十九 別れの旅路

十九


 神のいる世界というものは我々の世界は違う。

 物理法則というものは不思議とこの神域にも適用されているらしい……いや、ここに存在している神たちはそんなものを無視できるのだが。

 それぞれがそれぞれの世界を持ち、干渉し合わずに存在している。

 人間の世界に照らし合わせれば神々のいる場所はそれぞれが島国になっているようなものだ。

 歩いては渡れない。

 それぞれの神の許しを得て、やっと神は他の神の居場所に赴ける。

 ……空也が葉子の世界に逃げ込めないわけである。

 パスポートを持っていないようなものなのだから。

 そして葉子のいる空間とこの縁結び・縁切りの神の御座おわす世界というものは彼ら彼女たちが自由に設定できる。

 すなわち、見た目が違うわけで。

 葉子のいる空間というのは基本的には寂れた神社である。

 それは彼女の神としての出自に関わることではあるのではこの場では伏す。

 寂れた神社があり、そこをぐるりと囲むように森が生い茂り、中に入る扉となった場所には大鳥居が鎮座しているわけである。

 そして、鳥居の向こうに広がる海だ。

 彼女は山の生まれ山の育ちであるからして無限に続くあの青い世界に憧れているのであろう。

 もっぱら室内にこもりきりこそが快適であると思う私にはそれは理解できないものだけれど、わざわざそれに文句をつけるつもりもなかった。

 では、私が今いるこの神域というものはどうか。

 ……端的に言って繁華街である。

 光り出すネオン、背の高い建物たちはけばけばしいホタルのように己の存在をその明かりで示している。

 いや、初めて来た時はこういう空間ではなかったので変化していると捉えていいのだろうが、いささか俗世的でありここが神域というのはなんとも言えない気持ちになるわけである。

「貴方のせいですからね」

「……え?」

 心を読まれた、その事に驚くことは無い。

 この空間を支配する主たる存在ならばそれくらい出来たっておかしくない。

 ただ私のせいというのはどういうことか。

 今回の事件は私に非があるのは否定することが出来ないものの、この世界の姿は私がどうこうできるものでは無いはずだ。

「私たち縁を司る神は人間に乞われなければ動くことは無い」

「僕たちの権能を植物や獣は求めませんから」

 縁を求めるのは人間、そう彼女たちは言う。

「僕たちの世界はほかの神々よりも人の心に左右されやすい。ある種、僕たちでは管理しきれない面があります」

「今回は人間の出会いと別れ、その情欲の抽出……すなわち夜の街の形になってるわけだ。私たちだってこんな世界に長くいたくはない」

「……なるべく早く終わらせます」

 私が起こした問題だ、早急に終わらせよう。

「どうだろうな、情が沸けば人の考えはブレるぞ」

 何度となく見てきたのだろう。

 彼らは人の縁をもてあそんでいる訳では無い。

 人に望まれ、そのように縁を切ったり結んだりしているだけだ。

 神でありながら人のために動く。

 そんな神はきっと多くは無いのだろう。

「なに、神は人から生まれる。その原点に我々は忠実であり、その事実を認め、敬意を払っているだけですよ」

 そういうものなのだろうか。

 未だ名前も知らぬこの神々は子供のような見た目をしているが内面は当然というべきか落ち着き、成熟している。

「……ところで、どこに向かってるんですか?」

「ホテルだ」

「ホ、ホテ……?」

「そこで女が待ってる、さっさと行って、縁を切れ」

「は、い……」

 縁を切る。

 私から伸びるこの糸を切る。

 雁金空也との縁を守り、生涯の伴侶とする誓いをより強固なものとして残す。

 もったいないなどと言っていられない。

「ここだ」

 足が止まる。

 目の前には確かに宿泊施設が存在している。

 看板に書かれた文字は『鯉山仁子こいやまにこ

「……鯉山先輩」

「ここには鯉山仁子がいる……が、少しばかり普段とは違う」

「?」

「ここにいるのは衝動や欲求に飲み込まれた人間だ、普段のような立ち振る舞いとは違う。ただ純粋にお前を求め、自分のものにしようとするだろう」

 それはその人間なりの方法で。

「誘惑されるってことですか」

「人によるだろうが……まぁ、その気は無いと一言言って諦めさせられれば御の字じゃないか? 最後の最後まで耐えきってみせろよ」

 唾を飲む。

 心臓の鼓動が早くなる、扉に手をかける。

 この扉を開ければ、始まる。

 別れを告げるための道が始まるのだ。

「南無三」

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