五 火曜日:最強の似合う女傑
五
「やったれ菊屋ちゃん! ボディ、フック、フック、ボディ、アッパー!」
「うるさいわよ古市……ふっ!」
「ぐっ……」
「あー! ダメだ!」
私の体が浮き上がる。
その原因は私の前に立つ女性、若王子羽彩にある。
ユートピアの一員として行動するために私が設定した妖を記録するというスタンスは、受けられる依頼の幅が広い。
そのため平和的でない案件というものにぶつかることもあるだろう。
実際、桂御園の一件はかなりの大立ち回りをしていたのではないかと考えている。
あの時は記録のスタンスを持っていなかったが、今後同じような事件に出会わない可能性を否定することは出来ない。
なので、私は体を鍛えることにしたのだが、いささか判断を間違えた気がする。
妖のことなのだからと、私は過書さんに相談をした。
なにか荒事の練習として使えるような妖はないかと聞いたのだ。
妖を生み出す能力と蒐集・使役する能力の二つを持つ過書さんにである。
しかし過書さんの返事は私の求めるものとは違った。
『菊屋ちゃん。最強と戦っちゃえば、大抵の妖は大した問題に感じなくなるっすよ』
そう言われた。
言われてしまった。
最強とはすなわち、ユートピア最強の女性。
雁金空也が最高の盾だとするなら、最高の矛。
およそ暴力というものにおいて右に出るものがいない者。
戦国の世なら一騎当千を約束された存在。
若王子羽彩さんとの勝負を勧められたのだ。
私は彼女の強さを知っている。
それゆえ躊躇した。
だがそうせねばなるまいと思う心もあった。
……のだが、正確にはその話を聞いた若王子さんが乗り気だったのでもう後には引けなくなった面が大きい。
どうやって作ったのかは不明だが、野外に設置された過書さん特製のリングに上げられ、若王子さんと戦うことになった。
中は何らかの能力が働いているらしく、怪我の心配はないとのことだ。
毎度毎度葉子の神域にお邪魔するわけにもいかないので、これはありがたかった。
若王子さんの手加減もあるのだろうが、不思議と強い打撃を受けても骨などのきしみを感じない。
「若王子さん! 浮いてます! 浮いてますから!」
「舌、噛むわよ」
対角線で向き合った状態から端まで押し込まれる。
若王子さんの拳が脇腹にぶつかるたびに足が浮き上がる。
左右からの連打によって足が地面から離れている時間が長くなり、やがて完全に着かなくなった。
「……」
無表情で若王子さんの右手が私の胸倉を掴む。
次の瞬間、世界が回転し私の体がリングに叩きつけられる。
あまりの力に着ていた服の生地がミチミチと音を立てて千切れた。
ボタンごと服だったものが投げ捨てられる。
「ふっ!」
そして、その服という鎧を失った胸に足が落とされる。
荒っぽい心臓マッサージであった。
野性的でありながら、精密に胸を踏み抜かれる。
何となく、体がゴムまりのように弾んでいる気がした。
「こ……こうさ……」
降参、と言い切る前に弾んだ体が蹴り上げられる。
「大丈夫かー! 菊屋ちゃん!」
「……か、かしょ……さん……タオルを……」
「あ、ごめん。今汗拭くのに使ってて」
ふざけないでいただきたい。
確かに本日は快晴の真夏日であるが。
早急に投げ入れていただきたい。
「今日はこのあたりでやめにしましょうか」
流石にこれ以上はと思ったのか、若王子さんが声をかけてくれた。
ありがたい、と内心で感謝の意を述べる。
言葉にしようと思ったが、どっと疲れが出てきて呼吸が整わない。
「立てる?」
「あ……だい、じょ……」
「立たせるわね」
大丈夫と言おうとしたのだが。
両手を脇の下に入れて赤ん坊を高い高いするみたいに持ち上げられる。
しっかりと足の裏から降ろされるが、力が入らない。
微妙に足が震えているが、それは疲労の為だろう。
きっと恐怖からではないと信じたい。
「あう……」
「大丈夫じゃなさそうね」
思わず倒れそうになる体を若王子さんが抱きしめるように支えてくれた。
注釈しておくが、私にやましい感情などない。
……緊張するというか、脈拍の上昇は何となく感じるが。
これは私の脇の下に手を差して立たせたから、肩を貸すよりこちらの方が速いと判断したのだろう。
「あり……が……とう……ございま、す……」
「別に、あたしがしたわけだしね」
それもそうである。
が、別に私をそのままリングに転がしておいても問題はなかったわけだ。
若王子さんの優しさを感じる。
空也に次ぐユートピアの古参であり、相生さん、過書さんを含む三人の中でも一番落ち着いている。
その能力などに目が行きがちだが、一番安心の出来る先輩は彼女なのかもしれない。
雁金空也は良い人だが、いい先輩とは言い難い気がしないでもない。
……いや、空也のいい先輩なのかもしれない。
中学生の時点からの付き合いになるので、もう先輩という目で見られていないだけで、彼女は彼女なりに先輩であろうとしているだろう。
それが我々にどう影響しているかは、現時点では謎である部分が多いが。
「古市、回復させてあげなさい」
「はいはーい」
過書さんが和紙の束を取り出すと、その中から一枚を千切った。
それを宙に放るとその中から墨がそのまま塊になって浮き上がる。
紙の上から飛び出してリングの上に落ちる墨の塊。
もぞもぞと動いたかと思えば、それは一匹の動物の姿になっていた。
イタチのように見えるが、どこか正体不明である。
「……これ……は」
「んー? 垢嘗(あかなめ)とかの舐める系の妖怪と、唾つけとけば治るって言い伝えみたいなのを混ぜた妖怪でな。舐めるだけで傷が治る。見た目も動物型にして不愉快じゃないようにした」
お気遣いはありがたい。
しかし、その妖怪の治療はいささかこそばゆかった。
「動くと治療しにくいわよ」
「そうは……言われても……」
ズボンの裾から中に入り込み、私の体を登ってくる。
かなりくすぐったい。
私はそれなりに敏感な性質なのだ。
「菊屋、着替えは?」
「え……? いえ、その……持ってないです……」
「そう、じゃあ一旦寮に行って来てから戻ってきなさい」
「……はい」
何故だろうか。
このまま寮に戻って泥のように眠るのもいいかもしれないと考えていた。
もしくは空也の部屋に行くかだ。
「頑張ったから、ご飯を奢ってあげるわ」
「……分かりました」
優しさがしみる。
あと妖怪の唾液のような治療薬が傷口にしみる。
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