十二 危険/愛という姿勢

十二


 朝ごはんはパンケーキだった。

 栄養バランスは空也にとっては無いに等しい。

 私も気にしなければ、何を食べても基本的に大丈夫だ。

 なので、別に朝からこれでも問題は一切ない。

 普段なら朝に弱いせいで食事が出来なかったり出来ても小量だったりするが、今日に限ってはしっかりと食べられそうだ。

「どれにする?」

「じゃあ、生クリームとチョコレートソースで」

「好きだねぇ」

 皿の上に乗せられたパンケーキの上に空也が慣れた手つきでトッピングしていく。

 私と空也の皿とは別に用意された大きな皿には、山のような量のパンケーキが用意されていた。

 朝ごはんを買ってくると書いたものの、多分空也が買ってきたのはトッピングの類だろう。

 いつの間にこれだけの量を作ったのかは謎だ。

 私が思考と睡眠の境目で放浪している間だろうか。

「私はメープルソースかなぁ……いただきます」

「いただきます」

 ナイフで切り、フォークを突き立てて口に運ぶ。

 美味しい。

 どれだけ食べても飽きない……いや、限界が来るまでは食べたいと思える。

 私は空也の作る料理が好きだ。

 それがどんな献立でも基本的には好きで間違いない。

 なんとなくだが、手をかけたり、私のために作ってもらっている気がする。

 本来それは両親の手料理に感じるべきなのかもしれない。

 ただ私はそれを雁金空也から感じている。

 彼女の作るものが愛しい。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという言葉があるが、私にとっては人愛しければ飯まで愛しいということだ。

「それでね少年、君のスタンスのことなんだけど」

 酒の匂いがしない。

 いつの間にか酒を抜いていた。

「うん」

 なにか、問題があっただろうか。

 それともちょっと確認したいこと、と彼女自身が言ったことだろうか。

「記録するスタンスの危ないところってどこか分かる?」

「危ない、ところ?」

 スタンスに危ないとか安全というものがあるのだろうか。

 これは行動基準というか、哲学や芯となる部分と思っていた。

 そこにそういう概念が挟まれるのだとは少したりとも考えなかった。

「記録出来ない状況に出会うかもしれない……とか?」

 私は頭の中を早回ししてそう答えた。

 自分でも微妙なところだった。

 その心を読んだように空也は首を横に振る。

「記録出来ないとか、回顧できないとか、そういうのはスタンスから外れることで、気を付けないといけない。でも、それが一番じゃないよ。記録出来なかった時はお仕事を失敗しちゃった時だからね」

 仕事の失敗よりも上に位置すること。

「記録出来てしまうことが危険なんだよ」

 その言葉に私は頷いた。

 空也の言うことが理解できる。

「語ることで、残すことで、思い起こすことで、妖はこの世で生きていく」

 妖に死というものがあるとすれば、それは人に忘れられた時だ。

 かつて、そう教わった。

 神様だろうと、妖だろうと、幽霊だろうと、人に信じられているから存在できる。

 あるいは人に認識されているから存在できる。

 形のないものや、存在しなかったものを物語などにして形を残したから、この世に妖は存在している。

 妖怪の体を壊したところで、その個体が死ぬだけでその種族は死にはしない。

 動物園の虎が一頭死んでも、虎という種そのものが全滅しないのと同じだ。

 しかし妖のそれは動物のものとは訳が違う。

 信じるものや語るものがあるだけで、この世に彼らは存在できる。

 人は人から生まれるが、妖は人の思考などから生まれる。

 記憶する人や記録するものがある限り、滅ぶことはない。

 逆に、誰からも覚えられていない妖は完全にこの世から消滅する。

 もちろん、それを認識することはできないだろう。

「君が書き残すことで葛葉ちゃんは復活するし、これから会う歪んだ妖たちは残ることになるんだよ」

 核になる水晶を壊したので葛葉さんは死んだ。

 だが、もし今後水晶に取りついた怨霊が生まれる時があれば、その怨霊は『葛葉』という個帯になる可能性がある。

 その葛葉さんに桂御園との記憶はない。

 しかし誰かを利用して神になろうとする性質を引き継いだ葛葉さんが生まれるかもしれない。

 新種の妖の誕生だ。

 物語で生きるものの表記ゆれ。

 特殊な妖を記録してしまえば、それは今後この世界で生きることになる。

「危険なことだよ。凄まじい強さの妖がいたとして、それを記録すれば二度三度とまた会うことになるかもしれない。それか、私たちが相手できないような場所で暴れだすかもしれない」

「……それでも僕は記録をしないといけない」

「うん。そういうスタンスを持ったことに対する責任だからね」

 腹の中に重たいものが落ちた。

 重すぎるほどの責任ではないのか。

 この世に記録をするということの危うさというのを教えられた。

「それでも咲良くんはその道を行きたい?」

「……」

 私は、そうまでして私の回顧録をあるいは怪奇譚を残したいのだろうか。

「僕は……」

 いや、そんな自問をする必要はない。

「それでも記録するスタンスでありたい。確かに大変なものをこの世に残すかもしれないけど、危険だからそれを残さないなんてことはしたくない」

「そっか……じゃあ、ちゃんと倒した時のことを書くなりしないとね」

「うん」

 退治の記録は重要だ。

 口裂け女にポマードと言うといい、というような簡単なものでもいい。

 対処法を残すのは、妖の弱点を刻み付けて残すということだ。

「後は……まぁ、別にいいか」

「いいの?」

「いいよ。突こうと思って探せば突ける場所見つかるかもしれないけど、そういうのがしたいんじゃないし」

 そうなのか。

 空也が言うのならそうなのだろう。

「完璧な答えなんてないからねぇ。非合理に見えるものが場合によったら合理になったりするし……大事なのは少年がそのスタンスから外れずに進み続けることだよ」

「……なるほど」

「なに今の間?」

「空也、ユートピアのリーダーなんだなぁっていうか、お酒入ってないと真面目だなぁっていうか」

「私はずっと真面目ですー! 年上だし、経験もたくさんしてるし、バカにしないでよねぇ」

「してないよ」

「してないのか! ならいいよ」

 あっさりと空也が言う。

 これ以上続けると水掛け論になる可能性すらあった。

 が、そうはならなかったので安心している。

「……ほんとはちょっと心配なんだぞ」

「空也……」

「少年って優しくて真面目かもしれないけど、それって仇になることもあるし。多分、しんどい思いもするだろうし」

「それは若王子さんにも言われた」

 心身ともに疲れてしまうかもしれない。

 それでも私が選んだ道だから歩いていこうと思った。

「先越されちゃったかぁ。でも、心配したのは私の方が先だからねー?」

「分かってるよ」

「なんか、私って過保護なのかもなぁ」

「そうかもねぇ」

「そこはそんなことないって言えよぉ。甘やかしにくくなるだろー……可愛い少年でもうちょっといて欲しいんだけどなー」

 そんな言葉を吐いて私を抱きしめる。

 いつまでもこうしていられるのだろうか。

 いつか、こんな言葉も消えてしまうのだろうか。

 私たちの関係も変わってしまうのだろうか。

 それは信じたくないことだ。

「……」

「だんまりは良くないぞぉ」

「ありがとう、空也。それと心配かけてごめん」

「いーよ」

「……もうちょっとこうしてていい?」

「うん」

 そんなことしか言えなかった。

 相変わらず、気の利いたような言葉が言えない男だ。

 もっと、伝えるタイミングや伝え方があるような気がする。

「頑張れよ。大丈夫、あの先輩たちと戦えたんだから、きっとやれるって信じてる」

「……ありがとう」

 まだパンケーキの続きは食べられそうにない。

 だけれど、それでいいやと思ってしまった。

 それよりも大事なものというのがあるのを私は知っている。

「そういえば、空也から見て僕って可愛いの部類なの?」

「私からってか、葉子ちゃんから見てもそうだったと思う」

「え、うっそ……」

 衝撃の事実だ。

 私はもっと紳士的な雰囲気を纏っていると考えていたが、事実は違うのだろうか。

「可愛い系だと思うけどなぁ」

「そ、そんなことないよ。あれでしょ、中学の頃から知り合いだからその時の気分が抜けてないとか」

「そういうものかなぁ……ま、でもいいじゃん」

「そうかなぁ……」

「そこはそこまで大事じゃないでしょ」

 ……それもそうかもしれない。

 こういうのは心の持ちようというのが大事だろう。

 そういうことにしておこう。

 詳しく考えすぎて本当に可愛くなってしまったら少し困る。

「私は少年がいてくれる方が大事だから」

「……そう」

「だから、ユートピアが嫌になったからって何も言わずにいなくなるなよ?」

「ならないよ」

 嫌になるとすればきっと、私に対してだろう。

「これからも、よろしくね空也先輩」

「うむ、こちらこそよろしくお願いするね菊屋少年」

 改めて言うと少し照れくさく、私の顔に熱が生まれた気がした。

 きっと空也もそうだったのかもしれない。

 それを誤魔化すように、私たちは抱き合ったままで笑った。

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