微睡の白/3

 昼間のつまらないワイドショーで、あの連続放火事件のコトが取り上げられていた。

 陽のあるうちに行動出来る様になっても、あたしには何もする事が無い。昼間から出る妖が居るとすれば、それこそ異常な程に強力な個体だ。何度も何度もそんな化け物を相手取りたくも無いし、そも、そんなに数が発生しない――と聞かされている。本当はどうなのか、あたしは知らないけれど。

 なのに、薫はひたすら忙しそうに動き回っている。昨日の夜から家は開けっ放し。

 模倣犯がどうの、再発防止の為のパトロールがどうの、世間を騒がせた放火魔たちに対して全く的外れの真相がつくりあげられている。あたしが斬った人間の事は報道されていない。ただ、死体が見つかったことだけが取り上げられている。実行犯が複数いる非連続放火魔の真相は語られることを知らない。

 あたしについての報道も無い。今のところ、警察に声を掛けられる事も無い。

 報道規制がどうの、とか薫が云っていた。八月下旬からむこう、薫は家に帰って来ない日が増えた。理由は説明してくれない。

 ただ、偶に顔を合わせた時の仏頂面から、薫は何事かに手を焼かされていることは確からしい。書斎から霊柩が持ち出されていることも多い。荒事になっている筈なのにあたしに声は掛からない。

 美優も美優で、復学の準備に忙しくしている。昏睡中、そして入院中に高校の授業は凡そ二ヶ月分進んだらしく、その分の置いて行かれたと溜息をついていた。大変そうだけど、あたしが出る幕も無い。

 あの霊義眼を通して、どうも視界そのモノをあたしたちは共有してしまっていた。その気になればテレビをぼんやり眺めながら、美優の勉強風景をそれとなく認識出来る。……まるで意味不明な記号列を読み取り、書き並べる様子から察するに、美優の頭脳はあたしより遥かに優秀そうだ。

『どお、紗羅ちゃん、ここの問題なんだけど見覚えあったりする?』

 テレパシーのように、頭の中に自室で勉強している美優の声が聞こえてくる。視界を共有された時の感覚は、あたしたち二人に同じように伝わるみたいで、相手の視界が目の前に認識出来てしまうコトが合図になる。視界が二重に存在していながら、それらが混じり合うことも無い。奇妙だけど、自然な感覚。

『いいえ、全く。その記号何なの? イコールの上に何かくっついてるやつ』

 見覚えも無ければ意味するところも解らない。数字と数字が次々に結ばれて、美優の手が新しく数式を書き足してゆく。半分も読んでいないうちに教科書のページが捲られる。暇だからと眺めていても、昼間のワイドショーとどっちがマシか、退屈なコトには変わらない。

 もう、と美優が膨れっ面をするのが解る。

『二学期から一緒に学校行くんだよ? 今のところ、確率の基礎なんだから』

『適当に合わせるわ。解らないところは見せてくれるんでしょう?』

『そう云ったけど……頼りっぱなしも良くないよ』

 美優が、あたしの霊義眼を通してあたしの視界を認識した。毎日、変わり映えのしない昼のテレビ画面を一緒に眺める。その間にも美優はシャープペンシルを滑らせる。

『退屈?』

 そう訊く美優も、退屈そうだ。

『ええ、とても……眠れる美優が羨ましいわ』

『そう? 私は眠らなくて済む紗羅ちゃんが羨ましいくらい……だって、徹夜し放題じゃない』

『きっと、三日で飽きるわ。どれ程疲れても暇を持て余しても、意識が明瞭であり続けるんだから』

『意識が明瞭、かあ……紗羅ちゃんの言葉遣い、素なんだね』

『素? どう云う意味?』

『こうやって頭のなかで話してるのに、難しくて綺麗な言葉を使うなあ、って。また作文の宿題が出たら書いてもらおうかな』

『そうかしら? 作文って、でもあたしが書いて良いの?』

『先生びっくりするだろうね。私が斜に構えることって無いから』

 ころころと笑っている風だった。あたしに作文は向かないだろう、と思う。少なくとも美優の文章とはまるで自分の言葉が違っている。あたしは、そう、恐らくはあの薫から言葉を吸収して使っているようなモノだ。

『――彼の思考は煮え切らず、けれどその機微を嫌らしいまでに素直に描くその作者の姿勢からは、優れた観察眼と同時に筆者とは相容れない趣向を持つことを読み取ってしまう。一切の無駄を差し引いたその文体で描かれるのは、無駄と邪念に塗れた、下品な男の姿そのものであろう。率直に云って、嫌悪しか感じない』

 美優が読み上げる文章は、あたしが勝手に読書感想文を手伝った時のモノだった。

『私のキャラじゃないもん、これ……』

 それくらいは解る。

『素直な、あたしの感想よ。だいたいあんな汚らわしいのに、どうして名作だなんて云われているのかしら、って問い質したくなるくらい』

『そんな読み方、普通しないよ。でもそれだから、私は紗羅ちゃんの言葉が好きだな』

『あら、ありがとう』

『本音だよー。だって、嘘、吐かないもん』

 ……嘘、とあたしは思考の裏側で思考する。嘘に塗れたヒトガタとしてのあたし、人形・白羽紗羅。嘘そのモノが、尋常の世界からは離れた場所に在る。彼我の認識の差異は決定的に断絶していて、其れが嘘であることにすら気が付く事が出来ない。

『嘘、吐けないのよ、あたし』

 ――この言葉は紛れも無く真実その物だ。あたし自身が嘘であることも、また真実そのモノなのだけれど。紛らわしい言葉遊びの世界。

『その感想、あたしのままに提出するの?』

 あたしの問いかけには、少しの間がとられる。躊躇っているようだった。

『――ごめんね、私は』

 申し訳なさそうな、それが本当の気持ちなのだと云うことが解る言い方だった。言葉が伝えられる前に、そう応えられることをあたしは知っている。どうしたってあたしは美優の様には書けない。スクールカウンセラーとして学校に関わる雪曰く、あたしの文章は少なくとも学校向きでは無いらしい。薫に影響されないように、と釘を刺される始末だった。

『良いわよ、気にしてない。捻くれすぎた感想だもの』

『そんなこと無いって。でも、私が書いたって誤魔化しちゃ先生に心配されちゃうかなーって……』

 ……そのあたりの裁量は、美優自身の宿題である以上、あたしが口を出す気にならない。

 いつの間にか、美優の手が止まっていることに気が付く。視界が勉強机から離れて、天井に向かって揺れる。

『きゅうけーい……』

 美優は、そう云って仰向けにベッドに転がったのだった。光が無くなる。お昼を食べて以来、既に二時間と少し、机に向かっていたのだから生身の眼は疲れる事だろう。ずっと緩慢な動作しかしていないあたしには共有できない感覚。それでも、毎日こうして視界と思考の一部を共有していれば互いがどんな状態なのか察しはついた。

『おやすみなさい、美優』

 あたしの認識から、美優の視界の暗闇をゆっくりと切り離す。そう云えば、テレビ画面はワイドショーからドラマへと変わっている。あやふやな返答が頭の中に優しく木霊した。

 美優が一休みした後には、砂糖たっぷりのミルクティーでも淹れてあげようかしら。

 カレンダーを見れば、八月ももうすぐ終わろうとしている。窓の外の熱気も薄まっている。あたしの部屋に置かれっぱなしになっている教科書やら問題集の類を思い出した。どうせ、薫がどうにかして編入させた学校なのだ。時間が経つかそれとも通う必要も無くなるような何かがあたしの身に起これば、学校で何がどうなろうと別に構わない、そう云われていたけれど。

 テレビを切って立ち上がる。適当に……そうだ、まずはあの、イコールの成り損ないみたいな記号が何かを調べてみよう。数字の羅列が面白いとも思わないし、美優もつまらないと云っていただけあって興味は沸かない。ただ、暇潰し程度にはなってくれる気がする。汚らわしい、と評したあの本にしたって、美優には面白く読めたらしい。読み返してみれば、あの嫌な感じもしなくなるのだろうか。

 自室へと、美優の隣の部屋へと向かう。不思議な心持ちになることが、このところしょっちゅうあるけれど――だいたい、原因は解っている。結局あたしだって、学校とやらの新しい世界がどんな所なのか気にしているのだろう。

 カザミヤ、と口のなかで転がしてみた。消えた火に惑わされる世間から外れた場所にある高校とやらの名前だった。

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