微睡の白/2
バチ、バチ、と蒼の火花が掌で爆ぜる。あたしはソレを、ソファにもたれかかったまま眺めていた。
「何なのかしら、全く」
あたしは息をその火に吹きかける。ゆらめくことはあっても吹き消されることは無い。
「妙なモノに憑かれっぱなしだよね、君」
書斎の机の向こうから、薫が手を組んで興味深そうに見つめてくる。
『不知火』を狩って以来、あたしはこうして奇妙な焔を扱えるようになっていた。自分自身を焼くことも無く、かと云って『不知火』のように何かを焼きたいと衝動に駆られることも無い。それでもその気にさえなれば、妖だろうと他のモノだろうと燃やせてしまう。
理由は知らない。『不知火』は既に斬ったのだ。けれど焔だけはこうしてあたしの裡で燻り続けている。
「結局アレは何でも良いから焼きたいだけだったのよ。火を放つ、何かを燃やす、そんなことでしかコミュニケーションをとれなかったんだわ、きっと」
「じゃあ君のソレは、不知火からの贈り物と云うことなんだろうな」
「おかげで変に、熱さだけを理解できてしまうのよね。正直、面倒だわ。暑さ寒さを感じてしまうって思っていたよりずっと面倒」
「……その割、まんざらでもないんでしょう」
「どうでしょうね。コミュニケーションをとる為に、こんな焔なんて必要ないわ」
「ま、人間同士ならそうでなくては困るね」
薫が気怠そうにコーヒーに口をつける。あたしも自分用にと淹れてくれたコーヒーを流し込む。熱くて苦い液体が喉を通り過ぎた。薫はコーヒーを美味しいと云うけれど、美優はむしろ苦手な方だと云う。熱さは何となく感じられるようになったおかげで、熱いモノと冷えたモノの感じ方の区別こそつくようになったけれど、ではこのコーヒーが美味しいのか、そうでないのかは解らない。味覚をどうにかする妖にでも出遭えば、この味の善し悪しも解るようになるのだろうか。
コーヒーを呑んでいると、書斎のドアが開いた。
「うわ、暗いって。電気つけなって姉さん」
雪――薫の妹――が入ってきて照明をつけた。机の周りに仄かな明かりがあるだけだった書斎が一気に明るくなった。
「お邪魔します……」
その後ろから顔を覗かせたのは美優だった。不安そうに一礼する。引っ越し作業が終わったらしい。
「かしこまらなくたって良いよ、今日から家族のようなモノなのだし」
緊張している美優に向かって、薫はさらりと言ってのける。
退院してすぐ、美優はウチに棲むことになった。あの事故――或るいは事件で、美優は唯一の生き残りだ。家族を失い、片眼を奪われ、脚には痺れが残っていて、何より自身の意思に関わらず妖を呼び寄せてしまう。一人暮らしが出来る筈もなく、身寄りもない。それならいっそのこと自分たちと一緒に棲んでしまえば良い、なんて薫の出鱈目な思い付きは、白羽家の莫迦みたいな財力であっさりと実現してしまった。
美優は横目で雪をちらりと伺うと、促されてあたしの隣に座った。雪はその向かいに腰かける。美優のことだからそれでも行儀よく遠慮してしまうのだろう。
「――さて。ちょっとした引っ越し祝いを」
席を立った薫の手には、二つのケースが握られていた。指輪でも入っていそうな、黒塗りの立方体。……薫の事だから指輪なんかでは無い、と思う。立方体があたしたちの前にそれぞれ置かれた。
――開けると、眼球ひとつが此方を見つめている。
「何コレ」
ため息まじり、あたしは隣の美優を見やる。グロテスクな趣味の贈り物だ。
けれど美優は平然とした顔のままだった。雪の方は大きな眼をくりくりとさせて息を呑んで、その眼球と薫とを交互に見つめている。こっちの方が普通の反応だろう。
「姉さん、これって」呆れ半分、と云った調子だった。まるで悪びれた様子も無いまま、薫は妹の隣に腰かける。
「義眼、正式には『霊義眼』。君たちに良く似合いそうだから」
サプライズみたいなモノ、と付け加えられる。
相当な意匠が凝らされた代物らしい。紅色の虹彩は不自然に無い程度に煌めいていて、あたしの瞳の色そのままだ。眼球を模しているコトを除けば、宝石じみた輝きを放っているように思える。
それでも、正真正銘の自信作なのだと胸を張る薫には呆れてしまう。雪も頭を抱えて、目の前の事態を見なかったことにしようと努めているようだった。このひとの場合、姉の奇行には慣れているのだ。
ただの義眼ならまだしも、『霊』の語が付くモノにマトモなモノは無い。事実、この義眼の綺麗さは常軌を逸しているように視えてならなかった。常軌を逸しているからこそ、あまりにも綺麗な、そんな輝き。
「綺麗……」
隣でか細い声がした。
「美優ちゃん、この人に世辞なんて云っちゃダメよ。本気にするから」
雪がたしなめる。けれど、美優の耳には届いていないようだった。――魅入られている、そんな風に視えた。
美優の其れは私のよりも蒼みがかった義眼だ。虹彩にはラメを散らしたかのような光の粒が視える。白色の部分も、僅かにあたしのより透明感がある。
掌にのせてためつすがめつしていた美優は、やおら自分の右眼を覆う黒髪をかきあげ、眼帯を外す。白い傷痕が露わになると同時に、彼女はその眼を開ける。黒色の空っぽに蒼の義眼が吸い込まれた。
一度、瞬きをすると――何故かしら、其れが義眼と云うことを忘れてしまいそうになる。蒼色の虹彩は常人離れしているのに、肉体に嵌め込まれたことによって全く自然に視えてしまう。鮮やかな瞳が、美優の左眼として復活したようだった。
確かに、その有り様は綺麗で、よく似合っている。
丁寧にお礼の言葉を口にする美優に、薫は満足そうな笑みを浮かべて「ほら、君も」と促してくる。――美優は喜んでいるようだし、こんな変わった贈り物も案外悪くないのかもしれない。
「あなたって、本当、変わってるわ」
あたしは自分の左眼に指を突っ込んだ。視界は元から閉ざされている。感覚など端から無い。『不知火』に燃やされて以来、左眼はカタチばかりの球体に占められていた。その球体を刳り貫くと、とりあえず薫に渡す。血の一滴もつかない無機質な眼球を、薫はやはりとりあえず自分のポケットの中に仕舞い込む。
それを見た雪が、信じられないと云わんばかりに顔をしかめる。雪がこのなかで唯一、まともにニンゲンな人間なのだと思う。実際、この場で置いてけぼりを喰らっているのだろうし。
「わあ、綺麗な眼……」
一応は人間な筈の美優も、すっかりこちら側に染まってしまっているようだった。無理も無いのかも知れない。目覚めて二ヶ月、霊能者絡みのコトにも慣れてしまっているのだろう。
どちらが良いのかしら。染まってしまって良いのか、知らないままの方が幸せなのか。どちらにしても、現実には、妖の類に関わらずに済む美優でも無い。それなら適応してしまった方がマシなのだろうか。こうして、ふつうは知り得ないコトを受け止めて、そうやって生きていく方が。
新しい紅の眼を埋め込む。其れはパズルのピースのように、しっくり嵌り込んだ。
――視える。
「美優の霊義眼は、云わば『栓』、溢れ出る霊素をある程度封じ込める為の霊義眼。紗羅のはその逆で」
薫が新しい霊義眼とやらの説明を得意げにし始める。
「……やたらと視えるわね。視界がとてもクリア」
あたしは薫の言葉を継いだ。何を云わんとしているかは、この偽物の瞳があたしのモノなのだと認識した瞬間に察した。
視力としてではなく、もっと別の何かが。物質ならざるモノ。蒼色の霞。書斎の奥に置かれているエクリクルムで出来た柩の明かり。霊柩に纏わりつく妖の気配。これまでにも視えていたソレが、よりはっきりと認識出来てしまう。微妙な霊素の揺らめきにピントが合う。
「そうなる。美優の霊眼と同じくらいに、霊素を捉えられるようになった筈よ。これで妖相手にいちいち認識を歪められて痛手を被ることも少なくなる。で、副次効果としては、そうだね、美優の場合だとお昼なら一人でも出歩けるってあたり。妖が引き寄せられなくなるから、咄嗟の不幸に見舞われる心配も無くなる。昼間なら人並みの生活が出来るでしょう」
滔々と語りながら、薫はペンを一本、手にとる。
認識を不意に歪められるのには慣れているけれど、美優が昼間から妖に襲われる――或いは影響される心配が消えることは、まともに社会復帰する第一歩になることは前々から薫が云っていることだった。
「あたしに副次効果って――きゃっ」
そうして薫は、トン、とペン先であたしの手の甲を突く。自分の口から変に甲高い声が出て自分でも驚いてしまう。霊義眼の効能は随分と重要な、それこそ美優とあたしの躰の不便さを埋め合わせるモノなのは解るけれど――。
全く不意なちいさな攻撃に、美優がほんの少しだけ身をすくめていた。少し気を許せばすぐ、薫は悪戯っぽい厭な笑みを浮かべてくれる。
「何するのよ、痛い」
……痛い?
そう。痛い。ペン先の触れた手の甲に、インクの染みがひとつ。
「成功みたいね」
くるり、と薫がペンを回す。
痛いと、感じた。あたしが、あたしの躰で。
あたしの裡で、本物なのか偽物なのか不明瞭な感覚が渦巻き始めていた。
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