ムラクモの里の新婚生活

天衝叢雲の里①

 分厚い毛布に包まれながら暖を取りつつ、真っ白な雲が僕らの頬をなぞっていく。

 水の粒が顔中にひたひたとくっつくのが少しだけ難だけれど、やっぱり空を飛ぶのは気持ちいい。


「ヤチカちゃん、大丈夫? 怖くない?」


 僕の膝の上で身体を丸めて、毛布の隙間から顔を出すヤチカちゃんに問いかける。


「だ、だいじょうぶ」


 こくんと頭を下げて、ヤチカちゃんは振り返って僕を見上げた。

 たんぽぽの綿毛みたいにふわふわな髪が、水気にしっとりと濡れて額に張り付いていた。

 試しに右手の人差し指でその髪を優しく払いのけると、ぎゅっと目を瞑る。


 ネコみたいだ。可愛い。


「ナナカさんは大丈夫ですか?」


「す、少し怖い……です」


 同じ毛布に包まって、僕の左腕を胸に抱くナナカさん。

 アルバウス領には飛竜ワイバーンは生息していないから、こうして空を飛ぶのは初めてらしい。


 緊張のせいか、さっきからグイグイと身体を押し付けてくる。


とと様、もう少し上ですか?」


 僕らの背後、大飛竜ラーシャの背びれを背もたれにして座る父様に聞く。

 膝の上で丸まって眠っているのはキララだ。

 赤い髪を二つお団子にしてるせいかどうにも寝苦しいらしく、父様のお腹に顔をぴたりとくっつけている。


「ああ、ここいらは雲が高いようだ。シムならもう少し高度を上げてるだろう」


 なるほど。

 操手代理のシムさんなら、そうするよね。


「トウジロウ、ラーシャにもっと高く飛ぶように言ってくれ」


 ラーシャの首元に備え付けた鞍に座り、頭絡から繋がる手綱を持っているのはトウジロウ。

 里の他の飛竜はもっと小さいから難しいけれど、ラーシャは大きくてしかも大人しい子だから、騎乗が苦手なトウジロウでも簡単に言う事を聞いてくれる。


「はい、わかりました兄上」


 眼鏡にかかる水滴を指で拭いながら、トウジロウは太くて長い手綱を胸に引き上げる。


「トウ兄様! テンがやる!」


「ダメだってば! これは僕の練習なんだから!」


「えー、ズルいズルい!」


「ズルくないだろ? 兄上と父様が決めたんだから」


「テンもやりたい!」


 胡座をかいた足の上に乗せたテンジロウがバタバタと暴れた。

 好奇心旺盛ですぐ大人の真似をしたがる。


「テンジロウ、里に戻ったらタオ兄様と練習しような?」


「……ほんと? 約束してくれる?」


「ああ、だから今日はトウジロウの番だ」


「……わかった」


「良い子だな」


 ちゃんと聞き分けてくれる。

 テンジロウのワガママには理由があるんだ。

 忙しい僕らが相手をしてやれてないから、ここぞとばかりに甘えて来ているんだろう。


 なら悪いのは僕らだ。

 弟一人構えなくて、何が兄だろうか。


「……ふふっ」


 ナナカさんが小さな声で笑った。


「どうしました?」

 

「いえ、やっぱりタオ様はお優しい方だなぁって」


 そう言いながら、ナナカさんは僕の腕にすりすりと頬を擦る。

 寒いのかな。


「あー! タオ兄様! 里が見えたよ!」


「わっ、テンジロウ! 急に立つなよ危ないなぁ!」


「えへへっ」


 トウジロウの膝の上で立ち上がり、テンジロウは僕の元へと駆け寄ってくる。


「ほらほら! ヤチカ、あれがムラクモの里だぞ!?」


 トウジロウが指を指したのは、太陽の真横にある大きな雲の中。

 逆光で黒い影となったそれは、間違いなく里の姿だ。


「ど、どれですか?」


「あれ! あれだよ!」


 ヤチカちゃんはキョロキョロと空を見回すが、どうにも見つからないようだ。

 テンジロウが一生懸命指を指して教えるけれど、見つからないのは何もヤチカちゃんの目が悪いってわけじゃない。


 天に溶け込む術式を展開しているから、普通の人間には滅多に見つけられないのだ。

 

「タオ様、どれですか?」


 ナナカさんも里を見つけられないようで、目を凝らして周りをきょろきょろと見渡す。


「ちょっと待っててくださいね。えっと––––––」


 僕は両手を胸の前で合わせて、体内の鬼力を練り上げる。

 この鬼術を使うのも久々だな。

 五年前に教えて貰って以来かも知れない。


 里の人間には必要ない術だから、今まで使う必要が無かったんだ。


 手のひらと手のひらの間に集まった力に、方向性を持たせる。


まなこに光を。真実まことだけが我らの道標みちしるべ––––––」


 言葉に力を、動作に意味を。

 鬼の術は世界の在り方に少しだけ自分の空間を創り上げる術。


「鬼術、在の一力––––––『見通みとおす』」


 これは触れ合った人に真実を見せる術。

 幻やまやかしに惑わされない為のモノ。


 僕の体の輪郭に沿って、青い光が溢れ出す。

 それはヤチカちゃんやナナカさんの身体にも映り、そして術は発動する。


「あっ」


「……ふわぁ」


 良かった。

 ちゃんと術が効いてるみたいだ。


 久々で少し自信が無かったんだよね。


「お、おねえさま。おやまが––––––おそらをとんでいます」


「う、うん。見えているわヤチカ。凄い……」


 ここからだと太陽の側で飛んでいる様に見えるから、眩しいのだろう。

 目を細めて呆気に取られたヤチカちゃんの頭を撫でて、僕は指を指す。


「あれがヤチカちゃんとお姉様が今日から暮らす、ムラクモの里だよ」


「あ、あんなおおきなおやまに?」


 僕へと振り返ったヤチカちゃんの顔は、興奮で少し赤みがかっている。


 ムラクモの里。

 それは霊峰・神山・劔の峰の三山でできた空飛ぶ山脈。


「あれが霊峰・ムラクモ山」


 真ん中に鎮座する一番大きな山は、僕ら一座にとっての恵みに山。

 無限に真水が湧き出る湖や、多種多様な獣。それに果実が成る里にとって欠かせない生活の要。


「その隣の真っ白いのが神山・アマテラス」


 里の中でも限られた人しか立ち入ることを許されない、常に雪に覆われた神秘の山。

 年寄の12人と、各衆の筆頭。

 それに頭領である父様や、その妻であるかか様方しかあの山には登れない。


 里の神事や祈祷の際にはあの山の頂上にある御神体へと舞を奉納し、安寧や無病息災・託宣などを授かるのだ。


「それで、もう一つのとげとげしてるのがつるぎの峰」


 岩肌を全部露出させた、見てるだけでも痛そうな山。

 僕らの修行場であり、本当に実力のある者じゃないと頂上に辿り着く事のできない怖いところ。


 長年修行したきた僕でも、あの山の中腹までしか行けた事がない。


「それで、あの山を支えているのが魔導式飛翔要塞『天衝叢雲テンショウムラクモ』。僕らが生まれるずっと前から空を飛んでいる、凄い遺跡なんだよ?」


 山とその地盤を支えているのは、逆三角形の魔導建造物。

 あんまりにも古すぎてその構造の殆どが解析できておらず、僕らですら修理するのがやっとだけれど、それでももう数千年は僕らを乗せて飛び続けている。


「ふぇええ……」


 僕の説明の半分は意味が分からないのか、ヤチカちゃんは目を丸くしてムラクモの里を見続けている。


「あそこが……私達の」


 僕の腕に組まれているナナカさんの腕が、更に力を増した。


「––––––大丈夫です」


 怖がらなくてもいい。

 里の全ては僕ら一族・一座を守る色んな術が施されている。


 冬は暖かく、夏は涼しく、作物も良く育ち、水も綺麗。


 子を育てるのにはうってつけな場所だ。


「ムラクモの里ほど安全な場所は、どこを探しても見つかりません。里の人達も優しい人ばかりですよ」


「––––––はい」


 僕の言葉に安心したのか、ナナカさんが薄く微笑んだ。


 言葉に嘘は無い。


 誰にも攻められないし、攻めてこられても守るに易しい。

 それに色んな武装もあるから、たとえ大炎竜フレイムドラグーンが群れで近づいてきても全て落とせるだろう。


 ヤチカちゃんや––––––これからできるであろう僕らの子供にとって、これほど安心できる場所はないと断言できる。


「テンジロウ。後ろの母様達にも伝えて来てくれ」


「うん!」


 にっこり笑って立ち上がり、テンジロウは駆けていく。


 ラーシャの背中の真ん中には、荷物を詰めた大きな木箱が載せられいる。


 母様方やサエ達はその木箱の一角に作った簡易的な部屋の中にいる。


 里の大工自慢のその部屋はとても快適で、ラーシャは空を飛ぶのがとても上手だから揺れる事も無い。


 トウジロウはラーシャの騎手。

 それに父様や僕は外にいるのが好きだからここに居るけれど、落ち着きの無いキララやテンジロウは部屋でじっとできずにここに居たのだ。


「トウジロウ、ラーシャは大丈夫か?」


「はい兄様。まだ元気です」


 良かった。

 今日はこれで三往復目。

 流石のラーシャも疲れてしまわないかと心配だったんだ。


 ムラクモ山の中腹に、ラーシャや他の飛竜の巣がある。

 今日はゆっくり休んでもらって、明日身体を洗ってあげよう。

 ラーシャは水浴びが大好きだから。


「さぁ、お家に帰ろっか」


 僕と父様は一ヶ月ぶり。


 きっと色んな仕事が溜まってることだろう。


 さーて、しばらくは忙しくなるぞー。


『くぁああああっ!!』


 上機嫌なラーシャの声が、空に響き渡る。


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