八 水曜日:散歩道


 食事を終え、これからどうしようかという話になった。

 その場で解散でもよかったのだが、もう少し話をするのもいいだろうと私は考えた。

 桂御園との約束があるからではなく、私の心がそれを求めていたから。

 しかし、私はその判断が正しかったのかと悩むことになる。

 この夏の熱気によってである。

「あっついなー!」

「暑いですねぇ」

「そうですね……」

 元気そうな菖蒲さんと対照的に暑いのが苦手なのが私だ。

 葵さんも額に汗が浮かんでいた。

 息を吐きながら彼女はそれをハンカチで拭いている。

「どうかしました?」

 私の視線に気付いたからか、葵さんが私の顔を覗き込む。

「いえ、その、袖をまくらないんですね?」

 長袖のシャツを彼女は着崩さず着ている。

 ボタンを閉め、しわ一つなく、それは彼女の持つ折り目正しさのようなものが繁栄されている気がした。

 一方の私は半袖のシャツである。

 それでも暑い。

 何らかの理由やこだわりがあるのかもしれないし、季節感がないと否定はしないが心配にはなる。

 汗をかくことは必要だが、かき過ぎていいことはないだろう。

 汗と恥は適度にかく程度でよい。

「あぁ、何だか苦手なんです」

「苦手?」

「一度まくると、しわになるでしょう? それが苦手で」

 なるほど。

 分からないでもない、というのが私の答えだ。

 元あるシャツの形から逸脱している気がしないでもない。

 袖を切り取ったり穴が開いているわけでもないのだが、不完全な形になっている感情が湧く。

 彼女が私と全く同じ気持ちかは分からないけれど。

「それに、汗をかいた状態で人に触れる可能性があるので」

「なになに? 何の話?」

「菊屋さんが袖をまくらないのかって」

「あぁ、姉ちゃんまくらねぇよなー」

 そういう菖蒲さんはフード付きの上着の袖をまくっている。

 ついでもへそも出ている。

 雷様狙い撃ちである。

「別にまくんなくても死なねえからいんじゃね?」

「いや、そうなんだけどね……」

 世の中の物事を生死で二分するのはどうかと思うが、確かに死なないかもしれない。

 ……ことと次第によっては長袖が命取りになる場合もある気がするが。

「姉ちゃん、いっつも平気そうな顔してるから長袖で汗かいてくれねぇと」

「くれないと何?」

「……なんでもないでーす」

「別に怒ってないけど?」

「いいでーす」

 何を言おうとしたのだろうか。

 確かに葵さんはそういう雰囲気がある。

 落ち着いていて、動じない。

 感覚的にはなんとなく鯉山先輩と似ているのではなかろうか。

 ただ、鯉山先輩は変拍子で葵さんは規則的な四拍子といった風に違っている。

 拍子……あぁ、私は彼女たちに聞いておきたいことがあった。

「そういえば、話が変わるんですけど」

「ん?」

「なんですか?」

「なんで音楽をしているんですか?」

 菖蒲さんは雰囲気的にしていそうではあるのだけど、やはり葵さんは想像しがたい。

「バンドやろうって言ったのはうちの方だな?」

「うん、菖蒲ちゃんがしようって言って……ええっと何でだっけ」

「ダチと遊びたかったんだよ」

「……? それなら別にわざわざバンドでなくても」

「ふつーに遊ぶだけならいつでも出来るもん。別にダラダラだべってるのが嫌なわけじゃないけど、そうやって緩くやってるといつかダメになりそうだし」

 目的が欲しかったのかもしれない。

 菖蒲さんはそう言った。

「別にカッコつける気もないけどさ……あぁ、菊屋にも声かけようと思ったんだ。姉ちゃんに気まずいだろうし、忙しいと思うからーって」

「別に僕はそれでよかったかな。楽器もひけないし」

 まず存在を覚えてもらえないだろうし。

 それに私は集団行動が苦手だ。

「葵さんも菖蒲さんと同じ、ですか?」

「私の場合は、菖蒲ちゃんのお目付け役半分って感じでしょうか」

「えーなんだよそれー。姉ちゃんもノリノリだったのにー」

「だから半分だよ。お目付け役がいらないんだったら、練習に遅刻しないようにして欲しいかなぁ」

「……悪かったってぇ」

「菖蒲ちゃん以外の皆もマイペースだから大変なんだから」

 やはり集団というものは難しい。

 だから集団行動が苦手、というわけではないが。

 私は集団の中にあって、集団の一員と認められないので基本的に集団の中に存在できないから苦手なだけである。

 足並みを合わせる経験も少ない。

「ま、まぁ、とにかく。うちらは皆といつまでも楽しくやりたいんだよ。お前もその皆に入ってるからさ、またライブ来い、な?」

 菖蒲さんが肩を組んで、そんな事を言う。

「……勿論だよ」

「へへっ……あ、近くに姉ちゃんとたまにいくカフェがある、カフェ。なぁ、喉乾いたしそこでちょっと休もうぜ。いいだろ?」

「僕は別にいいけど……」

「私もいいよ」

「じゃあ、決まりだ決まり!」

 ばたばたと忙しそうに走っていく菖蒲さん。

 この暑いのに元気なことだ。

 私にもああいう元気があればと思う時がある。

 ……あまり合わない気がするが。

「もう菖蒲ちゃんったら……」

「元気でいいじゃないですか」

「えぇ、いつでもめげずに元気なのが菖蒲ちゃんのいいところですから。ちょっぴり甘えたさんですけど」

「そういうところも魅力ということで」

 そんなことを言って話しているうちに目的の店の近くまで来ていた。

 話していたためか、思ったよりも近くにあるように感じる。

「ん」

 ふと、店先に視線をやるとそこには電話ボックスがあった。

 最近は数が減っていると聞いている。

 動物ではないが、絶滅危惧種ないし準絶滅危惧種といったところだろうか。

 珍しいものを見たとはいないものの、日常的に見るものではない。

「知ってますか菊屋さん。これって、恋愛成就の電話ボックスって言われてるんですよ。意中の相手に電話をすると恋が叶うとか」

「へぇ、そんなものがあるんですね。神社の縁結びよりはお手軽な気がしますけど」

 神に祈る方がいいような気もするが。

 実際に神の存在を知る身としては、だが。

「かけてみますか?」

「え?」

「菊屋さんの好きなお相手に電話、してみません?」

「……いえ、いいですよ」

 私の恋は叶っている。

 この電話ボックスを使わずとも、私は雁金空也と共に歩いて行ける。

「じゃあ、私が……」

 葵さんの言葉を遮るように私の電話に着信が入る。

 そういう話をしていたせいか少しびっくりしてしまう。

 だが、出るまに電話が切れてしまった。

「あれ」

「すぐ折り返しますか?」

「……いえ、後でにします」

 菖蒲さんを待たせる形になってしまう。

 店の中に入る方を優先しよう。

 急ぎの用事ならまた電話をかけてくるか、あるいは他の方法で情報伝達をしてくるだろう。

 そう思いつつも、誰からの電話だったのか確認してしまう。

 画面には冷泉(れいせん)トモエの文字が浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る