タオとナナ⑤
◆◆◆◆◆◆◆◆
「……昨夜は、申し訳ございませんでした」
里から持ち込んだ熱晶石で沸かしたお湯を頭から被り、汗と泥と草を流していると不意に後ろから声をかけられ、振り向くとナナカさんがバツの悪そうな顔で立っていたのだ。
「あ、いや。大丈夫ですよ? こう見えても鍛えてますから」
なので寒い廊下で一晩を明かすぐらいはどうってことない。
たまに行う冬の山籠りに比べれば天国みたいなものだ。
わざわざ人跡未踏の険しい山脈の中を、僕を含めた里の子供達で十泊ほどするあの荒業。
ヤエモンやキサブロウなんか本当に死にかけてたもんな。
「あれぐらいじゃ風邪なんてひきませんから」
父様や里の大人達より全然弱い僕だけど、それでもそんなヤワな体はしていない。
亜王院一座の
それに僕はテンショウムラクモの次期頭領。
つまり亜王院の長になるべき男だ。
未熟とは言え、泣き言ばっかり言っていい立場じゃない。
「……それもありますが、昨夜のベッドの上での事と、アスラオ様やタオジロウ様の前で失礼な事を言ったこと。全てです」
目を伏せて、辛そうな顔で頭を下げるナナカさん。
昨日は色々突然すぎたし、僕には理解できなかったことが多かったせいで全然ついていけてなかった。
だからナナカさんがなにを謝ってるのかすらわからない。
わからないんじゃ許しようがないし、そもそも僕はちっとも怒ってない。
ちょっと怖かっただけだ。
だから全然気にしてない。
「朝ごはん、食べました?」
「へ?」
僕の問いかけに、ナナカさんは変な声を出して顔を上げた。
「まだなら、一緒に食べませんか? 僕たち、会ってから今までほとんどお話してないから」
「……あっ」
それすら気づかないほどに、この
「どうですか?」
「……ご、ご一緒させて、下さい」
恥ずかしそうに、ナナカさんは顔を赤らめた。
やっぱりこの人、綺麗な人だなぁ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「披露宴……ですか?」
部屋に戻って服を着替え、この田舎の村唯一の食堂に訪れた。
中は閑散としていて客なんか一人も居なかったけれど、まだ時間はお昼前。
ちょっと遅めの朝ごはんを食べに来た僕らの方が変なのだ。
丸テーブルはまだ清掃中らしく、椅子がテーブルの上に持ち上げられていたので、僕らはカウンター席に並んで座っている。
「うん。僕の母や里の何人かが今日やって来て、明日のお昼に簡単な結婚披露宴をするんだって」
里を出る際には必ず持ち歩く様にしている僕のお箸でベーコンをつまみながら、ナナカさんの問いに答える。
僕は小柄だから、朝昼夕はがっつり食べるタイプ。
筋肉オバケで背丈も態度もデカい父様のようになりたくて、毎日たくさん食べてたくさん動くことを自分に課している。
父様じゃなくて
僕のメニューは分厚いベーコンと目玉焼き、それに暖かい肉団子のスープ。
白米が無いのがかなり寂しいし、本当はお味噌汁も飲みたいのだけれど、このあたりの国じゃ白米を食べる習慣は無いし、お味噌なんて造られてすらいない。
贅沢は言えないのだ。
「で、でも。実家は私の披露宴に出せるほどのお金も品も……」
「父様がすっごい悪い顔して貸しを作ってやるみたいなこと言ってたから、大丈夫だと思いますよ?」
ナナカさんの献立はふっくら仕立ての麦パンケーキと、トロトロのホットシロップ。
確かこの田舎を含む近くの三つの貴族領では、寒い地域にしか根付かない木から取れる、凄く上品な甘さの上質な木の蜜が名産だったと記憶している。
……うーん。美味しそうだ。
「タオジロウ様? どうされました?」
左隣のナナカさんの持つフォークの先をじっと見ていたら、不思議がられてしまった。
「……ナナカさん。それ、一口貰っても良いですか?」
「この麦パンですか?」
そうそれ。
出来れば今フォークに刺している、たっぷりシロップのかかったやつ。
「……は、はい」
少し照れ臭そうにして、ナナカさんはフォークに左手を添えて僕に差し出した。
「あむ」
パクリと一口。
うわ!
なにこれすっっごい美味しい!
とろっとろのシロップの甘さが、プレーンな麦パンを高級品のような味にしている!
よーしよし。
これはメモらなきゃ。
懐から去年母様に貰った手帳を取り出し、一緒に紐でくくってあったペンを握る。
「もきゅもきゅ。うん。これすごい」
「タオジロウ様は、なにをされているのですか?」
僕の手帳を覗き込むナナカさん。
「これ? 僕らは
「タオジロウ様も、お仕事なされているんですか?」
「まさか。僕はまだ修行中の身だし、次期頭領だもん。仕入れ担当の役所とか、搬送担当の交渉担当の人とかの仕事だよ」
「じゃあ、なぜメモを?」
なぜ、と言われても。
「知って覚えた方が、知らない覚えてないより良くないですか? それにこれが一族の役に立つ時が来るかもしれないし」
父様はああいう人だから、裏稼業やテンショウムラクモの制御なんかは頼もしいんだけれど、里の商売に関してはさっぱり役立たずだ。
だから他の大人たちが一生懸命頑張って里を支えているのを僕は知っている。
遠い未来の話だけれど、僕も次期頭領としてそこんとこ考えた方が良い気がするんだ。
父様の裁量次第では僕以外の兄弟が頭領になるかも知れないけれど、その時まで僕は精進を怠らない。
母様に小さい頃からそう言い聞かされてきたもんね。
「おっ母! 大変だ!」
食堂の入り口を物凄い勢いで蹴破ったのは、クワを担いだ小太りの男性だった。
「こらアンタ! お客さんがいるのに騒ぐんじゃないよ!」
厨房から出てきたこれまたふくよかなおばさんが男性を叱る。
この食堂のおかみさんだ。
てことは、男性は旦那さんかな?
「そ、それどころじゃねぇぞ! 西の空からどデカイ竜が飛んで来て、村の外に降りてきやがった!」
旦那さんは慌てた様子でカウンターの向こうの厨房に入り、おかみさんの手を握って連れ出そうとした。
「逃げるぞおっ母!」
「竜なんて、見間違いじゃないのかい!?」
あー、そっか。
もう到着したんだ。
「タオジロウ様! 私たちも早く避難を!」
あれ?
ああ、そっか。
ナナカさんも聞いてなかったのか。
いつのまにかスープしか残っていない朝ご飯を勢いよく飲み干して、僕はカウンター席から立ち上がる。
い、椅子が高すぎて足がつかないんだよね。
よいしょっと。
「おかみさん、大丈夫ですよ。その竜は村になんの危害も加えません」
「へ?」
疑問の声をあげたのは、ナナカさんだった。
ラーシャはたしかに大きくて立派でしかも強いけど、チビ竜の時から一緒に育ってきた僕の友達だ。
大人しくてのんびり屋さんで、それにお昼寝が大好き。
しかもあの子、テンショウムラクモの動力炉から漏れ出す魔力の霞しか食べないんだよ?
「ナナカさん、母様たちが到着したみたいです」
「……お、お義母様?」
「お迎えに行きましょうか」
なにがなんだかさっぱりなナナカさんの手を握り、カウンターの上に代金の銅貨を置いた。
「た、タオジロウ様。どういうことですか?」
「大丈夫ですよ。母様方はお優しい方です」
あ、そういえば。
手を握ったの始めてだな––––––なんて、今更思ってた僕だった。
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