ゆびきり記念日

「ふぅ」


 一息つく。

 呼吸をするのも忘れて斬りまくってしまった。


 反省しないと。


「よっ、と」


 刀を勢い良く振って纏わりつく蛇供の血を落とした。

 岩肌すら溶かす毒液でも、この刀の刀身は溶かせなかったようだ。


 本当になんの鋼で鍛えたのだろうか。

 そもそも銘を聞いてなかった。

 愛刀になる予定なのに、刀に申し訳ない。


 帰ったらちゃんと聞こう。


 一度、真上を見る。


 天井を崩壊––––––いや、落盤させたことで日光が差すようになって視界が広がった洞窟内。

 冷たい空気も同時に流れ込んでくるが、火照り気味の身体にとっては心地よい冷たさだ。


 だがナナカさんとヤチカちゃんはそうじゃないだろう。


 獅子の刺繍の入った、お気に入りのいつもの半纏を脱ぐ。

 ちょうど汗をかきはじめた所だったから、僕的にも都合がいい。


 振り返って、二人を見た。


 未だ淡く発光し続けるナナカさんと、その腕で眠るヤチカちゃん。


 良かった。

 新しい怪我はないようだ。

 でも念には念を押しておこう。


「ナナカさん。終わりました。無事ですか?」


「はっ––––––はい。無事でございます」


 額に玉のような汗をかきながら、ナナカさんは僕を見て頷く。


 頬が朱に染め上げられていて、なんだか息も荒い。


 やっぱり癒術は疲れるのだろうか。

 よし、微力ながら僕も手伝わねば。


「これを」


「あっ、ありがとうございます」


 肩に半纏をかけた。


 ナナカさんは礼を言いながら、なんだか恥ずかしそうに俯く。


 ん?

 なんで顔を逸らしたんだろう。


「どうしたんですか?」


 横から覗き込んでも、僕の顔を見ようとしてくれない。


「あっ、あの、いや……えっと。その」


 もごもごと口の中で言葉を転がし、何か言いづらそうにしている。


「さっ、さっき」


 さっき?


「僕の……お嫁さんって。仰られていました」


 ––––––ん?


 あれ?


「僕が?」


「は、はい」


 たしかに、そんなこと考えながら刀を振り回していたけれど––––––ってまさか!!


「……………………口に、出てました?」


「で、出てました。あ、あの。誰の嫁にーっ––––––って叫ばれてました」


 あー。


 あーそう。


 そうですか。

 思いっきり叫んでましたか。


 こっ、小っ恥ずかしい…………。


 僕とナナカさんの間に、なんとも言えない微妙な空気が流れた。


 叫んで恥ずかしい僕と、叫ばれて恥ずかしい彼女。


 聞いてる人が誰もいなくて、助かった。

 聞かれてたら頭を抱えて走り回ってるところだった。


「ご、ごめんなさい。つい我を忘れちゃって。お嫌で––––––」


「そんなことないです!」


「––––––した!?」


 僕の話を食い気味に遮って、ナナカさんはブンブンと頭を振る。

 出会って初めて聞く声量で、ちょっと僕がびっくりするぐらいの大声で否定する。


「う、嬉しかったです! ナナカは本当に! 本当に嬉しゅうございます!」


 頭の動きを止めて、前のめりで僕へと詰め寄る。

 座った姿勢のまま器用に上体だけで迫り––––––これまた出会って初めて見せてくれた、キラキラとした綺麗な翠の瞳を僕に向けた。


「––––––あ、はい」


 呆気に取られた僕はそんな言葉しか返せない。


 ど、どうしたんだろういきなり。


「––––––おねえ、さま?」


 僕とナナカさんの間から、舌ったらずな声がか細く聞こえてきた。


「ヤチカ!」


 ナナカさんの膝の上。

 朧げながら意識を取り戻したヤチカちゃんが、弱々しく目を開いて僕らを見ている。


 良かった。

 見れば先ほどまで痛々しくその顔に刻まれていた傷も、もうほとんど残っていない。


 凄いな癒術って。


 法術でもここまで早く綺麗に治せないのに。


「……おねえ、さま。……どうしてここに? ヤチカは……あれ?」


「いいの。いいのよヤチカ。今は何も思い出さないでいいの。疲れたでしょう? 今はお眠りなさい。ゆっくり、休むの」


 ナナカさんの瞳からまた、大粒の涙が溢れ落ちる。

 妹の小さな頭を抱きしめ、金色の髪に顔を埋め強く抱きしめる。


「…………おにいさまは、どなたですか?」


 その円らな瞳が、僕の顔を見た。


 怯えを含んだその視線に、居た堪れない気持ちになる。

 この子は、姉以外の人間に強い警戒心を抱いているんだ。


 だって今まで彼女に優しくしてくれたのは、亡くなった『おかあさま』と、『ねえさま』だけだったのだから。


 だから僕は努めて優しい笑いを浮かべ、その頬にこびりついた泥を右手の人差し指で払う。


「はじめましてヤチカちゃん。僕はタオジロウ。君のおねえさまの––––––夫になる人だよ」


「……おねえさま……の」


 わかったようなわかってないような。

 まだ覚醒しきっていない幼い頭では、少し難しかったのだろうか。


 だけど僕を見るその目から、ほんの少しだけ恐怖が薄れていく。


「……あ、そうだ……おねえさま」


「なあに?」


 顔を上げ、涙も拭わずに。

 ナナカさんはヤチカちゃんに優しく微笑む。


 慈愛と強い愛と安堵に満ち満ちた、あんまりにも綺麗な表情で––––––僕は思わず見惚れてしまった。


「……これ、おはな」


 気を失っていても決して離すことのなかった、祝い花。


 白い可憐な小さな花をそっとナナカさんに差し出し、ヤチカちゃんは目を細めて笑う。


「ごけっこん、おめでとうございます。だいすきなおねえさま」


「––––––っ!」


 ぷるぷると唇を震わせて、ナナカさんは涙を堪える。


 健気。


 なんて、健気な子なのだろうか。


「……よかった。おわたし、できました」


 ヤチカちゃんはふにゃりと、安心したようにまた笑う。


「ええっ、ええ! ありがとうヤチカっ。姉様も、ヤチカが大好きよ。本当に、本当に愛しているわ!」


「……おねえさま、くるしい。えへへ」


 何よりも大事だから、強く強く抱きしめる。

 失いたくなかったから、もう決して離さないように。

 ナナカさんにとっての、宝物。

 ヤチカちゃんにとっての、宝物。


「いつまでも、おげんきでいてください。ヤチカはとおくはなれていても、おねえさまがだいすきです」


 ヤチカちゃんがナナカさんを抱き返す。


 ああそうか。


 これで離れてしまうと、思っているのか。

 嫁いだ姉と、残される妹。


 だから悔いが残らないようにと、この祝い花をこんな危ないところにまで取りに来たのか。


 あの卑しい姉どもに騙されて、来てしまったのか。


 たしかに昨日まではそうだったのかもしれないけど、もう状況は変わった。


 この姉妹を引き離すなんて、僕が許さない。


 ヤチカちゃんもナナカさんも亜王院––––––いや、僕が貰っていく。


 あのクソ貴族の居る家に残す

 ような真似、断じて許さない。


 伯爵が何をどう言い訳しようが、力づくで連れ去ろう。


 だから。


「––––––大丈夫だよ」


 僕はそのタンポポのような髪を、優しく撫でる。


「ヤチカちゃんも一緒だ」


「––––––タオ……様?」


 顔を上げたナナカさんが、驚いて僕を見る。


「ヤチカちゃんとお姉様はずっと一緒だ。これからはムラクモの里が君達のお家だ」


「お、にいさま?」


 キョトンと可愛らしく、ヤチカちゃんは首を傾げた。


「約束するよ」


 右手の小指を差し出す。


「さっき、お姉様にも言ったけどさ。今度はヤチカちゃんとも約束」


「……やくそく?」


「うん」


 ヤチカちゃんの右手を取って、その小さな小指と僕の小指を絡める。


「ナナカさんも、そしてヤチカちゃんも––––––」


 ゆびきりげんまん。


 嘘なんてつかないよ。

 僕はできないことは絶対にできるなんて言わない。


 だからこれは僕とナナカさんと、そしてヤチカちゃんとの一生の約束。


「––––––僕が守るよ。ずっと守る。もう二人が泣かなくてもいいように。怖い思いなんてしなくてもいいように。痛い思いなんて絶対にしないように」


 ゆびきり、げんまん。


「約束する」


 指は切らない。


 本来は切るものだけれど、繋がったままの方がいいと思った。


 だから僕は小指を絡めたまま、ヤチカちゃんの目を見続ける。


「……ほんとう、ですか?」


「本当だとも」


「おねえさまと、ずっといっしょ?」


「うん。ずっと」


「とおくにいかれたり、しないんですか?」


「ヤチカちゃんの側に居るよ。ちょっとは離れるかも知れないけれど、必ずヤチカちゃんの所に帰ってくる」


「……おねえさま?」


 僕から顔を離して、ナナカさんを見上げる。

 僕も一緒にその顔を見た。




 ナナカさんは––––––顔を真っ赤にして––––––また泣いている。





「––––––タオジロウさまっ……ありがとうございますっ」


 とめどない涙は、悲しみでも恐れでもない、喜びの涙。


「あり、ありがとうっ、ございますっ」


「……お礼なんて、いいんです」


 僕がしたいと思ってした約束だ。

 だからこれは僕の意思。


 お礼なんて、滅相もございません。


「タオ様……ありがとうっ……ございますっ」


 でもナナカさんはずっと、僕に頭を下げて礼を言う。


 だから僕はもう、何も言わない事にした。


「……おねえさま? どこかいたいのですか?」


「違うの……違うのよヤチカ……嬉しいの……姉様はいま、とっても嬉しいのです」


 ぎゅうっとまた、抱きしめ合う。


 二人の頭を両手で撫でる。


 泣き止むまで、満足するまで撫で続けよう。


 辛かった。

 痛かった。

 怖かった。


 今まで耐えに耐え抜いてきた二人だから。


 だから今は、泣かせてあげよう。






 夕暮れはもう間近。


 僕達は赤みがかった洞窟内で、しばらくずっとそうしていた。







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