微睡の白/11

 風宮へ向かう途中。これでもかと包帯でぐるぐる巻きにされて固定され肩から吊られた右腕に、雅は思わぬ心配をしてくれた。

 早朝、雪が起きた時には薫は早々と起き上がって何やら左腕を弄り回していて、キッチンでは美優が力無く寝ていて、それからあたしの右腕には妖しげなお札がベタベタ貼りつけられていて――散々な朝に半分悲鳴を挙げながら、雪が全員分の世話をする羽目になったのだった。

 そのおかげで、いつもより遅くに屋敷を出て風宮に向かっていて、雅と出くわしたのだ。

「おーい、紗羅ちゃーん、美優ちゃーん!」と、雅は声を張り上げてあたしたちに駆け寄って追いついてきた。そして、あたしの腕の惨状を見るなり荷物を持つと強情なまでに親切心を見せた。

「怪我人にこんな重い鞄持たせて平気な顔してらんないっての」

 良いから持たせて、とあたしから鞄をひったくる。常日頃から片腕だけでも金属の棒を振り回しているあたしにとって紙束の詰まった鞄程度は軽いものだったけれど、体力には自信があると主張する雅に押し切られた。雅は更に親切心を発揮したのか、学校に復帰したばかりで今朝は特別に顔が青白い美優をおもんばかって、三人分の荷物を手に、風宮へと続く坂道を上ってしまった。

 教室に着いて各々の席に腰をおろすなり、汗だくで息を切らした雅は奇抜な呻き声と共に勢いよく机に突っ伏した。

「ぬあぁ、疲れたー……あちぃ……」

 人目を憚らないその所作に、美優はくすりと微笑を漏らす。

「だからあたしは大丈夫って云ったのに。ごめんなさいね」

「良いの良いの、気にすんなって。困ったときはお互いさまよ」

 疲れのひとつも知らない身、本当のコトを思うとやりきれない申し訳なさが込み上げてくる。あんな無理をするんじゃ無かったのかもしれない。あの時は頭があの妖を狩るコトでいっぱいいっぱいになり過ぎていて、冷静に判断して一旦退こうとは考えもしなかった。そのせいで、こうやって腕を自ら折るような無理をしてしまった。日常生活ならば片腕でも一向に構わない躰は、けれども片腕だけでは少なからず目立ってしまうものらしい。

「にしても二人とも。暑く無いわけ? 紗羅ちゃんは包帯巻いてて、美優ちゃんは長袖って」

「んー、暑いよ?」

 言葉とは裏腹に、美優は涼し気だ。

「嘘お。汗ひとつかいてないじゃん」

 あたしはともかく、美優は生身なのにあまり汗をかかない。あたしと同じような人形ではないかと錯覚してしまう時もあった。雅は水筒を鞄から引っ張り出すと、思い切り、豪快に傾けて飲む。冷たい水かお茶かなのに、こうして飲んでいる姿を見ると特別に美味しいものを飲んでいるかのように思えた。

 風宮に来て以来、どうも雅のような振る舞いが普通なのだと常々感じる。気を使わない場面では尚更、そんな風に振る舞う方が場にそぐうのかもしれない。ウチの屋敷の人たちはその点大いに特殊だ。

「バテてるねえ、雅」

 教室で別の島をつくっていた真由美が、こちらへ近寄って来た。ぐったりとしていた雅が重そうに「夏嫌いー……」と顔をそちらへ向ける。

「おや、白羽さんそれどしたの、大丈夫?」

「ちょっとね。転んだの」

 まさか自分で折ったと云える訳も無く。真由美はあたしの腕にあまり心配無いふうに小さく欠伸をした。「大変だね」と、さして心のこもっていない同情の科白だった。

「これ、知ってる?」

 そうして真由美から差し出されたのは赤色のスマートフォンだ。スマートフォンの画面には、ニュース記事が映し出されている。雅に向けた意味合いが大きいのか、美優の方からは見えないようで、あたしの左眼の視界からその画面を覗き込んでいた。

 ……死体……首吊り……?

「何コレ気持ち悪い。朝からこんなもの」

 鬱陶しそうに雅は手を払う。そうやってあしらわれる事に慣れているようで、真由美はそれでも画面を引っ込めなかった。

「コレ、雅ん家の近所でしょうに」

「……うげ、ホントだ。もっと気持ち悪いじゃない。こんなの何で見せるのさ」

 相も変わらず温度差の激しい二人だ。

『ねえ紗羅ちゃん、これってもしかして』美優の方が身を乗り出してきた。あたしもよく見たかった。

 ――本日未明、桜庭市源地区の雑木林で首を吊った状態の男性四名の死体を通りがかった人が発見――。

『あの妖の、ね。あたしが斬った妖の』何処まで足をのばしたのかは解らなかったけれど、相当な距離は歩いた。源地区なら屋敷からも遠い。おぼろげながら、記事が示す場所と昨夜あたしが妖を斬った場所が一致しているように感じる。すぐにニュースになるくらいの騒ぎにはなっているらしく、集団自殺かと疑われているようだった。

 自殺には違いないんだろう。引き寄せられた人間たちは、自分の手で首を吊ったのだろうから。但し、そこに彼ら彼女らにとっての自由意思があったかは判然としないままだ。

「これさ、朱莉が見つけたんだって。あの子ホントにこんな事に首突っ込んじゃったよ」

「朱莉……ああ、あの……」

 云い淀みながら雅が渋い表情になる。

「朱莉って?」

 誰の事なのか気になってあたしは訊く。知り合いなのだろうか。だとすれば――もしかすると、あたしは昨日知らず知らずのうちに雅たちとも接点のある誰かを助けている事になるのかもしれない。

「吉野朱莉。一応、1組だけど……顔出さないからな、あの子。こいつにくっついてるんだけど」

 こいつ、と雅は真由美を示した。吉野と云う苗字に聞き覚えすら無かった。云いにくそうにしている雅から真由美が言葉を引き継ぐ。

「この手の話だったり……要は物好きな子。それでさ」

 真由美は手早く画面を操作して、メッセージアプリを開く。くっついていると評されるだけあって頻繁にやり取りしているらしく、数分前にも会話をしていたらしい。朱莉らしき会話の相手からは『絶対おかしいから』『やっぱり本当だったんだよ。気をつけなきゃ』と、半ば一方的にメッセージが送られてきている。

「これよ、この通り……って、お」

 教室の入り口へと、真由美は視線を向ける。痩せぎすな女子がおずおずと手を挙げて挨拶のような素振りをしていた。

「朱莉ってあの子。白羽さんは初めましてになるのか」

 ……雅に渋い顔をされるのも解った気がする。まともに手入れされていなさそうな外見で、明らかに教室の大多数と比べて整っていない。歩き方も何処と無く調子の悪そうにぎこちない。

 と、あたしと眼が合うと急に真っ直ぐ、机と生徒を押し分けるように突き進んできた。

「ねえ真由っち、この人って」

 ざらりとした感じの低い声だった。ぴったり真由美に寄り添うように立って落ち着き無く身体を揺らしながら、朱莉があたしをちらちらと見る。真由美は困った顔をして、朱莉の手をふりほどこうと軽く身を揺らした。

「朝から大変だったねえ。ほら、挨拶くらいしなさいよ」

 雅に促されて、やむなく朱莉はあたしに正対する。それでも目線が重ならないあたり、また新しいタイプの変人らしい。

「ねぇ、白羽さんだっけ。絶対昨日の夜会ったよね? ね?」

 ――昨日の夜に、会った?

「そうかしら? あなたの気のせいよ」

 思わず首を傾げてしまった。唐突だったけれど間違いない。やっぱりこの子は昨夜の、あの悲鳴の主だ。枯れた声が長々とした絶叫の声音と被った。『あの声の子だ』と、美優も察しがついたようだ。

「そんな事無いって。あの場所に居たの、私見たよ」

 食い下がってくる。見られる程に近くに居たのかもどうかも知らない。悲鳴を聞いた時には、既にあの妖が居た場所からは遠ざかっていたのだし、そもそもあたしを認識出来た時点でおかしい――筈だ。とは云え、風宮の生徒なら或いは、とも思う。『何なの、この子。美優は知ってるの?』『うーん……変わった子が居るなあ、って思ってたけど……』表情には出さずに苦笑いをしていそうな調子だった。

 まさか、霊符を扱っていた方の? それにしては声色も印象も違いすぎる。もっと有無を云わせない力強さがあった。恐らくあの霊能者、薫の云う陰陽師は……。

「はいはい朱莉はそれくらいにしとき。誰も彼もを巻き込まない。ごめんよ、白羽さん」

「でも真由っち」

「あんまりそんなのに首突っ込むなよ。もう止めとき止めとき」

「雅まで……でも……」

 二人して朱莉をなだめにかかる。あたしがいきなり妙な疑いを掛けられたとしか見えないのだろう。別に構わないわ、と取り繕った。

「どうせ宿題もしてないんだろ、私が手伝ってやるから」

 親か先生みたいな調子で真由美はそう云い、腕にしがみ付いたままの朱莉を引っ張って行くと、あたしは自然と溜息をついていた。

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