三 月曜日:飄々とした芸術系の先輩

 三


「ねぇ、聞きたいことがあるんだ」

「なんですか?」

 月曜日。

 私は創作サークルに足を運んでいた。

 そもそもユートピア(大学内における遊戯研究会)に入る前は創作サークルに籍を置いていた。

 別にやめたわけではないが、何となく足を運ばなくなっていた。

 ここで私の事を覚えている人は二人いた。

 過去形になるのは、桂御園と私が会うきっかけになった先輩は私の事を忘れてしまっていたからだ。

 正しく私の名前や経歴までも覚えているのは現在ただ一人。

 デッサンのモデルになって欲しいと、私を立たせている女性。

「愛と恋はどちらが上だと思う?」

 鯉山仁子(こいやまにこ)先輩。

 署名の時にいつも名前をニコとカタカナに書くことの多い人だった。

 飄々としたところのある、あるいはのんびり屋な性質。

 サークルのメンバーからは割と好かれている。

 ただし彼女と約束をする時は必ず集合時間を早めに知らせること、というのが暗黙の了解だ。

 大抵、約束の時間から少し遅れてやってくるからだ。

 そういう配慮をしても、約束の時間に現地に到着していたり伝えた集合時間より早く到着していることもある。

 どうにも行動が読めないきらいのある人だ。

 自然体で好き勝手。

 したいことをして、やりたくないことはやらない。

 そんな雰囲気をまとっている。

 私は、桂御園の検証のため彼女の所を訪れた。

 交流を記録するためだ。

 そしてモデルを頼まれ、立った姿勢を維持しながら彼女から質問を受けていた。

「単純に考えてもらっていいよ。今日の晩御飯は寿司がいいかステーキがいいか、みたいな感覚でいい。どう思う?」

 彼女の質問を頭の中で整理し、言われた通り単純に考える。

「愛が上だと思います」

「どうして?」

「なんというか、概念的に……? 恋は愛の一部で、恋が愛になることで何か昇華をされてるような……」

「ふうん。ま、同感かな」

 そう言って、腕を組む。

「……じゃあ次の質問、いいかな」

「いいですけど」

「恋人と愛人はどっちが上だと思う?」

 鯉山先輩はどういう気持ちで私に質問をしているのだろうか。

 恋人と愛人のどちらが上か。

 その天秤は見てはいけない。

 恋人と愛人を天秤に乗せてはいけない。

 それによって生活にひびが入ることもあるだろう。

「あ、あくまで想像ですけど……」

「答えに実感があられたらボクも返事に困る」

「そうですか……」

 私はその質問されて困ってしまっているのだが。

 それでも聞かれた以上は答えなければならない。

 そういう義理は無いにせよ、後ろめたさのない清い身であることを証明するには、答えないといけないような気がした。

「恋人が上です」

「どうして?」

「……結局、好きだから恋人でいるわけで。愛人のことも好きなのかもしれないですけど、だったら恋人と別れて、愛人を恋人にすればいい」

 そうしないのならば、心の何処かで恋人のことを真に愛している。

 そういうことなんだろうと思った。

 分からないけど、そういうものではないのだろうか。

「ふふ、そうかそうか。つまりキミはそういうやつなんだな」

 意味ありげに鯉山先輩は笑う。

 そうして、またデッサンを再開する。

 今の一連の質問はただの暇つぶしだったのだろうか。

「……先輩はどう思いますか?」

「ん?」

 私は鉛筆を動かす先輩に質問を投げ返すことにした。

「恋人と愛人はどちらが上だと思いますか?」

「ふむ」

 先輩の手は止まらない。

 思考しながらも描き続ける。

「そうだねぇ。ボクには恋人も愛人もいないから、キミ同様に想像で補完してしまうけど、愛人じゃないかな?」

「……」

「菊屋君の反対だ。恋人と付き合いながらも愛人と関係を持つ。恋人への後ろめたさとか、あるいは世間にある恋愛感覚と自分の立ち位置のズレ。そういうのがいいんじゃないかな」

 いけないことだからしたくなる。

 鯉山先輩はそう私に言った。

 立ち入り禁止区域に入ってしまうような感覚。

 好奇心や冒険心によって一線を超えてしまう気持ち。

 それが人の心に作用する妖しい魅力を持った薬になる。

「まぁ、ボクはそういう危ない橋の方が好まれると思っただけさ」

「そうですか」

「自分の先輩が心配になるかい?」

「少し……でも、そういうのは個人の自由ですから」

 ……この言葉はあまり良くない言葉だ。

 個人の自由。

 そんな風に言えば自分と他人の間の違いを放り投げられる。

 先輩の考えを否定するつもりなんてない。

 だけど、他にも言い方というのはあった気がする。

「そんな顔をするなよ。質問をした側なのに申し訳ないけど、恋人と愛人を天秤にかけるのはあまり良くないことかもしれないな」

「ですかね」

「うん。キミみたいなタイプの子には刺激が強い」

「そんなことはないです」

 思わず不機嫌そうな声色になった。

 心から怒っているわけではない。

 ただ、私だってそういう話をするくらいの力はあるのだ。

 ……ある、はずだ。

 私は自分を信じよう。

「ふふ、そう怒るなよ……よし、ひと段落着いた。この後暇かな?」

「空いてますよ」

「そっか。モデルのお礼と質問のお詫びに、食事でもどう?」

「……行きます」

 即答すると食い意地が張っていると思われるかもしれないので、私は少し考えた顔をしてから答えた。

 別に断る理由がないのに、ちょっと思案した風を装った。

 なんだか食事につられてしまった気がする。

「じゃあ行こう。この時間なら空いてると思うからそんなに急ぐ必要はない」

「分かりました」

「あ、そうそう。質問というか、こんな噂を聞いたことあるかな?」

「なんです?」

「退魔サークル『ユートピア』ってサークルがあるって噂さ」

「?」

 うちのサークルは都市伝説化しているのか?

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