2 ―きっかけ―

2―きっかけ―


 あの夜の話をするにはそれにつながる日常の話も合わせてしておかなければならない。

 しなければならないが、しなくてもいい。

 しかしそれは小説を結末から読むこと、三幕の舞台を二幕半ばから観ること、曲をラスサビから聞くようなものになるのかもしれない。

 よって、誠に勝手ながらそれらについても語ろう。

「ガラケーってよ、ガラパゴスケータイの略って知ってるか?」

 ある日、サークルの部室でのことだ。その日は先輩と二人きりであった。

 クーラーの風が涼しく、体が冷えていくのを感じる。

 私は小説を読み、先輩は原稿用紙と向き合っている。

 小説のページをめくる音と原稿用紙に文字を書き込む音が部屋で起こるすべての音だったがそれらの静寂に近い音とは違う音がした。

 先輩の声だ。私は小説から目を離さず先輩に対して言葉を返した。

「まぁ……それは一応」

「俺さぁ、ガラパゴス諸島って島だからよ、つまり世の中のシェアの中心、大陸であるところのスマートフォンと比べてそう言ってんだと思ってたんだわ」

 海に浮かぶ島、大陸とは切り離された土地。

 それゆえに先輩はガラケーと呼ばれるモノは世界から取り残されたもの、という意味で認識していたらしい。

 しかし賢明な諸君が知るように現実はそうではない。

「だけど違ったんだわ。ガラケーっていうのは島じゃなくて生物の方だったのさ」

「生物」

「そう。世界じゃあ流行しなかった機能ってのが日本の携帯電話にはあったんだってよ。それがガラパゴスの生物みてえなんだと」

 ガラパゴス諸島の生物が独自の進化を遂げたことは有名な話であろう。

 海藻を食べるウミイグアナや大型のリクガメなどがそうだ。

 携帯で買い物の会計が出来たりテレビが見れたりというのは日本で独自に進化していった機能らしい。

 その日本国内における携帯電話の進化とガラパゴス諸島の生物の進化を重ねてガラパゴスケータイとなる。

「で、俺は思ったんだなあ。俺たち人間の中にもガラパゴス人間がいるんじゃねえかなって」

「ガラパゴス人間?」

「変人って感じかな。ま、俺からしたらお前も十分ガラパゴス人間って感じだが」

 私はその言葉に顔を上げた。私は記憶してはいないが恐らくむっとした顔をしていたのだろう。

 悪い悪いと詫びの言葉を述べながら笑って言葉を続ける先輩の顔があった。

「霊感体質っていうの? 見えないものが見えたりするんだろ?」

「僕だって好きで見てるわけじゃありません」

「素質っていうかよ、ガラパゴス人間に必要な要素だと思うよ。それに折部寮だったろ?」

 にやにや笑っている先輩に私は文句の一つでも言ってやりたかった。

 だがそれをしなかったのは、否しなかったのは私は胸を張って否定できる自信がなかったからだ。

 霊感体質は真実だ。電車に乗っていて飛び込みをした人間が見えたりや自殺の名所で頭から血を流した人物を見たことはある。

 二つ目の寮については私個人の意見だけではどうにもむなしく聞こえてしまう気がした。

 折部寮。私が生活するその寮は大学内ではそういう話題性を持つ寮なのだから。

 曰く折部寮に住むモノは馬鹿者か変人かもしくはよほどの好き者のみ。残りはみな人外とのことである。

 実際に住んでいる私からすれば大げさだろうとは思うが馬鹿者がいないのか聞かれれば確かにいると答える。

 問題は寮で起きるものではなく重要なことではない。問題は人が起こす。それが重要であると思ってはいるが。

「この理論っちゅうか考え方だと折部寮の入居者ってのはけっこうな確率でガラパゴス人間だ。そう例えば……」

 わざとらしく指を一本、先輩は立てた。

「桂御園信太(かつらみそのしのだ)って知ってるか?」

「寮でたまに顔合わせたりしますけど」

「俺は会ったことないんだが、折部寮の入居者だろ? かなりヤバいなやつなんだってな。宗教家っていうか表現者っていうか」

「本人は芸術家って言ってますけどね」

「ふうん……なぁ、だからさ。ちょっとアポイントメントを頼みたいんだよ」

「アポイントメント?」

「あぁ、取材のな。桂御園信太をモデルにしたキャラを作ってみたいんだよ」

「それ本気で言ってます?」

「マジもマジ、大マジだって。頼むわ。上手くいったらいい飯おごってやるからさ」

 気乗りはしない話であった。先輩は時々食事などを対価にこういった面倒ごとを頼むことがあった。

 だが、その中でも今回の話はあまり動きたいと思える案件ではなかったのだ。

 私は桂御園信太という人間を知っている。

 先輩がどういう経緯で彼について聞いたのか知らないが確かに彼は普通の人間と言い難い男性であった。

 ガラパゴス人間の称号は私より彼の方がふさわしい。

 ただ、私自身彼が何を考えているのか興味があった。

 変人には近寄らないが吉で、触らぬ神にたたりなく、君子危うきに近寄らない。

 そう知っていながらも、私は首を縦に振ってしまったのだ。

「じゃ頼むよ。可愛い後輩、えっと……」

「菊屋ですよ。菊屋咲良(きくやさくら)」

 にやにや笑った先輩の言葉を背に部室を出ようとした。

 善は急げ、思い立ったが吉日ということでもなくさっさと寮に戻って桂御園信太の接触しなければ面倒だと考えたからだった。

 思い返せば少し急いでいたのかもしれない。

「あいつ、水晶玉と結婚するんだって?」

 私の背に向けていった先輩のおかしな言葉の意味を確かめることなく私は歩き出したのだから。

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