妖蛇の森へ急げ!②

 木造りの質素な家の扉を開けると、まず目に入ってきたのは大きな斧だった。

 木こりを営んでいる人の家なのだろうか。

 壁に立てかけられているその斧は、良く手入れがされていて状態も良い。


「このっ! ひとでなし!! 人殺し!!」


 一枚壁を隔てた部屋からナナカさんの大きな声が聞こえてくる。

 その涙を堪えた悲鳴にも似たな声に居ても立っても居られず、急いで中扉を開けた。


「どうしたんですか!」


 慌てて飛び込んだ室内には、とと様や母様、そしてアズバウル伯爵や見知らぬ五人の女性に囲まれたナナカさんが居た。


 母様のお下がりである白い着物に、綺麗に纏められた髪型。


 披露宴に向けての化粧なんかを施されたその顔は青白く、そして涙に濡れていた。


「あの子にそんなこと言ったらどうなるかぐらい知ってたはずです! どうしてそんなことが出来るんですか! 仮にも貴女方を姉様と呼ぶ小さなあの子に! なんでそんな真似が出来るの!? 一体あの子が何をしたと言うの!」


 鬼気迫る、というのはこういう顔を言うのだろうか。

 今にも飛びかからんばかりのナナカさんの勢いに、事情を知らない僕ですら怖気付いてしまう。


 ナナカさんが声を張り上げた先には、ケバケバしいド派手なドレスを着た感じの悪そうな顔の女の人三名。

 赤・青・黄色とご丁寧に色を揃え、これまた豪華な宝飾品をこれでもかと身につけている。


「はっ。人のせいにしないでよ。悪いのはすぐに嘘だとわかるような話を信じて飛び出していったあの子よ? 可愛い冗談じゃない」


「そうそう。しかもあながち嘘ではないのよ?」


「祝い花を貰えない花嫁は幸せになれない、なんてここら辺の子なら誰でも知ってるわ」


「そこら辺の花でもむしって花束にすればそれでいいのに、それすら知らないなんてほんと馬鹿な子よね」


「わざわざ妖蛇の巣にしか生えていない花なんか取りに行ったら、命がいくつあっても足りないなんてすぐに気づくはずです」


「そんなことも教育してないなんて、姉である貴女が悪いんじゃなくて?」


 話す順番でも決まっているのか、三人のド派手な女性は見事なタイミングで入れ替わり立ち替わり話を切り出す。


 ちょっと待て。

 今なんて言った?


 妖蛇の巣にしか生えていない花とか言った?


「あの子はまだ四つなのよ!? それにあの子を屋敷の外に出してくれなかったのは、貴女達やお父様じゃないですか!!」


 待って待って。

 話が見えない。


 ていうか、ナナカさんは多分僕が入って来たことに気づいていない。


「仕方がないであろう。あの娘が自ら御者に命じて飛び出していったのだから」


 部屋の奥で偉そうに座っている、恰幅の良い––––––というより明らかに肥満体型の男性が、その顔についている鬱陶しい髭をさすりながらお茶を飲んでいる。


 もしかしてこの人が……スラザウル・スマイン・アズバウル伯爵?

 その後ろで我関せずと控えている、二人の中年女性は誰だろう。

 化粧と香水が濃すぎて、小綺麗な身なりなのにヤケに醜く感じる容貌だ。


「アズバウル家の使用人が私やヤチカの命で動くはずが––––––ま、まさかお父様方は……その場面をご覧になられていたのですか!?」


 わなわなと震え、足取りも覚束ないナナカさんが伯爵へと躙り寄る。


 縋るように差し出した両手は弱々しく、僕は思わず駆け寄ってその体を支える。


「ナナカさん、ナナカさん! 僕です! タオジロウです! どうされたのですか?」


「た、タオジロウさ……ま」


 顔面蒼白。


 僕に振り向いたナナカさんの顔は、今にも倒れそうなほど病的に青白い。


 せっかくの綺麗な化粧も、今の彼女の表情を華やかに彩ってくれないようだ。


 その顔にはっきりと見て取れる絶望が、僕の心臓をぎゅっと握りしめた。


「タオジロウ様……タオジロウ様ぁ! ヤチカが! 妹が死んでしまいます! 私の妹が!」


 僕の胸に顔を埋めて、ナナカさんは崩折くずおれた。


「ナナカさん!? しっかりしてくださいナナカさん! 父様、一体何があったのですか!?」


 窓際に並んでいる父様とかか様へと顔を向けた。


 その顔は、嫌悪。

 そして忿怒。


 父様の目は怒りに燃え、眉は釣り上がり、眉間に寄せた皺が深く刻まれている。

 いつも穏やかな表情をされている母様ですら、冷たい凍りつくような視線を、伯爵とその家族へと向けていた。


「––––––このクズ野郎どもが」


 父様がゆっくりと口を開いた。


「シズカ。タオに説明してやれ。アレを取りに行ってくる。すぐに戻る」


「ええ。任せてくださいアナタ」


 父様はそれ以外何も言わず、椅子から立ち上がり、そのまま扉を開けて部屋の外へ出た。


 母様はそれを見届けてから、僕らへと歩み寄る。


「ナナカさん、落ち着いてください。まだ間に合うはずよ」


 そう言って、母様は僕の胸に顔を埋めたままのナナカさんの背中を優しく支えた。


「……し、シズカ様ぁ。い、妹が、妹がぁ」


 ナナカさんが僕から離れて、母様へと縋り付く。

 ……僕はなんて頼りないんだ。

 こんな時に、お嫁さんになる女性ひとの身体すら、満足に支えてあげられないなんて。


「ええ、ええきっと大丈夫。大丈夫よ。タオジロウ、母の話を良く聞きなさい」


「は、はい」


 普段の優しい声ではない。

 こんな険しい母様の声、生まれて初めて聞いたかもしれない。


 僕は自然と背筋を正し、母様へと向き直る。


「愚かな女達とその父母の甘言に騙されて、貴方の義理の妹が自ら死地へと向かってしまいました。貴方はナナカさんの夫として、その子の命を守る義務があります。母の言っている事、賢い貴方なら理解できますね?」


 つまり、それは。


 急いで思考の回転を早める。


 この部屋で拾った断片的な情報や会話や状況を、必死になってくっつけた。


 あそこにいる三人の女性は、おそらくナナカさんの腹違いの姉。

 そこに偉そうに座ってるのが、アルバウス伯爵。

 その後ろで目を閉じて立っている二人が、姉達の母––––––ナナカさんにとって義理の母なのだろう。


 婚礼祝いの祝い花。

 昨日僕がキララから貰ったあの花束……それをこの人達は用意しなかった。


 そしてそれをヤチカちゃんにこう伝える。


『祝い花すら貰えない貴女の姉上は、きっと幸せになれない。だから今から取ってきなさい。場所はこの先の森にある妖蛇の巣穴の中。今は妖蛇供も冬眠の最中だから、貴女でもきっと取ってこれるはず』


 ––––––憶測だけど、多分合ってる。


 そして姉達の命を受けた伯爵家の雇った御者が、ヤチカちゃんを森へと送り届けた。


 ––––––さっきすれ違った荒馬車!


 アレに、ヤチカちゃんが乗っていたに違いない。


「……母様、ヤチカちゃんは森へ行ってしまったのですか?」


 確認を取る。


 そこまでの経緯はもうどうでもいい。


 幼い女の子が、一人で危険な所に行ったのか行ってないのか。

 今はそれだけ知れればそれでいい。


「その通りです」


 母様が真剣な顔で頷いた。


 沸騰。


 僕の血が、意識が、思考が、一瞬にして沸き立つ。


 視線をゆっくりと、伯爵とその周りに取り巻いている女性達へ向ける。


「ひっ」


 一番年若い女性が、僕の視線に気づいて小さな悲鳴を上げた。


「––––––なぜ、そんな真似をした」


 自分でも驚くほどに、無機質な声が出た。

 僕の中のありとあらゆる感情が蒸発し、今ここには一つの色の無い怒りしか残っていない。


「––––––答えろ下郎供。なぜ、幼子を騙しかどわかした」


 これもまた、生まれて初めて感じる物。

 僕の中に、これほどの熱量を秘めた怒りが存在していたなど、僕ですら知らなかった。


「わっ、ワシらは何もしとらんではないか! ヤチカが、あの娘が勝手に出て行っただけのこと!」


「そっ、そうよ! こんなたわいもない嘘を信じる方がどうかしてるんだわ!」


「私どもは何も悪くないわ! 何よその目! 伯爵家に向けていい目じゃないわ! 無礼よ!」


 ギャーギャーとやかましく、人でなしどもが言い訳を並べ立てる。


「タオ」


 いつのまにか扉の前に、父様が立っていた。


 右手に持つのは一本の刀。

 赤銅色の鞘に収まった、僕が見たことのない刀だ。


「直ぐに行け」


 そう言いながら、父様は僕に刀を差し出す。


「これは今日、結婚祝いとしてお前にやるはずだったお前の刀だ。お前と同じ産湯に浸かり、お前と同じ年月をかけ打ち叩かれ、そして磨かれたお前自身だ」


 僕はゆっくり立ち上がり、その刀を受け取る。

 鞘紐を解き、刀身を改める。


 反りは無く、刃は諸刃。

 何の鋼を使ったのかわからないけれど、その色は空の色。

 つまりはあお


 亜王院ぼくらの色だ。


「ヤチカはお前の妻となるナナカの妹。つまりお前の縁者だ。助けに行くのは他の誰でもないお前であるべきだ」


 そう言って父様は僕を通り越して部屋の奥へと進む。


「スラザウル」


 眼前には、怯えた表情で慄く悪魔供。


「––––––いや、アズバウル伯爵よ。『俺』らをして『鬼』畜と呼ばざるを得ない貴様らの所業、反吐すら出ん。沙汰はヤチカが無事に戻ってからつけようぞ。楽には死ねん。覚悟致せ」


「ま、待て! あの娘を唆したのはコイツらであって、ワシではない!」


 ––––––っ!

 この豚野郎!

 この期に及んで他の娘すら売るか!


「タオ」


 今にも飛びかからんとする僕を、父様のドスの効いた声が制した。


「今はいい。お前のやるべきことではない」


「は、はい」


 そうだ。


 僕はヤチカちゃんを、迎えに行かなければ。


「––––––た、タオジロウ様! 私も! ナナカも連れて行ってくださいまし!」


 母様に抱かれたままのナナカさんが、僕へと手を伸ばした。


「で、でも」


「お願いします! あの子、きっと私を呼んでいます! 可哀想に震えて、姉様を呼んでいるに違いないのです! 私が––––––あの子を守るのです!」


 そうか。

 あの子が待っているのは、まだ顔も知らぬ僕ではない。


 なによりも欲しているのは、最愛の姉様ただ一人だ。


「タオ」


「は、はい」


 再び父様に呼ばれた。

 父様はいつもみたいに不敵な笑みを浮かべ、そして右手の親指を地面に向けて差し出す。


「貴様の『禁』を解く。連れてっちまえ」


「––––––はい!」


 そうだ。

 それなら、僕は全てを守れる。


「ナナカさん!」


「はっ、はい!」


 彼女に一歩近づき、そしてその手を取る。






「全力で走ります。絶対に手を離さないで」


「––––––––––––っはい!」






 その声を合図に僕はナナカさんを抱き上げ、駆ける。


 待っててください。

 まだ見ぬ義妹いもうとよ。


 貴女の姉様と義兄様が、今迎えに行きます!

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