六 嵐
六
私は若王子羽彩が怖かった。
過去形になるのは、彼女と向き合って話をしたという経験。
そして敵ではなく味方であるという結果と、若王子さんがそれほど無秩序な人ではないと感じたからだ。
若王子さんは強い。
多分、私がこれまでの人生で見てきた誰よりも強い。
強化という異能力、副作用によって高められた基礎能力、肉体は文句なしの上にさらに精神性の強度も極めて高い。
若王子さんの精神の強さを肉体の強さからくる自信である、とは私は言えない。
彼女は自分に自信があるのではない。
強いのが当たり前なのでこの世の見方が我々と違うだけである。
車にひかれたくないから人は赤信号を渡らない。
しかし彼女は規則として決まっているから赤信号を渡らない。
ひかれるどころか車を素手で止められる人間であるがゆえに、彼女は車を生命を脅かす存在とは認識していない。
幸運なことは、若王子さんが自分が異常なのだと理解していることだ。
他人が弱いのではなく、自分が強すぎるという事実を知っている。
故に、高飛車でも傲慢でもない風な人として生きてきた。
「よしよし、ええで咲良君」
「ありがとう葉子……見た目が変わったりするわけじゃないだよね」
「まぁあくまで加護やで、加護。この神域内限定やけどな」
私は若王子さんとの勝負に備えて葉子から神様の加護を与えてもらっていた。
若王子さんは境内に足で線を引いている。
石が敷かれているがその下は土のはずである。
若王子さんの場合、地面がコンクリートでも足で削って線を引けるだろう。
「丈夫になったの?」
「そうやな、耐久度と運気を引き上げたで」
「運気?」
そんなことも出来るのか。
ソーシャルゲームで流行りの文明的ゲームアプリ遊戯をする時にここでキャラクターを召喚してみよう。
「あー。ツイてるって状態やけど、普通のツキとはちゃうくてな。腹に包丁突き立てられても臓器が傷つかへんとかそういうのやねん」
例えが怖い。
そういう目には遭いたくはないものだ。
「切られた瞬間に刃物が折れるとか、トラックにはねられたけど偶然生きてた、みたいな」
「何でか生きてるっていう感じ?」
「せやな。咲良君の体を鋼並みの強度してもあの子、デコピン一発でへし折りそうやし」
幸運で強度の補強をするという事らしい。
……本当に心からありがとう葉子。
どれだけ強度を上げてもあの人は壊してしまう可能性がある。
手加減はされると願いたいが。
「準備出来たわよ」
境内に大きな四角形が出来ていた。
葉子に背中をパチンと叩かれ、私も四角形の中に入る。
緊張する。
殺気は感じないが、若王子さんの前に立つと後ろに下がりたくなってしまう。
ライオンの前に立つ草食動物というのはこういう気持ちなのだろうか。
しかし私は肉食動物から逃げるシマウマの映像を見たことがある。
逃走できる距離感を知っているのか、案外舐めているのかどちらなのだろうか。
「私はこの四角形から出ない。そして、膝、手、体を地面に付けない。そんなルールでどう?」
「僕はどうなったら負けですか?」
「死んだら……は、厳しいから……気絶したらギブアップで負けにしましょうか」
「……分かりました」
空を見上げて息を吐いた。
体の力が抜けていく。
水になったように、自分の体が崩れていく。
しかし輪郭だけが崩れない。
そういうイメージが、私の体を脱力させる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
一礼。
闘いの審判は葉子だ。
「じゃあ、葉子さん。合図をお願いできるかしら?」
「あいよ……構えてェッ! 始め!」
私と若王子さんの戦力差は歴然だ。
あまりにも力に差があり過ぎる。
正直な話、膝と手、体を地面に付いたら負けというルールを付けてはいるが、それでも戦力差を埋めるのには十分ではないのかもしれない。
もしも私と彼女が平等になる瞬間があるとすれば、彼女は三秒以上地面を踏んではいけないぐらいのルールなどはどうか。
それでも私の上に乗って勝ってしまいそうだが。
「……いきます!」
私の運動能力は高くはない。
自慢ではないが走り幅跳びが全くライン際で跳べないし、懸垂が五回も出来ない。
三点倒立も、逆上がりも、レイアップシュートも出来ない。
逆ヘラクレスともいえる私だが、それではダメだと立ち上がったことがある。
空也曰く、勉強も運動も私の場合は成功のイメージが値千金の価値を持つ。
出来ると思う事、それによって私の体が無意識のうちに成功させようと動いてくれる。
しかし、勉強に比べて運動は思ったよりも向上しなかった。
結果が伴わなかった。
理由は簡単だ。
成功のイメージが全く出来ない、それだけだった。
だからそのために多くの訓練を積んだ。
体育の成績が上がった時は、それが私の能力によるものなのか、それとも純粋に体を鍛えたからなのかが分からなくなっていた。
だが、それでも今の私は過去の私よりも運動が出来る事は確かなのだ。
「ふッ!」
真っ向勝負は分が悪い。
面と向かい合って、では不意打ちなどが出来ない。
紳士的な私としては心苦しいが、勝つために手段を選べる立場でもない。
己の無力を乗り越えるためには、出来ることはやはり何であれするべきなのだ。
私が選択したのは――――奇襲。
走り込み、両足で跳躍。
そのまま体を捻りながら、両足を前に向かってまっすぐに伸ばす。
技名は『ドロップキック』だ。
勢いと体重を乗せて彼女にこの技を叩き込む。
私は彼女を信頼していた。
彼女はかわさない。
あの夜、彼女は原付で突っ込んでくる私を一度はかわした。
だがその後は、受け止めるつもりで立ちはだかった。
嫌になるほど恐ろしかったが、今になって思えば素敵な魅力と力強さのある行いだった。
自分への信頼と誇り、そういう気高さがあったのかもしれない。
そんな若王子羽彩が私如きの攻撃をかわす必要はない。
彼女はとてつもなく強い、だからこそそれを受け止めるだけの精神性が完成している。
仏のような心の広さではなく、貴族のような一本気。
「そう、そうするの」
捻りによって体が反転し、地面を見ながらも私は足を伸ばす。
その体が空中で静止した。
「え」
見るまでもない。
足から握られている感覚が伝わってきている。
彼女は私の足を気軽に掴んでいるのだ。
足の裏に彼女の指が降れている。
靴を突き破り、靴の底を掴んでいるらしい。
そして若王子さん自身は一歩も動かず、身じろぎもせずに私を受け止めて見せた。
やはり、彼女は力強い。
文字通りの意味で。
「せえの」
「ぶッ―――」
一瞬体が浮き上がったかと思えば、そのまま地面に急降下。
べしゃりと蛙が潰れるかのように地面に叩きつけられる。
痛い、痛い、痛い、痛い、鼻やら何やらが全て痛い。
まるで飛び込みに失敗したようなものだ。
それにしても畳の上の水練どころか、地面の上の飛び込みとはどういうことか。
肝が冷える。
冷えた。
「もう一回」
また体が浮き上がり始める。
今度は先ほどよりも高く、高く上がっている。
さすがにもう一度食らうのは勘弁願いたい。
安物の絶叫マシンでももう少し安全に配慮をしてくているはずだ。
「!」
私の体が浮き上がり、彼女の腕が天に向かって伸びる。
身長が倍になったかのような錯覚。
実際は彼女の方が背が高いので、倍以上の感覚を味わっていた。
今まで脚立や乗り物にでも乗らないと味わえなかった高さを感じている。
ひやりと首筋に風が吹いたような気がした。
人ひとりの力ではないという恐怖と、純粋な高さによる恐怖が迫る。
「お……おお……!」
ジェットコースターのような一撃がまた来るかと身構えたが彼女のクラッチが緩む。
手が離され、フリーフォールのように真下に落ちていく。
だが、当然ではあるが私が安全になったわけでは断じていない。
今度は腰にクラッチを感じる。
ぬいぐるみを抱えるかのごく、抱きしめられていた。
「な、なにをっ」
こんな時でもなければロマンスの香りに鼓動が高鳴っていたところだ。
……若王子さんの場合、さば折りを疑ってしまうが。
「死なないわよ、この程度じゃ……まだ」
――――世界が回った。
「あ、ッ……!」
前、空、逆さまと素早く景色が移り変わる。
高速のリクライニングによって私の後頭部に衝撃がやってきた。
目から星というより、自分自身が星になるかと思う痛み。
彼女がブリッジをしながら私を地面に叩きつけたのだ。
ジャーマンスープレックス。
プロレス技を食らったのだと理解できたのは、もうクラッチが解かれた後だ。
ぐにゃりと叩きつけられた状態からなんとか体を動かしてうつぶせの状態になる。
生きているのが不思議なまでの一撃であった。
私は本当に生きているのだろうかと不安になってしまう。
「生きてるかしら?」
ブリッジから体を起こしてくる若王子さん。
「生きてます……」
「そう、よかった」
起き上がろうとする私の首筋にぐっと重さがやってきた。
再び地面に叩きつけられて、若王子さんが私の首を踏んだのだと分かった。
「しっかりやりましょうね」
私は本当にスタンプを貰えるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます