十三 土曜日:古書の令嬢と旋風の乙女 

十三


 樋之口紗英(ひのぐちさえ)は私の行きつけの古書店の店主である。

 詳細には知らないがその歳のほどは二十代前半で私と余り変わらない。

 彼女の祖父が亡くなられた際にこの店と保存されていた古書(店の商品とそうでないものを合わせた全て)を引き取ったらしい。

 まだ若いためか事務処理などはおじい様が生前仲良くしていた知人に任せているらしい。

 厭世的なきらいのある人で、人付き合いを嫌い続け就職するくらいなら自分で店を持つぐらいの気持ちを持ってしまったのかもしれない。

 売れ行きは分からないが生活は大丈夫なのだろうか。

 私の勝手な心配をよそに本人はお飾り店主などと言いつつ今の気楽な生活を大いに楽しみ、死ぬまでこのままでいくつもりらしい。

 本人がいいならこれでいいとも思う。

 樋之口古書堂と名付けられた古めかしい店、その奥に行くと暇を持て余して本を読む彼女と会うことが出来るし、会計を済ませることが出来る。

 店自体はそこそこに広いが並べられた背の高い本棚によって少々迷宮のような趣を感じる店内である。

 曰く、古書好きや収集家であれば垂涎必至とも呼ばれるような古書が眠っているとの噂だが、大抵は店には出ず本をしまっている倉庫の中らしい。

 だから私はそういったものを見たことがない。

 もっとも、そういう本があったとしても私程度の苦学生には手は出せないが。

 私はこの店が好きだ。

 流行りの本はないけれど、売りに出された本の中には一般的によく知られたものもあるし、時々聞いたこともないような本も置かれている。

 私はこの店が好き、なのだが。

「あぁ、また来たのね。案外、暇なのかしら?」

 店主は私に対してややつっけんどんだ。

 人付き合いが苦手な人だからだろうか。

 それとも私だから……と思うのは思い上がりが過ぎるのだろうか。

 他の人と話している彼女をあまり見たことがない。

 いや、正しくは特定の人物以外と話している彼女を私はあまり見ない。

 私以外のお客さんと話している場面など数えるほどしかなく、それもニ三言世間話をして終わりなのだ。

 短い会話の中で少し刺すようなあの話し方は出てこない。

 よしんば出てきたとしたら客商売が成立しなくなるような気がしないでもないが、それでも彼女は平然としているのだろう。

「……暇と言いますかなんというか」

「そう。じゃあ、お忙しい合間を縫っていただいてどうもありがとうございます、かしら?」

 冷たい顔の人だ。

 雪のように白い肌も相まってそんな印象が高まっていく。

 涼やかで、冷静で、黙っていれば人形のようで、生きている血の巡りをどこか遠くに置いていってしまったのではないかと心配になる。

 彼女の言葉に時々ドキリとする。

 ときめきではなく、心臓に何か差し込まれた様な緊張感。

 蛇ににらまれた蛙とはそういう時のことをいうのかもしれない。

「……ぼうっと私を見ていないで、本を見てもらえるかしら?」

「……すいません」

「……別にいいのよ? 私は冷やかしでもなんでも」

 そんなつもりはないのだけれど、気分を害してしまったのだろうか。

 まぁ、顔をじろじろ見られていい思いはしないかもしれない。

 私だってじっと見られるのは苦手な性質だ。

 ただ彼女は彼女で本を選ぶ私に視線を向けていることがあるように思える。

 言葉同様どこか刺すような視線が背中に突き刺さっていた経験は二度三度ではない。

「……」

 本棚に目を向ける。

 古本の味わいというのが好きだ。

 大型の書店に行った方が種類は多いし、流行りの本だって手に入る。

 それでも私がここに来るのは値段もあるがこの古本たちに惹かれるものがあるからだ。

 少し茶色くなったような本はまるで熟成された果物のように感じられた。

 そして大抵そういうのは明治文学や大正文学の本だったりもする。

 これだって別の店に行けば綺麗で同じ内容のものがあるだろうけど、本の持つ雰囲気も含めて読む楽しみというのが生まれてくる。

 いつだったかここで買った本に収録されていた『檸檬』を読んだが、それ以前に読んだ時とは違ったものがあるように思えた。

 実際は全く同じ中身なのだけれど。

「はい、まいどー!」

 本の背を見ながら思案にふけっていると、入り口の方から元気な声が聞こえた。

 思わずそちらに視線を向ける。

 私は声の主を知っている。

 樋之口さんも知っている。

 入り口に立っている女性は壬生辻纏(みぶつじまとい)という。

 樋之口さんの幼馴染にして、私の存在を認識している人間の一人だ。

 丸レンズのサングラスや柄物のシャツ、指にいくつも指輪を付けていたりと、白壁菖蒲とは違った意味で派手な人だ。

 悪い人ではないけれど。

「紗英ちゃん……お、咲良ちゃんもおるやん、調子どない?」

「ぼちぼち、ですかね?」

「たったいま最悪になったわ」

「また手厳しいやんか紗英ちゃん。あ、差し入れにドーナッツ持って来たで食べる? 咲良ちゃんもどうぞどうぞ~」

「いいんですか?」

「ええよええよ。ほら、紗英ちゃんの好きなやつも買ってきたで。どない?」

「本が汚れるから別にいいわ」

 そんな彼女の言葉などお構いなしに壬生辻さんは会計の机にドーナッツの入った箱を置く。

 樋之口さんの眉間にしわが寄る。

 壬生辻さんといるとそれを見るのは少なくないのだが、普段の様子からはあまり考えられない。

 血の巡りや、彼女の生を感じる。

「あ、そうや。コーヒーかなんか入れよか。紗英ちゃん、二階の台所借りてええ? そもそもコーヒー豆とか粉とかあるん?」

「台所は好きにすればいいけれど、そう言うのはないわよ」

「じゃあ買ってくるな。ちょっと待っとき待っとき」

 パタパタと小走りで出ていく壬生辻さんを見送る。

 元気な人だ。

「……はぁ」

「大丈夫ですか」

 ため息をついた樋之口さんに思わずそんな風に声をかけた。

「大丈夫に見えるのかしら?」

「微妙、ですかね……?」

「騒がしいのよアイツ……頭が痛くなる」

 苦笑いを浮かべる私に、彼女はまた刺すような視線を向けた。

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