鬼小町・淡くて小さな恋の歌②


「あっ、あれ? えっと、タオ兄様だけですか?」


「そうだけど、どうしたんだ?」


 玉の様な汗を額に貼り付け、少しだけ肩で息を切らせながらサエはキョロキョロと辺りを見渡した。

 

 僕はゆっくりと立ち上がってサエに近づくと、その着物を両手を使って綺麗に正す。

 着崩れてグッチャグチャじゃないか。みっともない。

 トモエ様にまた『女の子なんだから、ちょっとは身嗜みに気を遣いな!』って怒られるぞ?


 あーもう、ほらほら。胸元がはだけすぎてもう少しで全部見えちゃうじゃないか。

 背帯も解けかけてるし、て言うかなんでお前こんな寒いのにそんな薄着で出歩いてるんだ?

 少し暖かくなって来たからって油断しちゃダメじゃないか。

 僕ら鬼一族は滅多に病気になんか掛からないけれど、ごく稀に大病に罹る可能性も無くは無いんだからさ。

 小さい頃ならまだしも、お前はもう十一歳なんだからさ。異性の目を気にしなさいな。


 と、心の中でお小言を言う僕。

 

 つい最近まで全然気にしてなかったこの兄が言える義理は無いのである。 

 そこんとこ言い返されたらぐうの音も出ないしね。


「あ、あの……ガリュウにいは?」


「ガッくん? ガッくんなら用事があるとかでついさっき行っちゃったけど」


 サエの身体を無理やり回し、背中の帯を締め直す。


「ぐえっ、タオ兄様っ、キツい!」


「こんぐらいキツく締めないとお前すぐ解いちゃうじゃんか。ほら動くなって。うん、これで良しっと」


 最後に帯締めを締めて出来上がり。


 ふむ。我ながら女の子の着付けも上手くなったものだ。

 伊達に何年もこのお転婆の着替えを手伝って来たわけじゃ無いからね。

 男の子より活発で、男の子より大雑把なこの妹は小さい頃はそりゃあ暴れん坊だったもんだ。


 僕の一個下の妹──────亜王院サエはとっても元気な女の子だ。


 その有り余る活発さは、腹違いで同い年の弟、トウジロウの元気を吸い取ったかの如く、止まる所を知らない。


 学者肌で部屋に引きこもりがちなトウジロウとは対照的だ。


 小さな頃からとと様と僕の稽古を眺めながら自分も木の棒を振り回し、里中を駆け回っては色んな事件を起こしてはトモエ様に怒られていたのを思い出す。


 もう一人の弟のテンジロウが生まれてからは、姉の立場を自覚したからなのか以前よりもそのお転婆は鳴りを潜めては居るものの、時々こうして油断して本性を現すのが玉にきずである。


 静かにしてりゃあサエも凄い可愛いんだけどなぁ。なにせトモエ様にそっくりだもの。将来凄い美人さんになるぞきっと。

 うん、僕も大概兄馬鹿だな。


「ガッく──────ガリュウに用事でもあったのか?」


「あ、あの、えっと、いや、その。用事は、タオ兄様に……です」


 なんだかもごもごと言い澱みながら、サエは着物の襟に手を入れて懐から何かを取り出した。

 お前、たった今僕が綺麗に直したんだからさぁ。そんな雑にするなって。


「はい、これ。カンラさんから」


「カンラ兄から? あ、ああそっか。そう言えばまだ貰って無かったっけ」


 手渡されたのは、白鞘の小刀。

 父様から僕に課せられた『刀狩り組手の行』。その戦利品だ。


 ムラクモ刀衆百八名が持つその小刀、百八本。

 全員になんらかの勝負を挑み、僕が勝ち取り集めなければならない大事な物である。

 そんな大事な物を忘れるなんて、僕の爺様へのトラウマも相当だなぁ……。


「タオ兄様に渡せば分かるって行ってました。なんですこれ?」


「んー? いや、まぁ。大事な物だよ」


 特に言い付けられている訳じゃないけれど、トウジロウを除いた他の兄妹、それにヤチカちゃんには僕の試練の話は隠している。


 物騒で血生臭い稽古だし、変に興味を持たれても危ないからね。


「ん。確かに受け取った。わざわざありがとうな」


「いえいえ、とんでもございませんって」


 僕の礼にサエは満面の笑顔を返した。

 横で一括りに纏めれた真っ赤な毛束を揺らして、真っ白い歯を見せながらニシシと笑うその顔は、どちらかと言うとトモエ様より父様に似ている。


「さて、じゃあ僕は格納庫に行かないと。そういやサエも呼ばれてたろ」


「あれ? キャラバン隊の荷下ろしって今日でしたっけ?」


 なんでそんなワザとらしく顔を逸らすんだお前。


「おいおい、忘れてたのか? ずっと前からトモエ様が仰ってたじゃないか」


「サエは母様のお小言なんてしょっちゅうですから、半分ぐらい聞き流してるんです」


「それでまた怒られてお小言言われてりゃ世話無いんだけど?」


 僕より頭一つ背の低いサエの、そのつむじ部分に手を添えて撫でる。

 トモエ様の機嫌が悪くなると、僕にもとばっちりが来るんだからね?


「へへへっ。その時はタオ兄様に助けて貰うから良いもん」


「お前さぁ。怒られる身にもなってくれよ」


 サエがトモエ様を怒らせると、必ず僕もついでで怒られるのが基本だ。

 兄貴としてしっかりと妹を叱るべきだと、父様と僕が甘やかしているからだと、まぁ正論で詰められる。


 トモエ様は一回怒ったらカラッと気持ちを切り替えてくれるけど、その一回がとてつもなく怖い。


 できるなら、あんまり怒らせないで欲しいなぁ。


「そう言いながら、タオ兄様はいつだってサエの事助けてくれるからサエは兄様が大好き!」


 ワザとらしくしなり•••を造って、サエは僕の右腕に抱きついてくる。


「そんなタオ兄様に、お一つお願い事が御座いまして──────」


「──────なんだよ」


 突然、猫の様に甘えた声で、サエは下から睨めあげる様に上目遣いで僕の顔を見た。


 この顔は何か無茶な事を言う時の顔だ。

 僕の押しの弱さを知っているサエは、何か欲しいものがある時はこうやっておねだりをする。

 お小遣いを使い切った時や、何かをしでかし説教が確定していて助けを求める時など、何度この顔にほだされて来たことか。


 今日こそ、今日こそは。無理な物は無理と断らねば。

 あんまり妹を甘やかすと、ロクな大人にならないかもと言う危機感は持ってはいるのだ。

 

 これは心を鬼に──────ああ、生まれつき鬼だった。心を修羅にして断らねば。


「今日の荷下ろし、ちょっと行きたくないなぁって」


「はいダメー」


 流石にソレは聞き入れられません。


「キャラバン隊の荷下ろしと荷積みは里の重要な仕事だぞ? お前だってソレは分かってるはずだろ?」


 今日中に全部下ろし終えて、十数台ある馬車の整備をしないと荷が積めないじゃないか。

 次の出立は明後日なのに、間に合わなくなったら大変なんだからな?


「わ、分かってる! 分かってますけど! お願い兄様!」


 亜王院一座の隊商キャラバンは、当然だけどこの里の懐事情に深く関わってくる大事な大事な業務だ。


 テンショウムラクモは空を飛ぶ山脈。

 その敷地面積はちょっとした島程度はあるものの、満足に農業が出来るほどの余裕は無い。なにせムラクモの森も三峰の山も有限にして神聖なる土地。

 無計画にその恵みを収穫してしまえば、短い期間ならまだしも長期で見れば枯れてしまいかねない。


 それに土の問題もある。

 下界より豊富な魔力を含んだこの土地の土は農作物に良くも悪くも多大なる影響を及ぼすけれど、その分土の力が下界より遥かに早く失われてしまう。

 里の主食である芋や麦などを時期に分けて上手いこと栽培出来てはいるけれど、それだって多くの収穫は見込めない程度だ。


 だからこそ僕らムラクモの民は、陸路と空路を駆使して下界から食料と外貨を調達している。


 亜王院の本義である同族、『赤鬼』朱御しゅおん一族の捜索も兼ねていて、僕らが商いをする様になったのは必然の事なのだ。


「さっさと済ませてすぐに出発させないと、販路に遅れが出ちゃうだろ? 各地のバザールの日程に合わせて移動しなきゃならないんだから」


「で、でも! それだと間に合わないの!」


「間に合わないって、何にだよ」


「そ、それは──────い、言えません」


「なんだそれ」


 流石の僕でもそんな理由じゃ庇いきれないんだけど。


「お願いタオ兄様! サエの一生のお願いです!」


「お前の一生のお願いなんて、もう何十回生まれ変わっても足りないぐらい聞いてきたんだけどなぁ」


 困ったなぁ。

 うーん。どうしたものか。

 考えてみたら、サエのこの焦り様は中々珍しい。

 トモエ様譲りで快活で気っ風の良い性格をしているから、駄々を捏ねつつも何だかんだで聞き分けの良い奴なんだ。


 そんなサエが、大事な仕事と理解しながら休みたがるって事は、余程の事なんだろう。


 ただなぁ。理由も聞かずに了承は──────無理だよなぁ。


「どうしても言えない事なのか?」


「う、うぐっ。どうしてもって、訳じゃ無いけど──────言いたくない」


かか様達なら、ちゃんと理由を話して納得さえできれば、休ませてくれるだろうに」


「か、かか様やシズカ様に……もちろんとと様には絶対言えない!」


「里の他の大人達は?」


「む、無理……だと、思う」


 えー?

 なにそんな大層な隠し事なの?


「何か危ない事しようってんじゃないだろうな?」


「それは無いです! 絶対に! 神山アマテラスに誓っても良いよ!」


 ふーむ。

 そうまで言うんなら、やましい事では無い様だけど。

 どうしたものか。


「タオさまー。どちらですかー?」


 縋り付くサエに困り顔で居ると、遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 僕の最愛のお嫁さんである、ナナカさんの声だ。

 作業用の薄い青の着物に風呂敷をたすき掛けにしているせいで、そのふくよかな二つのお山がいつも以上に強調されていて、里へと続く林道の奥でキョロキョロと周囲を伺いながら歩いて来る。


「こっちですよー!」


 軽く手を振って答えると、ナナカさんは嬉しそうにその歩みを速めた。

 ああ、そんな駆け足だと木の根や石ころに躓いて転んじゃいそうだ。。


「あっ」


 言わんこっちゃない。

 まぁ、転ばせませんけどね?

 僕は優しくサエの体を離して、右足に精一杯の力を込めて瞬時に跳躍する。

 そのままナナカさんの身体に向けて、両手を伸ばした。


「わっ。び、びっくりしました。いつの間にこんな近くに?」


「この程度の距離なら、僕だってこんぐらい速く跳べますよ」


「流石でございますね。ありがとうございますタオ様」


 予測していた通りに躓いたその体を優しく受け止めると、ナナカさんは嬉しそうに礼を言う。

 いえいえ、こんぐらい何てこと無いですから。

 大事なお嫁さんが転びそうな時に、支えてやるのも旦那の務め。

 少なくとも僕が見ている前じゃ、絶対に傷一つ付けさせてやらないんだ。


「そう言えば、お呼びですか?」


「お呼びですか、じゃありませんよタオ様? お戻りが遅いので迎えに来たのです」


「あ、もうそんな時間か」


 そうそう。

 荷下ろしに遅れちゃ行けないからもし遅れたら呼びに来て貰う様に、ナナカさんにお願いしてたんだっけ。


「すいませんわざわざ」


「いえいえ、とんでもございません。タオ様もお忙しいですから」


 ナナカさんはにっこり笑って、懐から手拭いを取り出し僕の頬を拭く。


「お腹が空いてるでしょうし、軽く握り飯を作って参りました。お昼まではまだ時間があるので、腹拵えなど如何ですか?」


 有難いなぁ。

 ちょうど小腹が空いていた所なんだ。


「ありがとうございます」


「お茶もお持ちしましたので、お仕事の前にどこかで──────」


 一通り僕の顔を拭き終えると、肩から風呂敷を外しながらナナカさんが辺りを見渡した。


「ナ、ナナカ姉様。こんにちは」


 ちょうど視線がぶつかったのか、サエがぎこちない表情でナナカさんに挨拶をする。


 この二人、いまだにあまり打ち解けてないみたいなんだよなぁ。


 活発で雑なサエと、おしとやかで几帳面なナナカさん。

 同じ女の子なのにまるで真反対なもんだから、まだ距離感を測りそびれているのかも知れない。


「サエ様。こんにちは。挨拶が遅れて申し訳ございません」


「う、ううん! こっちこそ、えっと──────はっ!」


 他人行儀に会釈をしあう二人。そんな中、サエが突然何かを思いついた様に頭を跳ね上げ、ナナカさんを凝視する。

 何だ何だ。忙しい奴だな。


「ナナカ姉なら──────もしかして──────で、でも──────ほ、他に相談できる人居ないし──────い、一か八か──────」


「サエ?」


「サエ様?」


 ナナカさんの顔と地面を交互に見やり、口元に手を添えて何やらブツブツと呟くサエ。


 僕とナナカさんはそんなサエを不思議がり、お互いの顔を合わせて首を捻る。


「な、何かお悩みですか?」


 先に動いたのはナナカさんだった。

 あんまりにも挙動不審だったサエに心配したのだろう。

 僕より身長の低く、そして俯いているサエの顔を見る為に身を屈めて下からその顔を覗き込む。


「──────悩み……うん。あ、あの!」


 何やら意を決した表情のサエが、バッと顔を上げる。


「タオ兄様、ごめんなさい! 少しだけナナカ姉様をお借りします!」


「え──────きゃっ!」


 目にも留まらぬ速さでナナカさんを抱え上げ、サエは森の奥へと走り去っていく。

 あまりにも突然な上に、今まで見たこともないその素早さに面食らい、僕は呆気にとられて即座に動けなかった。


 いつの間にあんな動きが出来る様になったんだアイツ。

 動きの入りだけなら、ウスケさんに匹敵しかねないぞ!?


「お、おいっ! どこ行くんだよ!?」


「ご、ごめんなさい! 夜までには絶対お家にお返ししますから!」


「って言うかお前! 仕事は!?」


 夜までって、やっぱりサボる気か!!


「それもごめんなさい! サエの一大事なんです! 見逃して!」


「あ、あ〜れ〜?」


 てんやわんやで混乱したナナカさんの、ちょっぴり間の抜けた叫びが木霊する。


「い、一大事って。だから何さ!?」


 置いていかれた僕は結局何も分からぬまま、どうやら尻拭いをする事が確定してしまったらしい。


「つ、つまりどうすればいいんだ僕は……」


 くそう。

 また僕が怒られるのか……。

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