亜王院の兄妹
鬼小町・淡くて小さな恋の歌①
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……や、やった?」
木刀を両手で握り、恐る恐る僕は振り返る。
視線の先に居るのはガリュウーーーーーー僕の二つ年上の幼馴染みの、
いつもの仏頂面のまま、ガっくんはゆっくりと僕を見て、そしてそれ以上にゆっくりと口を開いた。
「…………………………お見事」
……お見事?
そ、それはつまり。
「ーーーーーーんいぃぃぃぃやったああああああああ!!」
両腕を勢い良く振り上げ、僕は天を仰いだ。
やった! ついに、ついにやった!
本当に長い長い道のりだった!
「いやぁ、やられちゃいましたねぇ若様。こりゃガリュウの言う通り、お見事ですわ」
そう言って、刃を潰した模造槍を肩に担いだカンラ兄は笑った。
長身のカンラ兄が槍をそう持つと、只でさえ高い背が更に高く見える。
ギザギザでゴワゴワな黒髪を風に揺らしながら額の玉の様な汗を拭う姿は、さっきまで険しい表情で刺し殺す気満々で僕を見ていた人と同じ人とは思えないぐらい爽やかだ。
「そ、そんな事ないです! だって『百秒以内にカンラ兄に一撃入れれば僕の勝ち』なんて、そんな僕に有利な勝負ーーーーーー達成感はあるけど勝ったなんて思ってませんから!」
そうだそうだ!
ちゃんとした打ち合いじゃ絶対勝てないからと持ちかけたこの勝負じゃ、カンラ兄に勝てたなんて口が裂けても言えない!
でも正直とても嬉しい! やった!
「頭領からは『勝負方法はお前らが決めろ』って言いつけられてますから、その条件を呑んだ時点でオレにはなーんにも言い訳できやせんって。若様はしっかりとオレに一撃入れやしたぜ? なぁガリュウ?」
そうカンラ兄に問われたガリュウが、またゆっくりと頷く。
「……………タオの渾身の薙ぎ払いがカンラ兄貴の胴に入ったのは、俺がしかと見届けた。文句なしにタオの勝ちだ。『
「そうそう! 見違えましたぜ若様! この前の動きとは偉い違いでさぁ! がははははっ!」
う、うう。
滅多に褒められる事なんて無いから、こう面と向かって賞賛されるとどうしていいのか分からなくなっちゃう!
で、でも今日だけは自惚れてもいい筈! 良いよね!?
「若様に足りなかったのは鬼術の戦術応用と、最適化だったんですがねぇ。ああも見事な『在』と『観』の複合技を扱われちゃあ形無しですわ。こりゃうかうかしてらんねぇなオレも」
え、えへへ。
こ、こそばゆいなぁ。
でもまだまだ、こんなものじゃ強くなったなんて言えない。
なんせあと百七人。
その全ての刀衆から勝ちを奪わないと、僕の刀狩り組み手の行は終わらないのだ。
「いやーシュウラ様は流石でさぁ! こんな短期間でそこまで若様を鍛え上げるなんて凄いなぁ。ちなみに若様、参考までにどんな事したか聞いて良いですかぃ?」
「へ?」
爺様との修行?
「あ、あの、その」
「…………タオ?」
「若様?」
「じ、爺様との、修行です……よね? ひっ」
やっ、やめてください爺様! そんな大きい岩じゃ潰されちゃーーーーーーやめて横から殴らないで!
ふえっ、目隠しして崖から飛び降りるなんてそれ殆ど自殺ーーーーーーひぃ、燃やさないで潰さないで凍らさないで!
ま、待って下さい。折れた肋骨が内蔵に食い込んでる感触がーーーーーーあ、いえ治りました治しましたすいません弱音吐いてすみませんすぐに立ちます!
えっ、頂上まで行くんですか? 一人で? 片腕固定して? だって僕、剱の峰は中腹までしか行った事ないしその時は
……刀? いえ普通に持って行きますけど?
あ、やっ、やめろぉ! 返して! 刀返して! それ無いと死んじゃう! 死んじゃうから!
頂上には霞の龍とか居るんだぞ! ただでさえ強力な魔獣の住処なのにっ、物理攻撃が効かない奴らまで居るのにっ、せめて武器だけはっ! 気休めでも良いんです武器だけは後生ですから!
帰ってこれなかったら、罰?
じゃあこの状況は罰じゃないとでも? ははっ、ご冗談を。
こんな理不尽な修行が罰でなくてなんだというんですか。この爺ついにボケたかな?
ああいえそんな滅相もない。
お爺様ったらお髭がとっても素敵。さすが僕らの爺様はかっこいいなぁほんと!
思ってないですよ! クソ爺なんてこれっぽちも思ってないし、殺意なんか微塵も!
「あ、あああああああああああああああああ死んじゃう死んじゃう死んじゃう。速すぎて何も見えないです爺様。ほら僕の左腕ぷらーんって、これ折れてるんですよ? それにもう吐いた血反吐の量が水瓶十杯分ぐらい。いくら僕らが鬼だからってこんな量の血を吐いたら死んじゃうんですよ知ってました? だからもう構えないで立たせないでお願いします五分で良いから寝かせてください。もう三日も寝てないんです。それと少しでいいからお水と食べ物を分けてくれないかなーって。あ、違うんです冗談です。ちょっと場を和ませようとしただけで僕は全然元気だから、ちょっまっ、それは池じゃなくて滝ですし、熱湯ですし岩も砕く水流だしそもそもこれ下るって言うより落下するって高さだしほら、下の方じゃ水棲魔獣が大口開けて僕の事待ってる! ああ駄目です爺様やめて! 助けて助けて助けて助けて助けてぐわぁ! んなろぉ! こんちくしょう! やってやる! やってやるぞ! 絶対生きて帰るんだ僕は! やらせはせん! やらせはせんぞ! へへへへっそうですよ……喉が乾いたら血を飲めば良いんだ…ふへへっ、ふへへへへへへへへっ」
「若様! なんでもないですから! 忘れて! オレが悪かったですから!」
「た、タオ。落ち着け。深呼吸だ。大丈夫お前は生きてる。死んでない」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……大丈夫か?」
「と、取り乱してごめん。カンラ兄は?」
木陰に腰を下ろし、息を整える。
「……ほら」
ガっくんは隣で木に持たれかけて、僕に竹筒を差し出した。
「ありがとう」
素直に受け取って栓を抜き、中に入っている水を一気に
はぁ美味しい。
刀衆の人との立ち会いは、短い時間であろうがたったの一回であろうが神経をすり減らし、体力をごっそり持って行かれちゃう。
カンラ兄も普段は快活でハキハキといた人の良い人なんだけれど、一度槍を構えればそこは流石の戦鬼。
対峙するのが僕であろうが誰であろうが敵と見なし、一撃一撃が的確に急所を狙った致命の刺突を容赦なく繰り出してくる。
『戦場に於いて敵に情けをかけるべからず』
ムラクモの里の男が刀を持った時に最初に教わる事だ。
僕もそう教育されて来た。
だからなのか、得物を構えた瞬間に性格が変わる刀衆の戦鬼は結構多い。
その代表例が、僕の隣で腕を組んで雲を見上げているこの男。
七本刀【三の刀】、
僕の兄貴分にして昔馴染み。
一緒に泣いて笑って育ってきたガっくんは、普段は話しかけない限り一言も発しないし、話しかけても返事をたまにしかしない。
お父さんのリリュウさんも無口だけれど、ガっくんはそれ以上に無口だ。
お母さんも無口だから、両親を足して二倍ぐらいにした感じだろうか。
「そう言えば、次の仕事はいつごろ?」
「……明後日、朝には発つ」
「そっか。今度はどのくらいになりそう?」
「……長くはならないだろう」
同じ刀衆の見習いだけれど、
主に村とか集落とか小国からの討伐依頼で、魔物とか魔獣とかが相手だ。
父様が良しと言えば傭兵として戦争にも介入する僕らーーーーーー刀衆と乱破衆を擁するムラクモ戦鬼団と言えども、若い内はあんまり戦場には出させて貰えない。
ガっくんの様に魔獣相手に戦績を積み上げて行き、やがて十五の歳になれば見事見習いから正規の一員として認められる。
『刀衆』と言う肩書きを貰い、一人の鬼として『嫁探しの旅』に出て、そして腕を磨いて里に戻る。
これがムラクモの里の男のしきたりだ。
現時点で一番若手なカンラ兄もその一人。
僕らより三十歳も離れたカンラ兄はつい最近『嫁探しの旅』から帰ってきたばかりで、来年祝言を挙げる予定らしい。
西方から連れてきたカンラ兄のお嫁さんはとても綺麗なエルフさんだ。
今は二人で刀衆の寮で暮らして居る。
今年はバリバリ働いて、来年までに功績を認められて新しい家を建てて貰うつもりだ! ってお酒の席で宣言していたのを覚えている。
「そっか、良いなぁ。僕も早く一人で仕事をしてみたい」
父様と二人だとやれ寄り道だとかやれ修行だとかで、斬らなくても良い魔獣とか盗賊とか延々と斬らされるし、なにより疲れるんだよね。
「……良いのか?」
「何が?」
「……一人で」
相変わらず、主語が足りないなぁガっくんは。
幼馴染みである僕とかヤエモンとかキサブロウは慣れてるから良いけれど、そうじゃない人からしてみたらガっくんの言いたい事はとても分かりづらい。
これで一人旅とか、心配になっちゃうよ。
「一人って僕が? そりゃあ、今までは父様と一緒だったけれど、あの人なーんにもしないからむしろ一人の方が楽だと思うんだよね?」
寝ずの火の番とか変わってくれないし!
ご飯の支度とか絶対手伝ってくれないし!
言っちゃえばかなり足手まといなんだよね父様ってば!
「……違う」
「違う? 僕じゃなくて?」
おっと。僕がガっくんの言いたい事を読み間違えるなんて珍しいな。
「……嫁だ」
「ナナカさん?」
「……お前が仕事に出る様になれば、嫁は家で一人待つ事になるだろう?」
…………はっ!!!!
そう言えばそうだ!!
刀衆の仕事は短くて数日、長い時は数ヶ月かかる事もある!
その間、ナナカさんは家で一人になっちゃうじゃないか!
つい先日、一月半留守にしてああも泣いてしまう程、ナナカさんは寂しがり屋さん!
それ以上ってなったら最悪、身体に悪影響を及ぼしかねない!
「どっ、どうしようガっくん!」
「……知らん」
ええいこのむっつり幼馴染みめ!
弟分の必死な相談をそうも無碍にするなよ!
ほんとにもう! ほんとに!
「……ん?」
ガっくんが不意に、里の方角に向けて首を動かした。
「どうしたの? 誰か来た?」
ガっくんは僕より耳が良いから、誰かが近づいて来る音とかすぐに気づけるんだよね。
「……悪いタオ。俺は用事ができた」
そう言ってガっくんはいそいそと向いた方角とは逆方向へと駆けていく。
「え? あれ、ガっくんどこに?」
用事って、この後|キャラバン隊の荷下ろし手伝いに行く予定だったじゃん。
行かないの? トモエ様に怒られても僕知らないからね?
って、もう姿が見えなくなっちゃった。
なんだなんだ。ガっくんがこうも慌てるなんて本当に珍しいな。
「ーーーーーー兄様!」
「ん?」
里へと続く砂利道から、通りの良い聴き馴染んだ声が聞こえて来る。
肩で切り揃えた赤髪に、最近お気に入りの牡丹の刺繍入りの紺色の小袖。
女の子なのに大股で、しかもかなりの速度で走るあの姿はーーーーーーサエだ。
「タオにいさまーー!」
「なんだサエ。そんな急いで」
僕の上の妹。
亜王院・
お前、もう少し落ち着けないの?
女の子なのにそんな汗だくで大丈夫なの?
「よっと!」
緩い坂道で速度を落とすのをめんどくさがったのか、サエは軽やかに飛び跳ねて派手に着地する。
「良かった! 見つかった!」
満面の笑みでそう言うサエの顔が、どことなく引きつって見えるのは気のせいだろうか。
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