようで。


 恥ずかしさで濡れた翠色の瞳は、僕の心を掴んで離さない。


 水気を含んでまとまった金色の髪から、いつまでも堪能していたい気分にさせるいい匂いが放たれる。


 部屋の中いっぱいに充満し始めたその匂いに、さっきまで動転していた僕の思考が徐々に落ち着きを取り戻し始め––––––そして一つの欲がムクムクと育ち始めた。





 さ、触っても––––––いいのかな。





 この綺麗な硝子細工みたいな女性ひとに、触れたい。


 指感触ゆびざわりが大変良さそうなそのうなじに指を這わせて、ゆっくりと撫でたい。


 耳の後ろ、髪の付け根に鼻を埋めて––––––彼女の匂いをじっくりと嗅ぎ取りたい。


 朱に染まったその肌を優しく触れて、堪能したい。



 ぼ、僕は一体どうしたんだろう。


 この目が、この視線が、ナナカさんを捉えて離さない。


 僕の視線に気づいた彼女が、まるでテンジロウの可愛いイタズラを見つけた母様のような笑みを浮かべた。


 そしてゆっくりと––––––その薄桃色の小さな唇を開く。






「––––––タオ様も……ご準備なさってください」




 ナナカさんの指が、僕の着物の帯を優しく解いた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る