4 ―桂御園信太との対面―
4―桂御園信太との対面―
寮は木造建築の学生自治寮である。
非情にガタがきている、ということは別にないが時代の流れは感じる。
夜に明かりがついているだけで誰もいない寮の玄関を見ていると背筋が凍るような錯覚を起こしそうではあった。
レトロといえば聞こえはいいが古臭いといえば古臭い。
私も桂御園もここに住んでいた。空也は住んでいない。彼女は優雅にマンションで一人暮らしを楽しんでいるがそれは関係ない。
引き戸を開ければまっさきに受付が見える。
自治領ゆえか外部の人間の宿泊も認められているためその窓口にもなり、時には寮について聞いたりすることになる。
「二名でご宿泊?」
ぼそぼそと聞き取りにくい声で受付の椅子に座った男が言った。
「……入居者だよ。菊屋咲良」
「菊屋? 菊屋咲良……あぁえっと、一階の真ん中の部屋だったよな?」
「違うよ」
「え、そうだっけな……えっと、そっちの人は?」
「雁金空也。見学、よろしいね?」
「あ、はい。よろしいです」
微妙な顔をしている男を放って私と空也は桂御園の部屋に向かう。
空也はぼーっとした子だねと受付の彼から離れた場所で耳打ちした。
桂御園の部屋は寮の二階。その奥の部屋であった。
私の部屋とかなり近い。
彼の部屋に近づくにつれ廊下に置かれた彼の創作物らしきものがごろごろしている。
空也はその中でも特になんだか目がちかちかするピンク色のダルマが気に入ったようでそれを大事そうに抱えていた。
祠はさすがに撤去されているのか彼が移動させたのか見つからなかった。
きしむ廊下を進む。
「なんかおばあちゃんの家思い出すなぁ少年」
「僕のおばあちゃんはこんな家に住んでいない」
「ウチのおばあちゃんの家、おっきいぞぉ。でも築ウン十年で床ぎしぎしいうんだ」
「悪かったね。ぼろい寮で」
「いやそんなつもりはないんだよぉ? ねぇ、少年さ、一緒に住むかい?」
音が聞こえた。ギターの音だ。どうやら桂御園は部屋にいるらしいと分かり内心胸をなでおろす。
桂御園が部屋にいなければ探すか待たなければいけない。
自由に行動している彼を探すのも待つのも骨が折れる。
彼にここで苦労せず会えるのは私にとって喜ばしいことである。
「桂御園信太さん、いますか?」
「ここに……んー? 君……ああ、女性の君。それは俺の作品だね? どうしたんだい? 欲しいのかい? くれてあげよう。どうせ駄作だ。俺の神はそこにはおりてこなかった。深窓の令嬢のつもりがネオンが似合う夜の蝶を作ってしまった」
「あはは……少年、彼もしかしてヤバいタイプの人?」
空也が彼には気づかれない声量で私に聞いた。
私は曖昧な笑みを浮かべてそれに答えるのを拒んだ。
桂御園信太は変人だが犯罪を犯すようなタイプではない。ただし迷惑にはなるタイプだ。
ヤバいといえばヤバい。だが危険かと言われればそうではないという感じだ。
「今日は誰も帰ってこなくて暇をしていたんだ。といっても彼らは俺の芸術が理解できん。ギターを弾いてやれば喜ぶが俺は音楽家ではない。では俺が何者かという話になるが俺は芸術家なのだ。なぁ君……ああ、男の君。君、ええっと……」
「菊屋咲良です。桂御園さん」
「桂御園で構わない……この寮に敬語はいらない。四回生も一回生も同じ立場だからな。ただ君が俺を尊敬したいなら話は別だがね」
「……今日は少し頼みたいことがあって来たのだけれど」
私は敬語を止めた。
彼の言葉に心打たれて敬語を止めたのではない。
さっさと本題を話してしまった方がいいと思ったのだ。
桂御園がギターを弾いているときは芸術に行き詰っているときでなにか打開策を考えている時。
彼の刺激になるような答えを求められるか、それとも気分転換に使われるような気がしたからだ。
「ははあ、個展か何かの誘いかな。だが悲しいかな俺には人に見せられるレベルのものが少ない。否、俺が納得して出せるものが少ないんだ」
「いや、そんなことではなくもっと簡単なことだ」
「ほう。なんだ? 作品のリクエストなら受け付けていない。それともなにか好きなナンバーでも弾いて欲しいか? あいにく流行りの歌は嫌いだが」
「取材をさせていただきたい。サークルの先輩があなたに興味を持っている」
「……なぜ」
「あなたが……その、水晶玉と結婚すると言っていたとかで」
桂御園信太の変人性を知っていたせいで私はこの言葉を何となく現実のものとして受け入れていたのかもしれない。
言葉にしてみてやっと私はそのことにおかしさを感じた。
この時に私は先輩にこのことについてなぜもっと掘り下げて質問しかなったのかを後悔した。
だが過去に戻ることはできない。私は桂御園の答えを待つ。
「……」
桂御園の答えは沈黙であった。
彼が適当に弾いた弦の音だけが響いている。
目を閉じて静止している彼は彫刻や置物のようであった。
「そうか。確かに確かに俺は水晶玉と結婚する。が、それは正しい表現ではない。水晶玉は無機物であり人ではない。そんなものと本当に結婚できると思っているのか?」
桂御園ならばやりかねない。
しかしそれを彼に言えるかどうかは別だ。
沈黙は金、私は沈黙を選んだ。
「まぁ、つかみのようなもんだ。落語で言う枕、曲で言う前奏やAメロみたいなものだ。興味を持たせるためのもの。センセーショナルな一面無くして注目無し」
桂御園は布団の中から水晶玉を取り出す。
それはとても美しかった。
光が屈折して集まっているのか中心ともいうべき部分が輝いて見える。
だがなにか曇っているような気もする。真水のような透明性はない。
輝く光もその水晶の中でだけ見えるもののように思えた。
桂御園が出してきたものだから不信感があるのか? それともこの水晶玉に警戒しているのか?
まるでそこを見続ければなにか引きずり込まれそうな感覚すらある。
「少年」
空也が私の服を背後から掴む。
手に引っ張られるように私は一歩、二歩と下がる。
「ふふふ。これが件の水晶だよ。俺の大事な伴侶だ。完璧な姿ではないがね」
「完璧な姿?」
「気になるか? 気なるのか? 教えてやろうか? だが、教えない。今は時間が悪い、夜になったら来い。そう丑三つ時にでも来い。そうしたらお前に真実を見せてやろう。それと、お前の先輩とやらに言っておけ、俺は誰も拒まない」
一方的にまくし立て満足そうにまたギターを弾く作業に戻る桂御園。
「それはどういう」
「百聞は一見に如かずということだ。これ以上は教えん、見せん、知らせはせん。気になったら夜に来い、それだけだ。ははは」
憎たらしく笑う桂御園。
正直彼と同室の寮生に同情する。少なくともこの短時間の会話で私は彼にいい感情は抱けなかった。
そんな彼と毎日同じ部屋で生活している人間というのもすごいものだ。
私はこれ以上食らいつくことはできないと思い、部屋から出ることにした。
百聞は一見に如かず。確かにその通りだ。しかしその一見が問題の一件であると考えながら私達は歩き出す。
「それじゃあな、帯屋。俺は誰も拒まない」
「……菊屋です」
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