妖蛇の森へ急げ!①

 

「ふぁああああ」


 眠い。


 朝稽古を終えて、綺麗に湯浴みをしてダラダラしている時間に、途端に眠気が襲ってきた。


 昨日は殆ど寝れなかったからなぁ。


 もう『子作り』をする必要は無くなったから、ナナカさんが突然脱ぎ出すような事は無かったけれど、前日に僕を廊下で眠らせてしまった事を申し訳なく思ってたらしい。


 ベッドを誰が使うかで揉めに揉めた結果、もういっそ二人で寝ちゃえって結論になった。


 疲れていたのかナナカさんはすぐに寝付いたみたいだけど。

 僕はと言えば身につけてしまった『子作り』の知識と『男女』の営みを意識しすぎて、目が冴えまくってしまった。


 寝返りをうつナナカさんにビクッとしたり、女の人のいい匂いが漂ってドキドキしたりと、気にしすぎと言えば気にしすぎだったかも知れない。


「にゃむにゃむ……」


 噛み殺した欠伸を咀嚼しながら、僕は田舎村の外へ向かっている。

 僕らの披露宴の日だっていうのに、とと様の稽古いじめは全然配慮してくれなかった。


 むしろいつもより厳しすぎでしょう?

 かか様達に色々バラした事、きっと根に持ってたんだと思う。

 自分の子供より子供っぽい人なんだから。父様は。


 僕らの披露宴は、村の郊外にある大きな空き地で行われることになった。


 テーブルとか椅子とかの設営は里の人達が済ましていて、そこでアズバウル伯爵家の人達や村の人達を招待して立食会みたいな形にするらしい。


 朝も早くから母様やトモエ様が里の人に指示を出したり、料理の味をみたりと大騒ぎだったのを知ってる。


 ナナカさんは母様に連れられて、お化粧や衣装合わせをしているらしい。


 披露宴の始まりはお昼。


 もう一人の主役である僕は基本暇なのだ。

 なーんにもやる事がない。


 披露宴って言ったって、特に何かをする訳じゃない。


 父様曰く、『あとからやったやってないで文句言われたくねぇし、貴族家にとっちゃ持参金も品も料理も出せねぇ血縁の披露宴なんざ恥でしかねぇからな』との事で、要するに当てつけみたいなもんなんだ。


 僕らの里流の祝言は後日日取りの良い日にきっちりやる事になった。

 そっちはそっちで、やる事がありすぎて準備が必要だからね。


 田舎の冬の寒い空気を肌で感じながら、僕は田舎道をのんびり歩く。

 寒空は快晴。

 風もおとなしい。


 あんまりにも突然すぎて意識なんかできなかったけれど、僕らの門出の日としては申し分ないんじゃないだろうか。


「危ねぇぞ! どけガキぃ!」


「おおっ!?」


 突然、のんびりした村に似つかわしくない荒馬車が、背後から僕の側を駆けていく。

 ボロボロの幌に、ガタガタの車輪。


 あんだけ馬が思いっきり走るという事は、荷物も載ってないんじゃないだろうか。



「あ、あぶないなー」


 あんなに急いでどうしたんだろう。

 向こうは村の外で、深い森と渓谷がある方だ。


 この村近郊には、二つの森が存在する。


 一つは村人達の狩場でもある、至って普通の森。

 多少なりとも魔物は出るけれど、深くまで入り込まなければ子供でも問題ないらしい。


 もう一つは、妖蛇の巣がある危険な森。

 渓谷に隣接したその森は、腕に覚えのある人でも命が危ぶまれる禁忌の森だ。


 今の馬車が向かったのは、妖蛇の巣がある方。

 険しい山脈に囲まれていて、森に入るしか選択肢のない道だ。

 村の人達はめったに近づかないって聞いたんだけどな……。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あらタオ坊。もう稽古終わったの?」


「トモエ様」


 紐で着物の裾を捲り上げたトモエ様が、大きな籠を抱えている。


 ここは披露宴会場。


 村人達が座る小さい椅子と、長テーブルが所狭しと並んでいた。


「僕も手伝いますよ」


「なーに言ってんの。アンタは今日の主役の一人なんだから、そこでドシッと構えておきなさい。トー坊とサエ、もう来てるわよ」


 そい言いながら、トモエ様は右手の人差し指を指して示した。


 その指先へ視線を移せば、テーブルに布を敷いている男女二人の姿。

 次男のトウジロウと、長女のサエだ。


「トー坊ー、サエー。兄上がいらっしゃったわよー」


 トモエ様の呼びかけに二人は勢い良く振り向いた。


「兄上!」


「タオ兄!」


 パァっと顔を明るくして、僕の可愛い弟と妹は元気に駆け寄ってくる。


 父様譲りの赤毛を背中まで伸ばしている、僕と一緒の髪型を大きく揺らして走るトウジロウなんて、まるで尻尾を振って喜ぶ犬みたいだ。

 そんなに走ると眼鏡ズレるぞ?


 一方のサエは、これまた同じ赤毛を後頭部で一本に括り、こちらは馬の尻尾のようだ。


 同じ日、同じ時間に別々の母から生まれたこの二人はまるで双子のようだ。


「兄上! ご成婚、おめでとうございます!」


 トウジロウが太陽光に眼鏡を光らせて僕に詰め寄った。


「タオ兄! おめでとう!」


 後から来たサエも、鼻と鼻が当たりそうな勢いで僕へと肉薄してくる。


「おっ、おう。ありがとう」


 二人の勢いにたじろいだ僕は、思わず一歩後ずさった。

 相変わらずグイグイくるなこの二人は。


 僕と同じ母様から生まれたトウジロウは、比較的病弱に生まれた。

 運動より勉強の方が上手くて、父様なんか『馬鹿の親父から天才が生まれた!』なんて大喜びしている。

 酒が入ると『ウチの次男は凄いぞぅ!』と自慢しまくっているのを、里の大人達からよく聞く。

 トモエ様を母に持つサエはといえばまるでトウジロウの分まで運動神経を貰ったようで、女だてらに剣の稽古を受けるぐらい元気だ。

 同い年の男の子達より遥かに腕が立ち、僕もたまに稽古に付き合っている。

 荒削りで未熟な点も目立つけど、時折僕でさえひやっとする剣筋を繰り出したりと、こっちも負けてられない気にさせるほどだ。


 二人は喧嘩も多いけど仲は良く、大抵一緒に行動している

 。

 本人達はそう茶化されるのを嫌がるけどね。


「びっくりしました! 突然兄上が結婚するなんて、また父様の嘘だろうと!」


「サエもです! でもタオ兄のお嫁様だから、きっと良い人ですよね!」


 待って待って。

 二人で同時に喋らないで。


「あ、ああ。お前らはまだナナカさんに会ってないのかい?」


 おかしいなぁ。

 衣装合わせは会場近くでやるって言ってたんだけど。


「ご家族の方々がお見えになったとかで、父様と出迎えに行かれたようですよ?」


「シズカ様も一緒です。だからサエ達はお嫁様の後ろ姿しか見てません」


 ……アズバウル伯爵とその家族が?


「そうか、ありがとう。どっちに行った?」


 なんか、嫌な予感がする。


 昨日聞いた伯爵家の悪行と、父様の懸念。

 それを考えると、どうにも不安がこみ上げてきた。


 僕も行こう。


 僕はナナカさんの夫になったんだから、出迎えに行くのも不自然じゃないはず。


 父様と母様が付いて行ったのも、きっとそういうことだと思うから。


「はい、あそこの家です」


「あそこ、今日のために家主から借り受けたそうです。準備室にしてるとか」


 二人が指差したのは、会場側にあるあんまり大きいとは言えない木造の家だ。


「わかった。ありがとうな」


「はいっ、会場作り頑張りますね!」


「あっ、トウジずるい! サエの方が頑張りますから!」


「僕の方が!」


「サエがっ!」


 喧嘩しないしない!

 なんでお前ら二人はいつも僕の事で張り合うんだ。


 ほら後ろ見ろって。


 トモエ様が笑って見てるぞ?


 目線で火花を散らし始めた二人を置いて、僕は教えられた家に向かう。


 うん?


 家の前に立ってるのは、ウスケさんと––––––リリュウさんだ。

 刀衆の【六刀むとう】と【三刀みとう】が二人して、何やってんだろう。


「ウスケさん、リリュウさん。こんにちは」


 家の扉を挟むように立っている二人に挨拶をする。

 そうやってると、門番みたいですね。


「若、今日はいい天気になりやしたね」


 ヘラヘラと笑いながら、音葉おとのはウスケさんが手を振った。

 相変わらずの忍び頭巾。

 ムラクモ乱破らっぱ衆筆頭でもあるこの人は、人呼んで『音越えウスケ』。

 本気を出したら父様ですら目で追えない速さを持つ、刀衆の六の刀だ。


「…………若様。もう少し暖かい格好をされた方が」


「い、いや。大丈夫ですよ?」


 口元を顎当てで隠した、目つきの鋭いこの人は斬斬ざんぎりリリュウさん。


 対人戦で無類の強さを持つ、刀衆でも指折りの実力を持つ三の刀。

 別名、『人斬り龍』。

 背も高く、そして無言の威圧感を醸し出している。


 刀衆の中でも、特に僕に対して過保護な人だ。

 僕の剣の一番の師匠でもある。


「何してるんです?」


「一応、警護っすね」


「…………手の空いた刀衆が、俺らしか居なかったのです」


 そういえば、僕が里を出発する時はリリュウさんは任務に出てたはず。


 刀衆七名が一度に会する機会なんて、年末ぐらいしか無い。

 その年末も急ぎの任務で二・三人出払ってるなんてザラだ。


 この二人が一緒なの、もしかして初めて見たかも。


 ペラペラといつも煩いウスケさんと、無口で時々しか喋らないリリュウさん。

 対照的な二人だ。


「ご苦労様で––––––」


『––––––なんてことを!!!』


 二人の労を労おうと声をかけたら、家の中から大きな怒声が聞こえてきた。


 この声は、ナナカさんの声だ。


 僕は挨拶もそこそこに、急いで扉を開けた。

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