十四 土曜日:寒波
十四
「で、なんやかんや言うて結局食べるんやんか紗英ちゃん」
会計をするスペースの奥には戸があり、そこを通ると居間にたどりつける。
生活スペースというやつなのだろう。
お客が来ても分かるように戸は開けたままで私たちはそちら側に移動した。
当然、壬生辻さんの持ってきた差し入れを食べるためである。
私は甘いものが嫌いではないし、断る理由というのもない。
別にいいと言っていた樋之口さんもちゃぶ台を囲んでいた。
樋之口さん、私、壬生辻さんの順番に座っているが、どうにも歪な三角形の位置関係になっていた。
私という頂点に対し、二人の間に引かれた三角形の底辺がちゃぶ台の中央を通過する形、なぜ私を圧迫するような位置取りなのか。
疑問である。
「食べなかったらあなたここに置いて帰るでしょ。なら、後で食べるよりもいま食べるわ」
「いんや? 咲良ちゃん食べるモンに困ってたらあれやし、お土産に持たせたろ思っとったけど?」
食べるものに困っている、というと語弊が生じるような気がするものの私は沈黙を貫いた。
肯定も否定もせずにただまんじりともせずそこにいる。
ドーナッツが日持ちするかは私には分からないが、あって困るものではないのは確かだろう。
それくらいは私にもわかる。
食べ物がいつでも摂取できる状況はある意味で理想的であるといえるだろう。
「……あなたそんなに困ってるの? バイトはしてるんでしょう?」
樋之口さんの視線が刺さる。
怪訝そうというべきか、何か私という人間に対しての評価が変動していそうな雰囲気がそこにはあった。
確かに苦学生と言えば苦学生ではあるがこれには海よりも深い訳というものがあるのだ。
少なくとも私にとってみれば、ではあるけれども。
「まぁ、そこは色々あるんやんなー咲良ちゃん?」
私と肩を組んで壬生辻さんが笑う。
……申し訳ないのだがもう少し離れていただけないだろうかと私は内心で抗議した。
身がこわばってしまっていけないのだ。
あまり密着されてしまうと困ってしまう。
「そうなの。それなのにうちに来るなんて、どうなのかしら」
「いえ、その、何と言うべきか。僕だって生活のやりくりというのはしていますから……」
石のように黙っているのも限界であった。
あれやこれやと言葉を並べてみるものの樋之口さんの視線は変わることがなかった。
などということがあったものの、何とか私は差し入れのドーナッツにありつくことが出来たわけである。
「今日は何しに来たの」
砂糖でコーティングしただけのシンプルなオールドファッションを食べながら樋之口さんが言葉を投げたのは壬生辻さんへだ。
樋之口さんと壬生辻さんの関係はただのお客と店主という形には収まらないらしい。
「いやいや、飛び込みのお客さんがおってな、蔵書のいくつかをすぐに買いたいって言うから紗英ちゃんに話通しとかんとなと思って」
樋之口古書堂の事務処理などを行っているのが他でもない壬生辻さんのお父上なのだ。
この店での樋之口さん自身の業務は、基本的には会計程度でそれ以外はほとんどその方がされている、と聞いている。
店の棚にはない、つまりは倉庫に眠っている古書たちを求める人たちの窓口になるのも壬生辻さんのお父上だ。
時々樋之口さんに直接交渉しにくる人もいるらしいが、彼女はほとんど担当者に連絡してほしいと伝えているらしい。
人付き合いが嫌いな彼女からすれば、そのあたりのことも他人に任せてしまった方がマシということらしい。
「……そんなこと。本を大事にしてくれるなら、別にそっちの判断で売ってもらっていいのよ」
「そうはいかんがな。ほんまにその蔵書があるんか調べてもらわなあかんねんから。噂だけでこの本があるんやーって来る人もおるんやで。倉庫の鍵、紗英ちゃんしか持ってへんねんで」
「合鍵でも作ろうかしら……あぁでも、お爺さんの倉庫はそんなに簡単に入られたら困るものね……」
二人のしている話について私は詳しくは知らない。
ある程度商売の話にもなるだろうし私は触れない方がいいだろう。
というか、そういう話であるならば部外者の私はいない方がいいのではなかろうか。
そんな気がしてならず、いたたまれなくなってしまった。
不思議とドーナッツの味が薄く感じた。
「次からはアポイントを取ってもらえる? 急に来られても困るから」
「今日みたいなことがあるから?」
「……言ってる意味が分からないわね。何が言いたいのかしら」
「いや? 単純に邪魔されたなかったんかなと思って」
「……何を勘繰ってるのか知らないけれど、不快だわ」
場の空気が変わった。
正しくは、樋之口さんの変化によって急激に場の温度が低下していっているのだ。
身が固まった私に対して壬生辻さんはいつものように笑っている。
「何怒ってんの。別に冗談みたいなもんやんか、気にせんでええやん」
「本気で言ってるの」
「もちろん。だって、邪魔されたくなかったわけじゃないんやったら、そんなんやないって一言突っ込んで済む話やないの。変な勘繰りしてるんは紗英ちゃんの方ちゃう?」
なぁ、咲良ちゃん。
そんなことを言いながら私を見る。
「ぼ、僕は別に……そんな……」
「ほら、紗英ちゃんが怖い顔するから咲良ちゃんビビってもうてるやん、かわいそうに」
「そんなことないです……」
私が怯えているものがあるとすればこの場の空気感だ。
樋之口さんにではない。
「ホンマに? 優しいな咲良ちゃん。ええ子ええ子」
「……ちっ」
樋之口さんの舌打ちが部屋の中に響いた。
壬生辻さんは相変わらず笑ったままであった。
「……美味しいですね、ドーナッツ」
なんとか部屋の温度が戻らないものかと話をそらそうと試みる。
どうしてこういうことになってしまったのだろうか。
樋之口さんと壬生辻さんは相性が悪いのかもしれない。
だとすればお父上は壬生辻さんを連絡係として送り込むのはやめた方がいいのではないだろうか。
しかしそれを進言するすべというものを私は持っていない。
「美味しいやろ、そらチェーン店のやもん。美味しなかったら展開できへんやろ」
「……そうね」
樋之口さんが同意したので、少しだけ安心した。
このまま黙りこくって業務に戻られてしまう可能性というのもあっただろうし。
そちらの方が後味が悪かったかもしれない。
「毎日食べさせたろか、咲良ちゃん」
「……流石に……毎日ドーナッツは……」
「寿司でもええで?」
「どういう金銭感覚なんですか?」
いきなり種類が変わり過ぎではないだろうか。
毎日お寿司は……多少、魅力的かもしれない。
いや、毎日は飽きるかもしれない。
週に一度くらいがちょうどいい……のだろうか。
「毎日同じもの食べるより、バランスよく食べた方がいいわよ」
「……はい」
理想と現実というものは得てして重なり合わないものなのかもしれない。
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