タオとナナ③
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く、空気がとても重い。
ナナカさんの意思表明から一時間ほど経過した。
僕は宿の部屋のベッドで横になり、入口の扉に背を向けてひたすら窓の外の宵闇を眺めている。
なぜなら入口となりのテーブルで、ナナカさんが静かにご飯を食べているからだ。
無言である。
とにかく何も発さない。
木製のお椀の底に当たる、これまた木製のスプーンの音と、乾いた硬いパンを
さっきまで僕が居た部屋はこの隣。
今は
ナナカさんの言葉を聞いて表情を変えた父様は、すぐに詰まらなさそうな顔をしてこう言った。
『……あー。お前の目的はわかった。んじゃあ、お前は坊主の嫁になる事になんの異論もなく、むしろ嫁にして欲しいって事で良いんだな?』
ボサボサの頭をボリボリと掻きながら歩き出し、父様は窓際の椅子にドスンと腰を下ろしてまたもこう続けた。
『んじゃあ、あとは好きにやれ。坊主を説得すんのも無理やり手篭めにすんのもお前の勝手だ。隣の部屋はお前ら二人の部屋だ。一晩じっくり話し合うんだな』
そう言いながら、持参していた徳利からこれまた持参していたお猪口にお酒を注ぎ、チビチビと舐め始めた。
状況についていけてない僕はナナカさんに促されるがままに部屋を移動し、やる事も身の置き場も無かったのでとりあえずベッドの隅っこで身を丸めている。
テーブルの上にはさっき宿の人が持ってきた夕食があるけれど、ついさっき見たナナカさんの瞳を思い出すと一緒に向き合って食べる気にはならない。
ていうか。
え?
もしかして今日僕ら同じ部屋で寝るの?
い、いびきとか大丈夫かな。
寝相は悪くない方だと思うんだけど。
「タオジロウ様」
「はいっ!?」
びっくりしたぁ!
いつの間にベッド腋まで来てたのナナカさん!
色々考えてたから全然気づかなかった。
「……先だって湯浴みは済ませておりました。身を清めず、身を整えずにタオジロウ様と顔を合わせるわけには参りませんでしたので」
「は、はぁ」
ん?
なに?
お風呂はもう入ったってことでしょ?
あぁ、僕も入ってこいってことかな?
なら、お言葉に甘えて––––––。
「ですので、準備の方はもう万端でございます」
「––––––え?」
はらり、と。
彼女が身につけていたスカートが落ちた。
仕立ての良さそうな素材でできた真っ白な
「お
「まっ、まって! ねぇ待ってなんで突然服を脱ぎだしたの!? ななな、なんで近寄ってくるの!?」
どうしてブラウスのボタンを外していくの!?
ていうかいい加減人の質問に答えてくれない!?
わ、わかんないことだらけでそろそろ爆発しそうなんけど僕!!
「……なるほど。女性の裸体を見て恥ずかしがる程度には、情緒が育ってはいるみたいですね」
「ナナカさん落ち着いて!! 頼むからお話から始めようよ! ほら、趣味とか好きな食べ物とかさ!!」
僕は上体を起こしてベッドの窓際––––––壁へと後退する。
完全に下着だけになったナナカさんは、ベッドの端っこにお尻を乗せて髪をかきあげた。
「……大丈夫でございます。知識だけなら、知っていますから。タオジロウ様は痛みなど感じません。むしろ痛いのは私のほ––––––いえ、これは忘れてください。興醒めされてはいけませんから」
「だからなに言ってんだよ!! 分かんないんだってば!!」
二番目の母様!! 貴女の言ってた通りでした!
女の人は怖いです!!
なに考えてるかわかんないです!!
おかしいなー!
里にいる女の子達は全然怖く無かったし、仲良く遊べるんだけどなー!
「……どうしても怖かったら、天井のシミを数えたらいい……と、私の読んだ文献に書いてありました。すぐに終わらせますから」
その目!
ほんとその目怖いからやめて!
僕に近寄るごとに色を失うその瞳に、引き釣りこまれてしまいそうだ。
まるでそれは深淵。
落ちたら戻れぬ地獄の淵。
その瞳に宿る感情の名前を、僕はまったく知らない。
「タオジロウ様、お胤を––––––」
にじにじとベッドの上を膝と手で這い、ついにナナカさんの顔で僕の視界が埋まってしまった。
恐怖で乾き始めた喉が水分を欲して、思いっきり唾を飲み込む。
瞬き一回する毎に少し、また少しとその姿が近づいてくるから、それすらも憚られた。
「––––––私に貴方の、お子をくださいませ」
そして、僕は気づく。
何でもないように、決して感情など見せない彼女のその無表情の奥底に、怯えが見て取れることを。
肩が、ふるふると震えている。
腕が、その手が、じんわりと汗ばんでいる。
色白の素肌と端正に整った彼女の顔が、病的なまでに青ざめていることを。
彼女が何をしようとしているのかわからないけれど、きっとそれは本意ではないのではないか。
さっき僕と父様に語った彼女の目的とは、自らの何かを犠牲にしてでも得ようとしてるもので。
それはきっと、ナナカ・フェニッカという女性の根幹を揺るがすことなのでは無いのだろうか。
冬だと言うのに冷えた汗をかくその肩に、そっと手を乗せた。
「––––––僕、外で待ってるから。早く服を着てね?」
「……え?」
ゆっくりと肩を押すと、なんの抵抗も無くナナカさんの身体を押しのけることができた。
細い。
細くて脆くて、そして弱い。
なんて弱い人なのだろう。
きっと剣など握ったこともないだろうし、争い事とは無縁なんだろう。
僕らと違って。
そんな弱い彼女が、本心では忌避していることを我慢して行っている。
そう思うと、もう彼女を見て怖いなんて思えなくなった。
「んじゃ、着替え終わったら呼んでください」
「––––––あ、タオジロウ様」
何かを言いたげに僕へと詰め寄る彼女を無視してベッドから降り、部屋の入り口へと歩を進ませる。
廊下、寒いんだろうなぁ。
「……わ、私は」
部屋の扉を閉める直前に、泣きそうに震える声が僕の耳に届いた。
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