九 蜘蛛の子と○○の子


「え、菊屋ってもうスタンプ二個取ってるの?」

 翌日、部室に言って若王子さんからスタンプを貰う時に相生さんがそう言った。

 解散した後にまさかもう一つスタンプを獲得していたとは思っていなかったらしい。

 それももっともだ。

 私が同じ立場だったとして、きっと相生さんと同じ反応をしている。

 しかも若王子さんと殴り合いになっている。

 生きて帰ってこられたのが奇跡だろう。

 奇跡というか、別に若王子さんは殺す気などなかったのだと思うが。

 しかし殺す気がないと出来なさそうな攻撃を受けていたような気もする。

 実際どうだったのだろう。

 聞くのが恐ろしい。

「えーじゃあ最後残ってる? もうよくないー? 二枚抜きしてんのにー?」

「初。仕事は仕事よ」

「やーだーなー」

「初。そろそろ怒るわよ」

「……」

 誰だってそうするだろう。

 私も若王子さんにそう言われたら黙りこくる。

 泣く子も黙るのではなく、泣く子を黙らすやり口だ。

「……よし、菊屋。二人きりになれる場所に行こう」

「誘い方」

「分かりました」

「即決かよ」

 行かない道理というのがあるのだろうか。

 疑問だ。

 今までも一対一だったのだから仕方のないことである。

「じゃあ、行ってきます」

「あいよーいってらっしゃい」

「気を付けてね、初」

「うーい」

 何を気を付けさせた。

 失敬な、私は人間安全地帯そのものである。

 少なくとも自己診断では私に気を付けるところなどない。

 警察犬は私のことを嗅がないし噛まない。

 それは雁金空也が保証してくれる。

「気を付けてね相生ちゃん」

「空也!」

 君が信じてくれないと誰に信じてもらえばいいんだ。

「冗談冗談。行ってらっしゃい、少年」

「……行ってきます」

 にやにやと笑う過書さんの視線を背中に受けながら部室を出る。

 二人きりになる、と言ったがどこに連れて行かれるのだろう。

 校舎裏とか路地裏とかかもしれない。

 相生さんの真っ赤なジャージは少し目立つ。

 何かあったら目撃証言があることを祈ろう。

「菊屋さーお腹減らない?」

「少しは」

「じゃあご飯奢ってやるよーお腹空いたし」

「そんな、悪いですよ」

「どーせ昨日過書から奢ってもらったんだろー? 昨日はよくて今日はダメってどういうことだー? そーいうの差別だぞ差別ー」

 そういう気持ちはない。

 ただ、そんな風に言われてしまうと断れない。

 断る方が失礼な場面だろう。

「それに借りがあるし」

「借りですか?」

「んー前に負けた時、心霊スポット教えてもらってトントン。で、尻拭われたから」

「……貸しじゃないですよ。助けてもらってますから」

「そーかもしんないけど、なんつーの? 自分で納得してないから」

 ますます断れなくなった。

 桂御園の一件において、私は貸し借りなどを感じていなかった。

 むしろ事件をひっかき回したという負い目があるぐらいだ。

 だから彼女の意志や言葉というのが嬉しいと同時に申し訳ない。

「ここにしよっか」

 彼女とたどり着いたのは一軒のラーメン屋だった。

「ここ、知ってる?」

「いえ、初めてです」

「ふーん。じゃ、新天地開拓だなー」

 古めかしい見た目の建物だ。

 しかし引き戸を開けて中に入ると内装は見た目ほど古くはない。

 私はタイル張りの店というのが苦手だ。

 どうにも、風呂場を思い出してしまって食事の気分がどこかに消えてしまう気がしている。

 二人と店員に告げるとテーブル席に通される。

 四角形のテーブルに相生さんと向き合って座った。

「とんこつラーメン一つ。菊屋は?」

「僕も同じものを」

「かしこまりました」

 メニューを見たら初めに目についたのがとんこつラーメンだった。

 多分、この店のウリなんだと思う。

「それで、テストは……?」

「それなー考えてなかった」

「……」

「悪かったって。そんな顔すんなよーまさか一日とは思わなかったし」

 過書さんから若王子さんの順に回って相生さんが最後になる、それが相生さんの思った私のルートだったのだろう。

 だが事実は違った。

 というか、私が過書さんの次に相生さんを選んだときはどうするつもりだったのだろうか。

 だから結局の所一日で二つというのは、彼女からすれば想定外のことであり、一つの私に対してアピールできる材料だったのかもしれない。

「正直あんまりテストするようなこと無いけど……」

「無いんですか……」

「過書は多分、心構えっていうか。なんでユートピアに入ったか……いや、多分今回のテストを上手く切り抜ける方法みたいなの教えてくれたんじゃなーいー?」

 部分的にそう、かもしれない。

 スタンスだとかそういう話を受けたのは確かだ。

「羽彩さんはーボコボコだろ」

 正解。

 若王子さんからするとあの試合に勝つというよりは、立ち上がる意志のような、そういう精神的な部分を見ていたと思う。

「ボコボコだった」

「はい。とっても」

「だろー? だから自分は絶対羽彩さんとやりたくなかった。どうせスタンスも決まってるし、スルーしようと思って」

 なるほど。

 ただ相生さんと私では境遇が違う。

 だからもしかしたら若王子さんも違うテストを用意していたかもしれない。

 ……『強い敵と戦って勝てるか』とか。

 いや、それは多分殴り合いになるだけだ。

「自分が一発クリアしてるから、あんまり過書とか菊屋の気持ちは分かんないんだけど」

 それもそうだろう。

 相生さんは食事の為だ。

 妖ベースの人間であるからこそ、人の食べるものよりも霊を食べる方が重要。

 それは私や過書さん、若王子さんにも分からない事実。

「ただ、なんとなく自分はこういう人の食べ物が食べたくなるんだなー」

 そう言ったあたりでラーメンが来た。

 白いスープ。

 レンゲでスープをすくうと少し絡みつく。

 どろり、というよりはとろり。

 そういった感じの質感のスープである。

 口に含む。

 柔らかい。

 思ったよりあっさりとした口当たりと共に、香りが口の中に広がり鼻へと抜ける。

 美味しい。

「いいだろ?」

「美味しいです」

 にっと笑う相生さん。

 どう見ても人間だ。

 私があの夜に見た彼女の妖としての本来の姿とは、似ても似つかない。

 人間社会での生活が保障されていると言ってもいい。

 だけどその皮の下、肉の下、骨の下、魂の形は人と妖が混ざっている。

 それがいいとか悪いとかではなく、そうなっている。

「ま、さっきの話をするとだなー。正直、自分は羽彩さんの気持ちも雁金先輩の気持ちも分からない」

「そうなんですか?」

「だって、私にはデメリットがないから」

「……」

 なるほど。

 私たちのデメリット、もしくは生来抱えている問題というのは霊能力と密接に関わっている。

「自分の力ってのは妖としての能力だしね」

 相生さんにとっては呼吸に近い。

 出来て当然のことなのだろう。

「そりゃあ、お腹は人より減るしー後は人とは違うお腹の減り方するけど。心霊スポットとか行けば食べられるし」

 笑う相生さん。

 それでも私は彼女の立場になったら不便を感じると思う。

 最悪、苦痛を感じるかもしれない。

 霊的なものを食べないといけない生活。

 一般に認知されていないものを糧とするのは供給が整えられていないのと同じだ。

 飢えるかもしれない。

 深刻なほどに。

「ま、でも皆そうだよ。菊屋は羽彩さんになりたい?」

「嫌……ですね……」

 強いが、ああいう風になりたくない。

 力の調整に苦心して、全力を出すことも感情的になることも出来ない。

 ひたすらに落ち着いて行動する必要がある。

 若王子さんはそれを受け入れ、乗り越えた。

 私が彼女と同じように出来るとは思えない。

 彼女だから出来たことだと思いたい。

 そしてそれは逆もまた然り。

 若王子さんは私の人生を歩みたくはないだろう。

「だろー? 多分、皆それなりに苦労してるから、自分の人生以外耐えられないかもよ。特に自分たちみたいなタイプは」

 そう言いながら彼女がスープを口に運ぶ。

 飲んでから納得したように頷いた。

 どうやら思った通りの味だったらしい。

 いいことだ。

 変わらない味というのは、なんだか素敵なもののように思える。

「菊屋」

「はい?」

「妖について、どう思う?」

 麺をすすってから相生さんがそう言った。

 最近の調子を聞くぐらいの軽さで、質問を投げかけた。

 突然のことだった。

「どう思うって……」

「ほら、テストテスト。それっぽいだろー」

 それっぽいというか、それだろう。

 妖についての捉え方というのは。

「……生命?」

「んー大きいな」

「なんていうか、僕は……葉子と五年くらいの付き合いになるんですけど、なんだか妖も人生というか、生きてきた道があって考えがあって、死ぬまで生活が続いてる」

 だから生命。

 大きな枠で見てしまう。

 私にとって葉子は友人であり、隣人だ。

 初対面の場面というのはそんなにいいものじゃなかったかもしれないけど。

 それでも私は葉子を大切な存在だと認識している。

「じゃあ、人間と妖を同じものだと思う?」

「思いません」

 思えません、でもいい。

 人間と妖は違う。

 私と葉子の間に感覚の違いがあるのは知っている。

 そして、目の前にいる相生さんだって私と同じではない。

 生活環境も体の中身も。

「……動物と妖を同じものだと思う?」

「思いません」

 見た目は近いことがあるかもしれないが、その二者は別物。

 葉子が狐になったとして、それは妖狐であって狐ではない。

 化け猫が妖の猫であるのと同じだ。

 動物の猫とは違うものである。

 その部分を抜きにしても、やはり妖と動物は違うものだろう。

「ふうん……例えばの話だけど、雁金先輩と葉子さんが崖から落ちそう……生きてそう……じゃあトラック……も生きてそう……とにかく、危険な状態になってたとしてどっちを助ける?」

 どっちを助ける。

 どちらか選ばないといけない。

「両方ってのはなしねー」

 選ぶ。

 空也と葉子。

 あの、二人の内から一人を。

 選べない。

 だが選ばないといけないのだとしたら、どちらを。

「どうするー?」

「……僕は」

 私の選択は、決まった。

 絶対にこの問題のような状態になってはいけないけれど。

 もしそうなったら私は選択する。

「僕は空也を助けます」

「なんでー?」

「雁金空也は僕が世界で一番好きな人だからです」

 あるいは、彼女が僕の恋人だからです。

「……恋人だからなんだー」

「はい。ただそれだけの理由で僕は葉子を……」

 見捨ててしまえます、と言いたかったが言えなかった。

 冗談でもそんなことは言えない。

 本当は見捨てたくなんかないから。

 言葉にして発することを心が避けている。

「そんな深刻な顔すんなよ。その答え、自分は好きだし」

「ありがとうございます……」

「人も妖も区別してないだろ」

「区別してない……?」

 区別、していないのだろうか?

 私は人とも動物とも妖は同じでないと答えた。

 この世にある一般的な生命と妖という生命を分けて考えているのと同じではないのか。

 私のしたことは区別ではないのか。

「区別しませんでした?」

「したけどーしてないー」

「どっちですか」

「りょーほーだけど? 妖を人とも動物とも違うと思ってる、これは区別。ピンチの時、二者択一の場面になると恋人を優先する、これは自分の……えーと、価値観でびょーどーに?」

 特別扱いしない、ということなのだろうか。

 いや、そうなのだろう。

「自分はさー普通に生きたいのー普通に、ふっつーに」

 相生さんがラーメンを食べ終わる。

 態度は日常だが、話す内容は日常とは少し離れる。

 軽々と重たいことを言う。

 本人はそうとは思っていないのだろうけど。

「ユートピアの皆は、過書も羽彩さんも雁金先輩も、いざという時はー自分の価値観で動くよ。妖だからどうだとか、思わないよ。だから自分は皆が好きだよ」

「……」

「菊屋も多分同じタイプかなー?」

 どうなのだろうか。

 分からないけれど、少なくとも先ほどの質問の答えから考えれば、私は確かに特別扱いしないんだろう。

 どれだけ妖に尊敬の意を払っても、私は雁金空也を優先するのだろう。

「そりゃあ、心霊スポット教えてもらったりとかー? そういう便宜は図ってもらいたいなーって思うけど。それはさ、ちょっと席を譲るくらいの親切だから。あってもなくてもどっちでもいいし」

 ポケットに手を突っ込み何やらごそごそとやり始めた。

 出てきた彼女の手に握られていたのは印鑑だった。

「結局、霊能力者も普通の人から見れば妖と同じだと思うしさ……菊屋、ごーかくーってことにしとくよ。よく自分の試練を乗り越えた……ってかー?」

「あ、ありがとうございます」

 カバンからスタンプラリーの紙を取り出し、判を押してもらう。

 これで三つ。

 全部が揃った。

「雁金先輩に言われた時さーテストのこと考えて、どうしよっかなーって思ったの」

「そうなんですか?」

「うん。適正とかさー正直分かんなくて、だから気持ちのいー奴ならいいかなって。だからね菊屋、何となく自分はお前のこと好きになれそうだよ」

「……ありがとうございます」

 そういわれて嬉しくないはずがない。

 受け入れられているという気持ちになる。

 この感情が私に生きる道をくれた気がするのだ。

「あ、関係ないんだけどさー」

「え、はい」

「首のそれ、怪我?」

「? 首?」

「うん。ほれー」

 スマートフォンの内側のカメラで自分の首を確認する。

 小さな内出血のような……多分内出血で間違いない。 

「どっかで打った? 羽彩さんはこれじゃ済まないもんな」

「そ、そうですね。寝てる間に打っちゃったんですかね……?」

「ふーん。気ぃつけろよー」

「ははは」

 ……後で空也と話をしておこう。

 肝を冷やした。

 とりあえずは目の前のラーメンで暖を取ることにしよう。

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