僕らの将来②

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「タオ様––––––お背中、お流しいたします」


「は、ははははっ、はい!」


 天上の丸い月が僕らを見ている。

 星々はキラキラと輝き、冬の冷たい風が空を駆けるが、僕らといえばポカポカで––––––。


「痒いところは……ありませんか?」


「ないでひゅ!」


 むしろ身体の熱が昂りすぎて茹ってしまいそうだ。


 父様達とのお話も終わり、僕ら二人はトウジロウ達の後を追って温泉へとやって来ていた。


 場所は森の奥の奥。

 渓谷にほど近い場所の山肌。


 赤黒い岩で覆われた、広い源泉。


「ちょっと強くしますね?」


「ひゃい!」


 聞いた話を頼りにここに辿り着いた頃には、トウジロウやテンジロウ、サエやキララやヤチカちゃんはすでに入り終えていて、ウスケさんの先導で帰路に着くところだった。


 せっかくここまで来たのだから、入らないというのも勿体ない話だ。


 見る限り源泉は熱めのお湯な上に、外気は冷たい。

 多少離れて入っても大丈夫なぐらいには広かった。


 だから僕らは二手に分かれて––––––入るはずだったのだ。


「痛くないですか?」


「じぇ、じぇんじぇん痛くないでひゅ!」


 なのに何故、こんな広い場所なのに––––––僕らはこんなに密着しているんだ!?


 おかしい!

 僕ちゃんと言ったもん!


 ナナカさんはあそこで、僕がここでって!

 大きな岩に目隠しされるから、丁度いいですねって言ったもん!


 なのに気がつけばナナカさんは素っ裸で僕の隣に居て、肩と肩をくっつけて二人でお湯に入っていた。


 何故だ。

 解せない。


 持ってきた手ぬぐいで背中を洗う流れになったのも意味不明だし、そもそもですよ!?


 背中を流す時って、後ろ側に座るもんじゃない!?


 なんでナナカさんは––––––僕の目の前に座ってるんだろうか。


 両手を頑張って伸ばして、僕の背中を手ぬぐいで拭いていく。

 その度に僕の胸板に当たる極めてぽよぽよでスベスベできめ細かくて、たぷんたぷんと波打つ魅惑の二つのお山が、身体にばいんばいんと当たっている。


 やばい。

 興奮しすぎてさっきから擬音しか浮かばない。


「––––––んっ」


「ひぃっ」


 ナナカさんの艶やかな声が聞こえるたびに、僕の心臓は身体ごと暴れまわる。


「––––––寒く、ないですか?」


「いっ、いえ! むしろ少し熱いかなーって!」


「そうですか? 私は少し––––––冷えたぐらいですが」


 そう言ってナナカさんはお湯の中に浸していた桶を掴み、持ち上げる。


 僕らが持ってきた桶は二つ。

 一つには手ぬぐい用のお湯が張られていて、もう一つは身体を流すために使っている。


 ナナカさんは中に入っているお湯の半分を自分の身体にかけ、もう半分は僕のお腹から流した。


「––––––私の背中も、お願いしてもよろしいですか?」


「え!? はははっ、はい!」


 手ぬぐいを渡されてしまった。


 あれ!?

 なんで僕了承しちゃったの!?


 し、仕方ないな!

 これでも僕は男の子!

 一度約束した事はちゃんと守るべきだ!


「し、ししし––––––しつれいしまふ」


「はい」


 彼女の身体に必要以上に触れないよう気をつけながら、大きく手を広げて背中に回す。


 あれ、今気づいたけど。

 僕が背中側に回れば良かっただけの話では?


「––––––あっ」


「ひいっ」


 手ぬぐいを持った右手とは別の方––––––つまり素手の方の手が彼女の背中に触れると、ナナカさんの口から熱い吐息が漏れた。

 その声にまた心臓が跳ね上がる。


「す、すみません。続けてください」


 なんだか勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ナナカさんは目を閉じた。


 うぅ、きっとこれ。

 からかわれてるんだ。そうに違いない。


 僕がみっともなく狼狽えているのが、楽しいんだ。


 だってさっきからナナカさん、くすくす笑ってんだもん!


「タオ様、ナナカはまた冷えてきました」


「はっ、はい!」


 あぁ、でも。

 この身体の誘惑に抗えない。


 やっぱり僕––––––男の子……。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ふふっ、すいません。タオ様があんまりにもお可愛らしいので、ついつい意地悪を」


「––––––ぶぐぶぐぶぐ」


 何言っても負ける気しかしないから、お湯に鼻までつけて息を漏らす事で反論とした。


「お機嫌を直してくださいまし。気持ちよかったですよ?」


「––––––ぶぐぶぐぶぐ」


 二人して乳白色の湯に浸かり、肩を並べる。

 もうもうと湯気立つ森の中。

 僕とナナカさんの二人きり。


 トウジロウ達は今頃宿に着いた頃だろうか。

 ヤチカちゃんやキララの足は夜の森を歩くのに慣れていないだろうから、サエやウスケさんが抱えてくれているだろう。

 あの人は普段ちゃらんぽらんな人だけれど、その強さは折り紙付きだ。


 なにせ刀衆の『番付き』。

 六の刀は伊達じゃない。


「お義父様やお義母様方のお話、どうお考えですか?」


 気持ちよさそうに手を伸ばして腕にお湯をかけながら、ナナカさんが呟いた。


「––––––ぷはっ。どう、と言いますと?」


 お湯から口を離して、僕は聞き返す。


稚児ややこのことです」


 僕と、ナナカさんの子供?


「––––––私は、早く私達の子供に会いとうございます」


「へ?」


 え、でもだって。

 もう急いで子作りする必要は無くなったはず。


 僕と子を作れと脅してきたナナカさんのお父さん––––––伯爵はもうこの世にいない。


 犯した罪の重さの分だけ、深い深い地獄の底へと落ちていったから。


「タオ様と私の赤ちゃん。きっと、とても可愛らしい子です。いえ、容姿がどうであれ––––––愛しい子です」


 こてん、と。

 ナナカさんが僕の肩に頭を預けた。


 右肩に乗る、濡れた金色の髪。

 肌をくすぐるその感触が、なんだかとても気持ちいい。


「昨夜––––––アレの最中ずっと感じていたんです。お腹の奥、ずっと奥にタオ様が入ってくる感覚を」


 ちょ、今その話は大分不味いですよ?

 今こうやって裸でくっついているだけで、僕の理性は爆発寸前なんですから!


「––––––なんだか不思議なんですけど、自然と納得してたんです。私このまま、孕むんだろうなぁって」


「で、でも。さっきの話だとそれは随分先の––––––」


 そうだ。

 とと様の説明通りなら、まだナナカさんは鬼の子を宿す準備が整っていない。


 母様達ですら数十年。

 里で長い間暮らし、父様といっぱいアレコレしてようやく––––––僕を宿した。


 元々人間だった母様やトモエ様のように、ナナカさんもそうして『鬼の嫁』になる。


 ムラクモの里は地上に比べて空気も薄いし、過酷だ。


 普通に暮らせるようになるまでにしばらくの時間が必要だろう。


 里のご飯を食べて、テンショウムラクモの動力炉から漏れ出す波動を浴び––––––霊峰での禊を続けないと『鬼』にはなれない。


 そうしてようやく『鬼』になれたのは、最近だと乱破衆のドウザンさんのお嫁さんのレティさんだ。


 僕ら『鬼』は同族では子を作れない。

 そういう『呪い』を受けているから。

 初代様が邪鬼の王を滅鬼した時に受けた、忌々しい『呪い』。


 だから里では、大人の数は多いのに子供の数が少ない。


 僕らは長命種族だ。

 しかも戦で負け知らず。

 だから滅多に里の者が死ぬ事はない。


 なのに、里の人口はちょっとずつしか増えていない。


 外からお嫁さんやお婿さんを娶らなければ、子を増やせない。

 子を増やすには、その人を『鬼』にしなければならない。

 今まで何となく疑問に思ってた事が今日、父様の説明によって謎が解けた。


 仲睦まじい夫婦は沢山いるのに、なぜか子供が生まれないのはこういう理由があったからか。


 そもそも僕は––––––子供の作り方すら最近まで知らなかったわけだけれど。


「待ち遠しいです。ナナカは今、自分の意思で––––––タオ様の稚児が欲しいと心の底から望んでおります」


「そ、そうですか」


 えっと、これは。

 どう切り返していいのかわからない。


 僕らが励めば励むほど、僕が彼女の深いところに入り込めば入り込むほどに、ナナカさんは『鬼』に近づいていく。


 つまりそれは、毎晩励めという事で––––––。

 頑張りましょう?

 いや、それはなんか違くない?


「なので」


「は、はぁ」


 ぐりん、とナナカさんの顔が僕へと向いた。

 その瞳の力強さは知っている。


 昨夜、僕をおかしくしたあの光だ。

 この翠色の輝きを見ていると、頭のすみっこから徐々にぼうっとしてくる。


「––––––私はいつでも大丈夫ですから!」


「ふぇ」


「タオ様がいつ何時求めてこようとも、私がそれを拒む事など絶対にありえません! 早く稚児が欲しいとか、そうじゃなくて単純にタオ様に抱かれたいと思っています!」


「は、はい!?」


「例えば今日の夜とか––––––ここでも!」


「ちょっ! ナナカさん!? 」


 グイグイと僕の体に、彼女の豊満なばいんばいんが押し付けられる。

 いつのまにか僕のももに置かれていたその手が、にじりにじりと僕の––––––に近寄ってくる。


 顔はもう目の前。

 鼻と鼻がこつんとぶつかり、少しでも体重を預けようものならすぐに唇が当たる距離。


「お、落ち着きましょう! 流石にここでは不味いです!」


 村の人はこの場所を知っているんだ!

 見られちゃうよ!


「––––––ここではダメなんですよね!? お部屋に戻ったら、もちろん致しますよね!?」


「え、えっと! だって昨日ナナカさん、あんなに疲れて––––––」


「大丈夫です! タオ様に抱かれると考えるだけで––––––ナナカの身体はっ! 身体はっ!」


 目が、目が怖いです!

 なんか狼に食べられる兎の心境だ!


 狩る者と狩られる者の立場だ!


 はぁはぁと荒い息を立てて、ナナカさんはさらに僕の体に自分の体を押し付けてくる。


 腰と腰。

 お尻とお尻。


 隙間を無くそうとしてるような、くっついて離れないようにしようとしてるような。


「だっ、ダメですよ!? ほらっ、明日は里に戻る日で朝早いんですから!! 置いてかれてしまいます!」


「大丈夫です! アルバウスのお屋敷に居た頃は、どんなに体が辛くても日が昇る前に起きなければ折檻されていましたから! ナナカは早起きが得意です!」


「ぼっ、僕もほら! 疲れてますし!」


 いや、今日は何もしてないから、本当は全然元気だけれど!


「––––––でも、下の『タオ様』は……お元気そうです」


「っ!! なっ、ナナカさん! 握っちゃ––––––! はうっ!!」


「––––––とっても、お元気です」


「あっ! まっ、待って! わかりました! 宿に戻って! 戻ってからに!!」


「絶対ですよ!? ナナカはもう––––––もうっ!」


 バシャバシャとお湯を波立たせながら、僕らは揉みくちゃになる。


 月夜の冷たさとは逆に、体も心も熱い。


 遠く山の向こうから聞こえる狼の遠吠えや、鳥達の囀りを聞きながら。






 僕らはこうして––––––夫婦になったのだ。






 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ムツミ様の最後の言葉を、僕は絶対に忘れない。


 霞行く体と意識を繋ぎとめながら、あの女性ひとは確かに––––––僕だけに告げた。





『私のナナカを、そしてヤチカを……よろしくお願いします』




 たった一言、その言葉に。


 僕は全てを委ねられた。

 最愛の娘達のこれからを、幸せを。


 僕の道は決まった。

 もう曲げる事も違う事も許されない。


 だからここに、この心に。

 深く深く刻み込む。


 僕は亜王院。


 亜王院・倒士郎タオジロウ


 次期ムラクモの里の長にして、刀衆の頭領を継ぐ者。






 そして、亜王院・ナナカの––––––旦那である。


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