四 月曜日:後ろに乗って


 バイクに乗り目的地へと私たちは向かう。

 私は原付免許しか持たないし、桂御園の一件でユートピアと対立した時に壊してしまった。

 なので、鯉山先輩の後ろに乗せてもらう形になる。

 私の知らない速度での移動は少々肝が冷える。

「怖いならしっかりしがみつくといいんじゃないかな?」

 先輩は女性なので、それなりに遠慮をしてしまう。

 なので必死に踏ん張ることにしたのだが、実際に動き始めると想像以上に怖い。

 勇気を出して彼女の服を掴むが、それでもこの速度に恐怖を感じた。

「ふふ」

 信号待ちの度にくすくす笑う彼女の背中を見て、私はわざと速度を上げているのではないかと勘繰ってしまう。

 事実は不明である。

 観念して鯉山先輩の言う通り腰にしがみつくような体勢で向かうこととなった。

 先輩が連れてきてくれたのは中華料理店である。

 ラーメン屋ではなく、中華料理店。

 そういう風情の店だった。

「ここがお気に入りなんだ」

 大きなバイクから下り、ヘルメットを外しながら先輩は私にそう言った。

 私は大抵学生御用達の店ばかり行っている。

 費用対効果の高い店と言ってもいい。

 そうでない店に向かう時は空也に連れて行かれるか、今のように誰かに誘われていくかのどちらかだ。

「好きなだけ食べなさい。財布の心配はしなくていい、ボクがもつからね」

「悪いですよ」

「元々お詫びとお礼なんだから別にいいよ」

 店内に通され、席に着くとメニュー表が机に置かれる。

 何を食べようか。

 どれも私に目にはとても魅力的にうつる。

 普段食べる中華料理はラーメンかカップ麺か空也が買ったコンビニエンスストアの餃子くらいのものだ。

「先輩は普段何を食べられるんですか?」

 鯉山先輩に聞いてみることにした。

 お気に入りということだし、なにかおすすめがあるのかもしれない。

 先輩と食事に行った、というサークルのメンバーの話はあまり聞かない。

 彼女がどういう嗜好を持つのか分からないものの、参考意見に間違いはない。

「ボク? ボクはこの麻婆豆腐」

 先輩が指を差す。

 店長おすすめの文字も傍に書かれている。

 ふむ、多分ハズレということはないだろう。

 店長のおすすめだし、先輩のおすすめでもある。

「じゃあ、僕もこの麻婆豆腐で」

「おいおい、たくさん食べなよ。もっと食べられるだろう?」

「……じゃあこの焼売も」

「もっと食べなさい」

「……小籠包を」

「もっとだよ」

 わんこそばの如く注文を促されてしまう。

 結局、机いっぱいに料理を注文してしまった。

 私だけでなく、先輩も食べるものだが大丈夫だろうか。

 大丈夫だと信じよう。

 私の場合、食べられると思えば大抵のものは食べられる。

「まぁ、でも……」

 とりあえずは麻婆豆腐からだろう。

 すすめられた物である。

 レンゲを右手に握り、左手で皿を支える。

 赤く、ほのかに黒い麻婆豆腐だった。

 その中に紛れる豆腐の白い色とネギの緑色が独特の色合いを生む。

「いただきます」

 麻婆豆腐をすくい、口に運ぶ。

「ぐっ……」

 辛い。

 山椒だろうか、かなり利いている。

「花椒だよ。四川山椒ともいうものだったかな」

「そうなんですね……」

「あんに混ぜ込んで、完成した後にも振りかける。ここのお店のものが一番辛いかな」

 おかげで汗が止まらない。

 舌もしびれてきた気がする。

 ひりひりとした感覚が舌先に乗っている。

「まぁゆっくり食べるといいよ。他の料理を食べながらね」

 なるほど。

 そういう気遣いがあってこれだけの料理を注文させたのだろう。

 回りくどいやり方というか、他にも色々いい方法というものがあったかもしれないが、鯉山先輩なりの優しさなのだろう。

「早くしないとボクが食べてしまうけれどね?」

 ……もしかしたら自分が食べたかっただけなのかもしれない。

 あれやこれやと食べているうちに思ったことだが、おすすめされた麻婆豆腐以外も非常に美味である。

 普段食べているものが悪いとは言わないけれど、やはりこういった店で食べる料理というのは美味しいものなのだろう。

 お金を払って美味しくないものを食べるというのは、あってはならないことのような気がしてくる。

 味の好みがあるので全ての料理店が全人類の舌に合うとは限らないが。

「ふぅ……あぁ、煙草を吸ってもいいかな?」

「どうぞ」

 料理がなくなり、あとは食後の甘味を待つのみといったところで先輩がそういった。

 席に着く時に聞かれなかったので、この店は全席喫煙可能なのだろうか。

 店内を少し見渡すと先輩が察したのか私に声をかけた。

「夜は分煙なんだ。困ったことだけどね」

 ライターで火を灯し、煙を吸い込む。

 顔を横に避けながら煙を吐き出すと、それは天井に向かって上っていく。

「先輩、煙草を吸われるんですね」

「なんでそう思う?」

「なんか、そういうイメージがなくて……」

 別に吸ってもいい年齢なのだから、何一つ問題は無いのだが。

「煙草は嫌い?」

「いえ、別に」

「そう。そういう人がいると助かるよ。世の中、煙草嫌いが多い気がしてね。お店も分煙というより禁煙の傾向の方が強いような感じもするし」

 時代の流れというものだろうか。

 私は吸わないが、いつだったか父が禁煙を始めたのを見たことがある。

 結局あれは成功したのだろうか。

「たばこ税が国の財源の云々とは言わないけど、ルールを守ってるから優しくしてほしいけどね」

 何か嫌な思い出でもあるのだろうか。

 ただ彼女の涼しい顔からはそんな雰囲気がない。

 純粋に話のタネという感じなのだろうか。

「別に皆が厳しいというわけではないと思いますよ」

 私は別に構わないし。

「だといいんだけどね。携帯灰皿を持っててもそもそも外で吸えないとか、じゃあ店内でと思ったら禁煙になった、なんてのがあるかもしれないからね」

「大変ですね」

「うん。健康に良くはないし、お金もかかるし。ボクのこれは一箱で五百円だから一日ひと箱吸ったら一年で十八万と二千五百円だぜ?」

「……それでも吸われるんですね」

 先輩は別に煙草にそこまで執着していないように思える。

 そもそも今日まで煙草を吸っている場面を見たことがない。

 あまり吸わない人なのではないだろうか。

 ……家などでは分からないが。

「憧れてたんだよこれに」

「煙草にですか?」

「うん。大人って感じで、子供の頃にね。我ながら幼稚だけど、成人した日に買いに行ったよ」

「どうだったんですか?」

「不味かった」

 柔らかく先輩が笑った。

 普段の笑みとは違う表情。

 ふにゃっとしたようなその笑みは先輩にしては珍しいもので、目を引き付けられる。

「でもせっかく買ったからと思って一箱分吸ったら、問題なく煙草が吸えるようになってた」

 それが習慣化していたらしい。

「そういえば、子供が指を口に入れるみたいに、煙草で不安を解消する……みたいな話を見たことあるんですけど」

「んー? ボクがそういうタイプに見える?」

「正直、あまり……」

「失礼だな。こう見えても寂しさに枕を濡らしてるんだよ?」

 そんな風に言う先輩に疑惑の目を向ける。

 煙草を吸うイメージがないように、そんなイメージもない。

「……といっても、信じてくれないんだろうけど」

 しかし、実際の先輩は煙草を吸っていたように、本当はそういう一面もあるかもしれない。

 と、私は煙を吐き出す彼女を見て考えていた。

「あ、あとはあれかな」

「なんです?」

「キスしたくなった時、とか?」

「……それは冗談ですよね?」

「ふふ、どっちかなー?」

 絶対に冗談だ。

 私は先輩にからかわれている。

 少し冷たい私の目線を鯉山先輩はいつものように笑って受け止めた。

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