二 日曜日:ある芸術家


 はじまりは飲み屋での出来事だった。

「なぁ、菊屋」

 彼は桂御園信太(かつらみそのしのだ)。

 かつて自分の情熱だけでただの悪霊を神に仕立て上げる直前まで行った男。

 人並み外れた執念の持ち主である。

 彼の起こした事件の後、私たちは友人関係となり、今では一緒に食事ぐらいに行くぐらいの仲だ。

「君はモテるのか?」

「んぐっ」

 テーブルを挟み、彼は私にそう言った。

 思わず口の中に入れていた物が喉につっかえる。

 彼の顔は真剣だ。

 というか、彼の目はすわっていた。

「急にどうした」

 その日の桂御園は珍しく深酒をしていた。

 いつもは財布の中身を気にしているのか、それとも節度を守っているのか、もしくはその両方なのかあまり酒を飲まない男だ。

 理由を聞いてみると、桂御園は恋人と別れたとだけ言った。

 意外であった。

 失礼な物言いだと思うが、普段の彼は芸術家としての自分を演じている。

 以前よりは多少マシになったとはいえ、注目を集めるための演技だ。

 周りから浮いている事実は変わらない。

 そんな男に恋人がいたというのは驚くべきことだ。

 いや、普段の彼は割と落ち着いているので、そこを見ればまともではあるのだけれど、それでもその姿を見られるようになるまでそれなりの時間がかかる。

 平常の桂御園を見る前に愛想をつかされても仕方がない話である。

「お前いま失礼なことを考えただろう」

「いや、別に」

 とにかく、彼は別れたのが精神的にきていたらしく私を連れて夜の街に繰り出したわけである。

 一人で飲まなかったのは話を聞いて欲しかったのだろうか。

 ……かなりの思い出話を聞かされた。

 私も空也の話をすることがあるので、特に嫌がることもなく話を聞いていた。

「じゃなくて、モテるって何」

「一つ思ったんだが、君のその体質……もしくは性質のことだ」

「ん……?」

「君に対して強い印象を抱かないと、君のことを忘れてしまうというアレ」

 変化の霊能力の悪性。

 誰にでもなれるが誰でもないという事実。

 菊屋咲良としての存在感の欠如。

 極端に言って、私の顔を見てから一度まばたきをする間に忘れられてしまうようなもの。

 私に関心を向ける人間が私を覚えられる。

 そして覚えている人間の中でも私に何らかの強い感情を抱いた人間の記憶に残り続ける。

「二極化したような言い方をするが、君を覚えている人間は『君が好き』か『君が嫌い』のどちらかの感情があると考えていいんじゃないか?」

「まぁ……そう、かな……」

「君のことを覚えている人間はどれくらいいる?」

「人間なら……空也、君、過書さん、相生さん、若王子さん、姉と、後……両手は何とか超える、かなぁ……?」

「結構いるな」

「そうかなぁ?」

「何ニヤニヤしてる」

 嬉しいんだ。

 それだけの人間に自分が認知されているという事実が。

 私の人生は十五の時から再出発を果たした。

 それから留年を経たりして現在は二十歳。

 五年の間に両手と少しの人と出会い、絆を結べた。

 ……つい最近の事件で桂御園とユートピアの先輩の三人に認知されたので五年で認知された数は少ないかもしれないが、それでも誰かに覚えてもらっていることは喜ばしい。

「どうだ、検証してみないか自分がモテるか」

「……いや、待て。モテるとかモテないとかの前に、僕は空也がいる」

「そこに気付いたか」

「気付くとも。そういうことを検証するのは空也に対して不義理じゃないのか?」

「そう言うと思って、すでに許可をとってる」

「何を言っているんだ」

 君は何を言っているんだ。

 私は桂御園の言うことが信じられなかった。

 許可とはなにか。

 空也になにを言って許しを得たのだろうか。

 なぜそこまで根回しをしている。

「君の経験不足を心配してたぞ。『自分が甘やかしたせいでコミュニケーション能力に問題を抱えてないだろうか』とか」

 ちょっと言いそうな発言なので対応に困ってしまう。

 対話能力というのは空也の責任ではないと思うが。

「それかあれだ。モテるとかそういう風に考えるからいけないのだ。これはある種の意識調査、アンケートだと思えばいい?」

「方眼紙に『菊屋咲良が好きですか?』とでも書いて渡すの?」

 いいえの答えだった時の心の痛みに耐えきられるだろうか。

 受け身の取り方の練習をしておく必要がある。

「違う。日記を書け。君は記録するスタンスと決めたと聞いた。その練習だ。君を覚えている人と暮らしてそこでのやり取りを記録するんだ」

「それで検証を?」

「あぁ。来週またここに来よう。そしてその日記を見て、君が周りからどう見られているのかを分析したり推理したりする」

 分かった。

 そう口から出そうになったが、私はその言葉を吐けなかった。

 何か引っかかる。

「というか、なんでそんなことを気にするの桂御園」

「……その辺りのことは来週話そう」

「そもそも僕がモテるのと君が恋人が別れたのは関係ないだろう?」

「……その辺りのことも来週話そう。大したことじゃない」

 じゃあ今言ってくれてもいいじゃないか。

 しかし、他人からどう見られているかが気になるのは確かだ。

 露骨に嫌った対応をされることは少ないが、反対に露骨に好意的となると空也くらいである。

「とにかくやってみろ。何か新しい発見があるかもしれないし、雁金先輩も外向的な行動だ褒めてくれるかもしれない」

「……分かった」

 ひとまず私は桂御園の言うとおりにしてみることにした。

 ……それが今回の起こりである。

 本来、こういったことは種明かし的に語るべきなのかもしれないが、そのように出来ぬ事情というのもまたあった。

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