微睡の白/8

 木々の間を駆け抜けざまに霊刀を振り抜く。手応えは堅い。けれどもそのまま強引に。堅さなんてただの気のせい。石が砕けるような重たい音がして、斬った霊素が躰に満ちてゆく。冷たくて細かな、硝子のような霊素だった。細かな破片が躰に突き刺さるると、そのままずぶずぶと沈んでいく。

 満たされる。痛みに。霊素に。

 落ち葉を踏みしめた先、左眼が視た通りに斬り上げる。プリズムのような無数の霊素の粒が飛び散った。捉えていないな、と直感した。表面を刃が撫でただけ。

 蒼白い月光が、その正体を露わにする。

 ほのかに光る極彩色のヴェールが、立ち枯れた木に幾重にも掛けられていた。昏い雑木林のなかではひと際目立つ。くらり、くるり、ゆらり。無い夜風に揺られていた。ヴェールは絡まり合い纏まって繭のようになって大輪の花を咲かせている。

 有り方は宿り木。香りは月下美人。

 ヴェールが、あたしを誘う。虹色のグラデーション。差し出されたそのヴェールの腕を斬って捨てる。

 其の花は脈打つようにして、或いは呼吸するようにして、花弁をわななかせる。赤であり青であり黄であり紫であり白であり――薔薇にも桜にも紫陽花にも、視える。色と形は定まらない。

 こんなものが、あたしの夢で見られる花かしら? 冗談じゃないわ。

 ヴェールが伸ばされる。霊刀で斬り払うと、先程斬った時と同じ感触が切っ先を震わせた。あの艶やかな花へ向けて斬り込む。けれど伸ばされたヴェールが刃の邪魔をする。斬り飛ばされるモノは欠片ばかり。ひっそりと後ろから伸びてきたヴェールに危うく脚を絡めとられそうになる。パリン、と斬ったそのヴェールが、落ち葉と共に舞い上がった。

 振り回して振り回して、それでも花には辿り着かない。薄味の霊素ばかり、ただ綺麗なだけの光の粒は味気無い。ずぶずぶ、ずぶずぶと破片が躰に沈められる。その度に、痛みが渇いた躰を伝う。

 両手で握り込んだ霊刀に熱が入らない。焼いてしまえば、と衝動に駆られる。そうだ。焼いてしまえば良いのに。こんな枯木に寄生した妖なんて……けれども火が付かない。妖を斬ろうとするだけで精一杯だった。

 ……喰らいたい。そうだ、狩りたい。殺したいのでは無くて、斬りたいのでも無くて。

 認識は歪まない、けれど思い通りに躰が動かない。

 いっとう、鋭い欠片が胸に刺し込まれる。傷にはならない。痛みだけ、霊素を取りこむ時の、霊素の味のようなモノ。痛みを取り戻した躰がこんなに不便だなんて。シャットアウトした意識をこじ開けてくる、痛み。渇き。飢え。

 狩る。――為に。

 足首にヴェールが巻き付いた。ひんやりとした、滑らかな感触。

 実感を知る必要なんて無い。これは嘘。痛いのは嘘。苦しいのも、躰が重いのだって、嘘。そう……嘘。斬り刻んだ先にある、あの妖艶な大輪を――違う、あの妖を斬る。それは何の為。そう――。

 腹部を締め上げるソレはコルセットのよう。地面と空とが反転して、足下を見上げれば九月最初の月が半分だけ肥って霞んでいた。刀を握る右腕も絡めとられ、左腕にも巻き付いた。

 知らない、知らない。理由は要らない。斬るだけ。斬れば其れで。あたしは妖を斬るだけ。

 散乱した痛みも、渇きも、もう無い。がちりと固められたヴェールは、今度こそ硝子細工のように柔軟性を失っている。大輪の妖はあたしに向かって花を咲かせる。巻かれていた花弁のヴェールが緩んで綻び、見下げたあたしに大きな壺のような咢を開いた。芳香はいよいよ強くなる。

 其れは腐臭だった。咲き誇った花弁の裡には赤褐色の舌が雄蕊と雌蕊の代わりになって、その繭の深奥へ餌を導こうとしている。裡は視通せない程に黒々としている。逆さになって吊り下げられたあたしは、しかと其れを視た。絡まり合ったヴェールの、赤黒く膨れた終着点を。

 ――ばち、ばち。右腕が軋む。四肢へ、ありえない方向に力が加えられる。刀が腕の延長ならば、腕も刀の延長だ。だってそうでしょう、あたしの躰は。

 あたしの躰とこの刀との間に、さしたる差異なんて無い。

 手首が百八十度以上回転して、関節が捻じ曲げられる。金属性の骨と骨を繋いだ螺子が手首の中で折れる。行き場を失った骨が手首の外側を突き破る。

 妖はあたしを花弁の裡、その大口へとゆったり一呑みにしてゆく。頬を巨大な舌が打った。いよいよ、甘ったるい香りにあたしは窒息する。

 バキ、と決定的な音が、あたしの肘から響いた。本来とは真逆に曲げられた関節が砕けた音だった。呑み込まれる闇を視据えながら、霊義眼だけがぐるりと半回転する。瞳が背後へ、自らの頭へと向けられて、あたしは自分の頸椎の向こう側を視た。ヴェールに絡まった背中を視た。縛られた脚を視た。血の無い傷から飛び出た銀色を視た。

 霊刀が振るわれた。左腕を固める水色のヴェールがその一太刀で切断された。折れ曲がった右腕が、自由になった左手に霊刀を受け渡す。

 眼前に迫った咢の底、赤黒い肉塊がその貪欲な牙を剥いたその場所――気が付けば、頭が喰らわれる寸前だった。逆手に構えた霊刀が花を内側から抉り、そして赤黒いソレに突き立てられた。

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