貴女の涙を拭うため②

 

「タオジロウ。ナナカさんが貴方とお話ししたいそうです」


 宿屋の前でかか様が僕を待っていた。


 ラーシャから荷を下ろし終え、右手にキララ、左手にテンジロウを引き連れて戻ってきた僕に母様は真剣な顔で告げる。


 ちなみにラーシャはたくさんお水を飲んだあと、トウジロウとサエを迎えに里へと戻って行った。

 難儀をかける。

 戻ってきたらいっぱい遊んでやろう。


「お話し……ですか?」


「はい。とても大事なお話しです。貴方とナナカさんの婚姻にまつわる、貴方が聞かなくてはならないお話し」


「ナナカさんは今どこに?」


 右を見ても左を見ても、彼女の姿は見当たらない。


「お部屋で貴方を待っています。泣き止んだばかりだから、優しくしてあげなさい」


「は、はい」


 言われなくても、彼女に酷いことなんかしないのに。


「シズカさまシズカさま! キラね! シズカさまといっしょかったおはな、タオにいさまにわたしたよ!」


 パタパタと元気よく駆け出して、キララは母様の着物にしがみつく。


「あらキララ、もう渡しちゃったの? 明日の披露宴の時に渡すって言ってなかった?」


 その頭を優しく撫でながら、母様はキララに柔らかい笑みを向けた。

 キララは末の子で寂しがり屋だから、僕ら家族はついつい甘やかしてしまう。


 あのとと様だって、キララにはデレデレとだらしなく接するぐらいだ。


 親馬鹿だなぁ、と思う。


「あのねあのね! おはなってかれちゃうんだって!」


「あらそうね。だから早く渡したかったのね?」


「うんうん!」


 頭の上で結ってある二つのぼんぼりを揺らして、キララは大袈裟に頷いた。


「テンの色石も一緒にあげたんだ!」


 テンジロウも母様の側に駆け寄って、小さな身体を目一杯逸らして報告する。


 母様は亜王院の中心的な存在だ。

 僕らはみんな、母様やトモエ様が大好きなのだ。


「そう、兄様喜んでた?」


「うん! 喜んでた!」


「テンジロウが一生懸命選んだものですもの。兄様はきっと喜ぶと思ってました」


 両手でキララとテンジロウの頭を撫でる母様。

 僕も少し前までは、二人みたいに堂々と母様に甘えていたっけ。

 最近はなぜか気恥ずかしくて、昔みたいに母様に撫でられる事も少なくなったけど。

 少なくなっただけで、全く無いわけじゃない。


「シズカ姉様、アスラオ様は居た?」


「いいえ。あの人、どこかに呑みに行ったようです。私達に怒られるのが怖くて、きっと逃げてしまったのね」


「はぁ、いつまでたってもあの人は……」


 母様二人が困ったように顔を見合わせた。


 父様は二人に全く頭が上がらない。

 いつも威張り散らして大きい態度を取るくせに、母様達の前ではまるで借りてきた猫のようだ。

 紅蓮獅子が聞いて呆れる。


「タオ坊。アタシ達へのお嫁さんの紹介は夜でもいいから、まずはちゃんとお話ししてきなさい」


 トモエ様にトンっと優しく背中を押された。


「は、はい。行ってきます」


 その勢いのまま僕は宿屋の扉を開けて、室内に入った。


「キラもキラも! およめさんみたいー!」


「こらキララ。我慢しなさい。兄様はとても大事なお話しをしなけりゃならないんだ」


 閉まる扉の向こう側から、キララの我儘を諌めるトモエ様の声がした。


 ……トモエ様も、ナナカさんの事情を知っているのかな。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「先程はお見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」


 ベッドの上で三つ指をついて、ナナカさんは深々と頭を下げている。


「い、いえ。気にしてませんから」


 その姿に慌てた僕は、両手と首をブンブンと振った。

 びっくりした。


 部屋に入ったらナナカさんが神妙な顔で僕へと向き合っていて、突然謝罪されるなんて思っても見なかった。


「あ、その着物……」


「あ、はい。私、先程の服しか無くてシズカさ––––––いえ、お義母様がお貸ししてくださいました」


 朱色の生地に大きな蝶の刺繍が施されたその着物は、確かサエのために仕立てていた母様手製の着物だ。


「似合ってますね」


「へ?」


 うん。

 サエが大きくなったら渡すって言ってたから、少し大きめに仕立てたのが良かったみたいだ。


 今のナナカさんの背丈にぴったり合っている。


「綺麗です」


 素直にそう思った。


「……あ、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」


「いやお世辞じゃないですよ。本当にとても良く似合ってます。さっきまでの服もあれはあれでとても綺麗でしたけど、今のナナカさんも僕は好きです」


 謙遜することないのに。

 お世辞言えるほど僕は頭が良くないんだ。


「……た、タオジロウ様は怖いお人です」


 へ?

 何が?


 僕、ただ綺麗だって言っただけなのにな。

 なんか怖がらせちゃったかな。


「……シズカ様にお時間を頂きました。タオジロウ様はまだ俗世のことにあまり詳しくはないとお聞きしましたので、私の身の上を全てお話ししなければ、と」


 ナナカさんの瞳に真剣な色が宿る。

 翠色のその瞳は、昨日見た深く暗い奈落のようなあの瞳では無く、とても澄んだ強い物だ。


「俗世?」


 俗世って言われても。

 なんだかんだで僕は結構里から出てるんだけどな。


 一人旅はしたことないけど、父様と一緒に山籠りとか、買い物とかは頻繁にしている。


「はい。この世には、タオジロウ様の想像もつかぬ酷い事に満ち溢れております。私などの身の上など、まだ優しい方……ですが、私にとっては」


 キツく唇を引き締めて、ナナカさんは辛そうに顔を歪めた。


 うん。

 これは、ちゃんと全部聞こう。


 結婚するからとか、しないからとかじゃなくて、僕の心と頭は彼女の事を知りたがっている。


 だから全部、教えてくれるっていう彼女の口から、聞かせて貰おう。


「わかりました。お隣、良いですか?」


「……は、はい」


 ナナカさんが正座のまま器用に身を捩り、僕が座る分の場所を開けてくれた。


 その場所に座り、僕も正座の姿勢を取る。


「じゃあ、聞かせてください」


 お互いの目を見ながら、僕たちは向かい合う。


 身を縮こまらせたナナカさんは、この場に酷く居づらそうに見える。


 それほどまでに、言いづらい事なのだろうか。


 やがてナナカさんは大きく息を吸い、そして目を閉じて口を開いた。


「……わ、私は現アルバウス家当主。スラザウル様の三番目の妻、ムツミ・フェニッカの娘として生まれてきました。つまり妾腹の子です」


 妾……。


 里の外では二番目以降のお嫁さんをそういうらしいことは、知識としては知っている。


 テンショウムラクモの里でも、二人以上お嫁さんを持つのは頭領である亜王院の家長––––––つまり父様だけだ。


 同じ亜王院の家系でも、父様の弟である叔父上なんかは叔母上一人しかお嫁さんがいない。


 これには色々と理由があるのだけれど、今は関係ない話だから考えるのはやめよう。


「……アルバウス伯爵家は代々、茶に近い赤毛の家系です。私の母はアルバウス伯爵領より遥か南方の生まれで、黒髪でした」


「ん? あれ? でもナナカさんは––––––」


 金髪……だよ?


「……はい。母はずっと否定していましたが、私はもしかしたら––––––母と知らぬ男の密通の末の……不義の子なのかも……しれません」


 不義……。


 不義とは一体なんだろう。


「……わかっておいででないようですので、説明致します。つまりは旦那以外の男との子、かもしれないのです」


 はぁ、それは。

 大変な事、だよね。


「そしてそれが、私が今回の婚姻を望む理由に大きく関わります」


 ナナカさんの顔が、また苦痛に歪む。

 自分で放った言葉の痛みに、心が悲鳴を上げている。


 なぜだか僕は、そう思えてしまった。

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