十一 金曜日:緩やかな蜘蛛の乙女

十一


 幼い頃に見た夢の一つにこんなものがある。

 温かな日の光の中でハンモックに揺られて眠るというものだ。

 日傘や木の葉の下で熱を避けて、傍らには丁度よく冷えた飲み物と文庫本。

 読むも良し、思考にふけるもよし、眠るもよし。

 穏やかの中にある幸せを噛みしめるのだ。

 形は少々違えど、いま私はその夢を叶えていた。

「どうよ菊屋ー? 快適じゃないー?」

「えぇ、これは確かに」

 ユートピアの部室内、私たちは椅子に座らず、しかし床の上にも立っていない。

 相生初先輩。

 人の血を引く土蜘蛛の妖怪。

 体に流れる血は妖としての成分が濃く、人間としての血が薄い。

 普段こそ人の形をしているが、私は彼女の持つ蜘蛛の姿を見たことがある。

 後から聞いた話ではあるが部分的に妖にすることも可能らしい。

 しかし彼女はそれを見せたがらないので、見る機会と言うのは恐らくないのだろう。

 相生さんが見せてくれるのは彼女の持つ異能の中の一つ、糸を扱う能力だ。

 鋼のように頑丈でありながら通常のそれのようにしなやかな性質を持つ糸。

 粘性のあるなしも調整が出来るようで、彼女は見事な腕前でハンモックを作成し、部室内に吊るしてくれた。

 横並びになってハンモックに身をゆだねる。

 快適な空調、手には文庫本、外で買ってきた清涼飲料水もある。

 空調と温かな日差しの違いはあるが、これで十分満たされる。

「こうゆっくりしてると、なんかどーでもよくなんねー」

「なりますけど……相生さん……」

「なにー?」

「片付けをしないとダメなのでは……」

 私たちが網目のゆりかごにいる理由は一つ。

 部室に足を置く場所が少ないからだ。

 元からそこまで綺麗な部室でもないというのに。

 私が来た時にはすでにこの形で、相生さんがハンモックに揺られている状態であった。

「面倒くさいな」

「いや……何をしたらこうなるんですか?」

「掃除?」

 むしろ掃除が必要な状態である。

「ほら、こういうことしてるといらないものが増えちゃうんだよね。だから整理しようと思ったんだけど」

「あぁ……増えるんでしたっけ……?」

「桂御園のアレだって、場合によっては水晶玉を回収しないといけないかもしれなかったしー」

 相生さん曰く、ユートピアの仕事としてはそういうことがないでもないらしい。

 いわゆる曰く付きの物品の回収である。

 悪霊の取りついている道具などは持ち主が手放したがることが多い。

 依り代となる道具があるということは、霊にとって家があるのと同じだ。

 粉微塵にされたとしても、戻ることで回復することが出来る。

 スタンスによるところもあるが、退治しても悪霊が蘇ることがある以上はこちらも回収したい。

「でも、そういうのって置いてていいんですか?」

 床に置かれた段ボール箱やその他の物が全てそうなのだとしたら、厄介なことになる。

 今すぐにでも妖が現れたらどうするべきか。

 当然、悪意のあるものなら迎撃をする必要がある。

「ここに置いてあるのは多分大丈夫かなー」

「本当ですか?」

「お払いしてるからねー」

「お払い……そういうのって神職の方とかでないと出来ないのでは?」

「学生でも出来るよ。私の場合、食べちゃうだけだけどー。あぁ、えっとー人間で言うと、依り代は家なんだよね」

「はい、空也からもそう聞きました」

「帰る場所があるから妖が蘇るっていうのが問題なんだよね。だったら帰る家を無くしちゃえばいいじゃん」

「?」

 それが依り代の破壊なのではないのだろうか。

 回復不可能な状態に追い込んで退治するという方法。

「つまり、地上げ? 権利書はく奪とかの方が分かりやすいかなー?」

「言い方に問題がありますよ」

 しかし、何となく想像はついた。

「まぁ、依り代と妖の繋がりを切ってしまうと。そういうことですね?」

「そうそう、それがお払いね。強制退去。ここにあるのは全部そういうの」

 信管を抜いた爆発物。

 運転手のいない車。

 そこにあるだけのもの。

 人のいなくなった家とは霊の消えた依り代。

 しかし前者は時として霊の依り代になったりはするけれど。

「多分、だけどね」

「怖いことを言わないでください」

「事実そうだからねー」

 本当に大丈夫なのだろうか。

 非常に不安になってきた。

 これから部室に入る時は何か道具を持ってきた方がいいだろうか。

 空也に借りたバットなどがいいか。

「ここにあるのなんて、会った事もない先輩が持ってきたのとかあるんだから問題ないって。あったら私が食べるから、安心しなよ菊屋」

 ……いるかどうか分からないものにおびえるというのも良くはない。

 そこに気持ちを引っ張られると、逆に妖や霊を呼んでしまう可能性がある。

 いると思うからいるのだ。

 いないと思えばいない。

 存在するかどうかは私が決めることではないが、呼ぶかどうかは私が決めることだ。

 であれば、呼ばない様に気にせず今まで通りがいいだろう。

「でも相生さん」

「なに?」

「置いてあるのが安全なものなら、なおさら速やかに片づけた方がいいのでは」

「面倒だな」

「手伝いますよ」

「うーん。じゃあ、お願いしようかな」

 頷いて私が床の上に戻る。

 一旦机の上に下りて、それから床に置いた靴を履いた。

 どこに何があったかなど、全く分からないのだが。

「これとかは、どこに置きます?」

「そこのロッカーの中でいいんじゃないー?」

「え、適当ですか?」

「使ってないロッカーに入ってたし、多分誰もちゃんと覚えてないよー」

 言っている間に相生さんが糸を吐き出す。

 ロッカーに糸が接着され、それを手繰って扉を開ける。

 器用なことだ。

 とりあえず言われた通りに片づけて行こう。

 数は多いが、一日で終わらない量でもない。

 始めてしまえばすぐに終えられるはずだ。

 まずは一つずつロッカーに荷物を入れていく。

「菊屋、頭下げて」

「え、うわ……」

 思わず頭を下げた。

 というよりも、その場に座り込んで身を低くした。

 頭上を段ボール箱が通る。

 ガコンと音が鳴ってロッカーの中に段ボール箱が収まった。

「危ないですよ……」

「ごめーん。次はいないところのロッカー狙うからさー」

 気付けば、部室内には蜘蛛の糸が張り巡らされている。

 相生さんはハンモックに乗ったままだが、すでに立っている時と変わらない作業進行度だ。

 糸で物を動かし、時には別の糸に乗せ、そこを経由して移動させる。

 まるで片づけを工場の製造ラインのように扱う。

「菊屋。荷物パス」

「あぁ、はい」

 天井側に緩く張られた糸に炊飯器がくっついている。

 相生さんの指についた糸がその糸を揺らすと、ゆっくりと炊飯器が落ちてきた。

 両腕で抱くようにそれを受け止めて、指示された場所に置く。

 何故、炊飯器があるのだろうか。

「小物とかそういう機械系は雑に扱いにくいからさ、菊屋お願いねー」

 糸から私への荷物の受け渡しだ。

 実に効率的である。

 私はいらないのではないかと思ったが、確かに私がいた方が優しく道具を扱える。

 いらないものかもしれないが壊してしまっていいとは言い難い。

 そうこうしているうちにすっかり部室内の片付けが終わってしまった。

 椅子に座り、息を吐くと相生さんが下りてくる。

 行儀の悪いことに机の上にあぐらをかいた。

「ご飯行こう」

「え?」

 なぜ?

「お腹空いたし、手伝ってもらったし、行くよ、菊屋」

 私の襟に付けられる蜘蛛の糸。

 細く、光を反射してやっと存在を認識出来るもの。

 こんな糸までも作り出せてしまうのか。

 強度、粘性、太さ。

 思えば彼女の異能力というのは非常に利便性の高いものなのではないだろうか。

 強く襟を引っ張られる。

 無理やりにでも連れて行くということなのだろうか。

 ……断る理由はない。

 ついていくことにしよう。

「どこ行きたい菊屋?」

「相生さんが行きたいところに行きたいです」

 希望がない場合は考えるが。

「じゃあ、ハンバーガーとかどうかな」

 考える必要はなさそうだ。

「そのお店に行きましょう」

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