微睡の白/4

 明け方、カマキリみたいな化け物を斬って帰って玄関を開けると、薫が壁に背を預けて座り込んでいた。

「ああ……おかえり。今日から学校だっけ、君」

 突然の光景に唖然とする。

 声だけはいつもの調子、それでも黒いブラウスは泥だらけ、息も絶え絶えで、ようやく家まで帰りついたのだと全身が訴えている。泥だけでは無い。血のような赤黒さにも塗れている。血の匂いもするが血だけでは無い、血に近い何かが混じっている。むしろそっちの方が多そうだった。

「私のコトは気にしなくて良いよ。少し休んでるだけだから」

 そう云われても、と返そうとしたけれど、止めた。薫のコトだから尋常では無い何かをこなしてきた後なのだろうと想像はつく。人並みの気配りが通用する世界では無いコトくらい、あたしだって経験済みだ。

「学校の支度は……いや、とりあえず私が此処から動かないと美優が心配するね、うん。そこの霊柩、書斎に片づけてくれ。私はこの通り」云いながら掲げられる左腕は、そもそも左腕の形をしていない。肘から先が無くなったみたいに、長袖が途中で折れ曲がってしまっている。「運ぼうにも、もう面倒なのさ」

 力なく示された大きな霊柩は、鎖でがんじがらめにされていてまさにホラーテイストな柩の形をしている。こちらも傷だらけで――何だろう、見たことのあるような傷。

 返事をしようにも、もう一度薫の方を見た時には眼を閉じていた。息が穏やかになっているあたり、眠ってしまったように、気を失ったのかもしれない。

「……玄関で寝られると、邪魔なのよね」

 美優の心配をするさっきの言葉は何処に消えたのよ。けれど、憎まれ口に対する応えは無い。

 あたしは薫の身体を担ぎ上げる。思ったより軽かった。気が付く様子は無かった。良く良く視ると、泥と擦り傷はそこら中についていても、深い傷そのモノは左腕に集中している風だった。傷かどうかも判然としない、中途半端な傷。

 昨夜は雨が降っていたから、この泥は何処かに勢いよく転げたときについたのだろう。左腕はボロボロでも血が出ている様子も無い。……カラン、と高い金属音が左腕の袖口から床に落ちた。

汚れた歯車だった。あたしの躰に埋め込まれている其れと似た金属の欠片。

 真っ当な傷を負った訳でも無いらしく、心配したところで何か出来るコトも無い。

 書斎の寝台に薫を寝かせて霊柩を片付けると、今度はあたし自身の支度に取り掛かる。自分の部屋に戻って前日に美優と一緒になって用意した荷物を確認した後、やたらと動きにくくて固い服を着る。鏡に映る自分の姿は、やっぱりどことなくそぐわない感じがあった。

 女らしさと云うべきか、可愛らしさと云うべきか、とにかくその類の雰囲気があたしに合わない。いつものパーカー姿の方がよほど機能的なのに、それではいけないらしい。鏡に映った自分が、自分の外見なのだと認識するまでに空白が出来る。その後、あまり似合わないな、と思う。

 誰かから与えられた不釣り合いな躰。

 霊刀にしても自室に置いていく他無く、まるであたしらしくも無い姿になったまま、書斎に戻って薫を眺める。先程と様子に変わりは無かった。落ち着いて寝息をたてている。

 薫はとにかく単独行動を好む。この二ヶ月の間ですら、何度もこんなトラブルを背負っては帰ってぐったりと眠るのだ。ここまで傷だらけなコトは無かったけれど、いずれはこうなるコトくらい何とはなしに予想出来ていた。突然逃げ出した飼い犬が、何日か後に満身創痍でへろへろになって帰って来るようなもので、ちょっとした癖性分なのだろう。

 風宮登校初日に、こんなトラブル。この先のコトを思うとげんなりする――コレが必然なのか偶然なのか定かでは無いあたり、余計に気分が悪い。

 ……美優がこの家に引っ越す前日、この困った家主は書斎で昼寝の真似事をしているあたしに、こんな制服と荷物一式をよこしてきた。

「風宮高校。表向きは私立の名門、裏の顔は霊能者の人的資源生産工場。そも、学校なんて社会一般の規格に適った人的資源を教育の名の下につくり上げる場所だけれど、風宮は特殊な場所で――桜庭の一等地に建った幽霊屋敷も兼ねていたりする。

 知り合いの仕事仲間の伝手で君を編入させられるくらいには、世間からズレた場所だね」

 どうして、と理由を問うと首を傾げられた。訊くまでも無いコトに思えるらしかった。

「先ずは表向き、君がこの社会に適応する為。学校で歳相応の経験をしてくれば良いな、なんて云う私のせめてもの親切心。 

 ――なんて莫迦は別に良いとして、美優は風宮の生徒でね、何も知らないまま復学させるんだけど、どうもきな臭い。だからあの子を護って欲しい。妖のしがらみから抜け出せない場所にあの子一人を行かせる訳にもいかない。

 それから、君が元々何者だったのか、行けば思い出すかもしれないと思ったのさ。外見も中身も丁度、高校生くらいに視えるから」

 二ヶ月前の夜、今は薫が眠るこの寝台であたしは目覚めた。以来、自分が何者なのか解らないまま、白羽紗羅としてあたしはとにかく生きるのに必死になってきた。生きる為に妖を斬り続ける。いつの間にか、其れは美優を護るコトにも繋がった。

 あたしは、誰?

 薫は知らないと云う。

「御浜の惨劇。世間では大事故として片づけられたあの惨劇で、君のモトとなった霊素を拾った。ま、正しくは君が勝手にその躰に宿った、と云うべきなんだけど、当の君はそんなコトを覚えていないときた。

 犠牲者として発表された四九人。生存者はたった一人、神崎美優その人だけ。君はあの御浜の惨劇で死んだ誰かの筈なんだ。あの惨劇には美優を含めた風宮の女子生徒二〇人が巻き添えになったから、歳恰好から考えると君はそのうちの誰かと云うことになるんじゃないか、と想像がつく……とは云え、外見も名前も君にはそぐわない」

 真っ先にあたしの正体として疑った一九人に、あたしの感覚と一致するような名前は無かった。この人では無かった気がする、こんな呼ばれ方はされていなかった、その程度の違和だけど、かつての自分と他人の区別はそうやってしかつけられない。彼女たちの写真を見てもあたしと似た人は誰も居なかった。

 つまり、あたしだった誰かは、犠牲者にカウントされていない、存在していないコトになっている何者か――或いはまだ生きているコトになっている何者か、そのあたりになるらしい。殊、妖の絡んだ事件になると加害者も被害者も曖昧になる。霊能者が絡んだ学校の生徒の犠牲者数すら、何処かで改竄されているかもしれないと薫は云う。数字はアテにならないらしい。

「アレで誰が死んで誰が生きているのかなんて、事実はわからないまま。把握している奴なんていないかもしれないね、風宮にしろ誰にしろ」

 けれど、その裏側に、どんな力が働いているのかは教えてくれなかった。

 まだあたしは、あたしについて知らないコトが多すぎる。だから誰だったのか、誰として此処に居るのかを探っているのに、薫はあたしにそのコトをほんの一部しか知らせてくれない。あたしに知らされないまま、あたしが何者だったのかが他人の手で探られていく。 

 かつてのあたしを、今のあたしが自分自身だったと認識出来るかどうか、その確証も何も無いと薫は云う。過去の自分の写真を見た時、それが自分自身だったのだと確たる実感を得る為には、そこに収められた自分の姿を自分であると認識することが最低限必要になる。それなら、あたしは過去のあたしを自分と同じ人間だと感じるのだろうか。過去の自分と現在の自分との同一性は何処に求められるのか。

 幾らあたしらしく無い今の姿が鏡に映っていようと、その制服姿は自分の姿であると認識する。その認識の為には何が必要なのか。あたしにはそのあたりが欠けているのかもしれない。当のあたしに、その自信が無いのだ。過去のあたしだった人間を、今のあたしと結びつけるコトが本当に出来るのか――一度死んだらしい身、凡そ一般的な理から外れた身に、常識的な記憶の連続が存在しているのか、疑い始めればキリが無い。その上、死んだ数にカウントされていない「かもしれない」では――。

「……うわぁ、暗いって思ったら何、姉さんどしたのこれ」

 禅問答のような思考を、起き抜けの声が中断させる。

「……さあ。あたしも知らないわ、帰ってきたら玄関で寝てたのよ」

 心配半分、呆れ半分の表情を浮かべて、雪が書斎の明かりをつける。時計は五時を回ったところだった。外は曇り空、そう云えば薄暗い。酔っぱらったわけでも無いか、と雪がため息を吐く……本当に、このひとは困った姉に振り回される苦労人だ。

 左腕を視て、雪は少しも驚いた様子を見せない。知っていたのだろう。

「それ、何なのかしら。てっきり薫ってニンゲンだと思っていたのだけど」

 原型を留めていないクセに、一滴の血も流さない腕。骨と関節の代わりの金属。それでいて肉体らしさを思わせるエクリクルム。有機物なのか無機物なのか判然としない、あたしの躰と同じ特徴をその腕は備えている。

「人間よ、一応その筈。左腕だけ、霊義肢だっけ、とにかく義椀みたいなのをくっつけてる訳」

 ゆっくりとためつすがめつ、その腕らしきモノを雪は観察する。その後、首を横に振った。

「私じゃ直しようも無いし、姉さんが起きるのを待つしか無いかあ」

 医者に診せてもどうにもならないし、勝手に世話したら後で怒るからなあ、と付け加える。薄情だけれど、あたしたちにはどうしようも無い。雪は霊能者では無いのだし、あたしは自分の霊義肢がどんな造りになっているのか殆ど知らない。生身の肉体より頑丈で、多少壊れても気にならない程度の知識しか持ち合わせていない。壊した躰を修理するのは薫の仕事だ。

 雪は大きく伸びをして、肩のあたりで切り揃えられた髪を手櫛で梳く。

「怪我そのものは大したことも無いみたいだし、朝ご飯にしましょっか。食べる?」

 あたしはかぶりを振る。食欲も無く、食べる必要も無い。それならせめて学校に行くまで、一応は怪我人らしい薫についていようと思った。

 美優が起きて久しぶりの学校へ行く為の支度を済ませても、薫は死体のように静かにしていた。あたしより勘の良い――霊素を視る――美優曰く、ただ眠っているだけらしい。気弱そうな、後ろ髪を引かれるような心地が伝わって来た。こうして視ているだけなら心配しても良い気がした。視ているコトしか出来ないまま、雪に任せてあたしたちは屋敷を後にした。

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